[38]貴方の愛を知る日
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「か、仮に、そうだとしても……っ」

ようやく私が声を取り戻すのに、どれほどの時間を必要としただろうか。
混乱しきった私の頭は、千景様のとんでもない発言をとりあえず一旦置いておく、という逃避を選んだ。

「たとえ千景様がそう仰っても、里の者たちが許しはしません!貴方には、風間家には世継ぎが必要なのです」
「愛する女ひとり幸せに出来なかった情けない男の血など、受け継がれる価値もない」

正論を言っているのは、間違いなく私のはずなのに。
千景様の強引で勝手で、そして泣きたくなるほど優しい暴論が、私の冷えた心に入り込む。

「世継ぎなど、どうしても産まれなければ養子で構わん。この俺が是と言えば是だと、教えたはずだ。文句は言わせん」

まさか本当に、そう思っているのか。
代々正統な血で受け継がれてきた風間家当主の座を、養子に譲り渡すのか。
私一人を妻としておく、そんなことのために。

「言葉が欲しいなら、いくらでもくれてやる」

千景様は、尊大にそう言い放った。
けれどその表情は、愛情に満ちていた。

「お前が愛おしい、ナマエ。だから俺から離れるな」

目の前に差し伸べられる、千景様の大きな手。
私ごときが、この手を取っていいはずがない。
千景様が何と言おうとも、当主の座は千景様の血を継ぐ子に譲られるべきだ。
私だけでなく、きっと里中の者がそう考える。

「黙って俺の手を掴め。ただそれだけでいい」

そんな私を置き去りに、焦れた千景様が言葉を重ねた。

「それだけでいい、ナマエ」

子を成す責任。
妻としての役割。
里のための正しい決断。
まさか、それら全てを捨ててこの手を取って、許されるとでも言うのだろうか。
そんな都合の良いことが、ありえるだろうか。

この手を取って、もう一度、千景様と。
そんなことが、私に許されるはずが、ない、のに。


「後はこの俺が全て背負ってやる」


そう言って、千景様は全てを許してくれた。
私が一人きりで立つことに耐えられたのは、そこまでだった。

両手で千景様の手に縋り、身を投げるように飛び込んだ。
その瞬間、千景様が私を引き寄せて強く抱き締めてくれる。
力強い腕、逞しい胸板。
まるで欠けていた半身に再び出会えたかのように錯覚するほどの、安心感。
そして慣れ親しんだ千景様の匂いに交じる、汗の匂い。
一体どこから、駆け付けてくれたのだろうか。
たった一人で護衛も付けず、まだ視察の途中だったはずなのに。
私を捜して、どれほど必死になってくれたのだろう。

「ナマエ……っ」

千景様の唇から漏れた吐息が、まるで嗚咽に聞こえた。
慌てて顔を上げれば、後頭部に回された手で無理矢理胸板に押し付けられる。
けれど一瞬だけ見えた彼の真紅は、濡れていた。
先ほどまでの自信と横暴さは、一体どこに消えたのか。
骨が軋みそうなほど抱き竦めてくる千景様の腕は震えていた。

「この俺から………、いい度胸だ……覚悟しておくがいい……」

その憎まれ口なんて、酷く掠れていて。
それだけで、全てが分かった。

私はこのひとに深く愛されていたのだと、分かってしまった。



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