[23]怖いとさえ言えぬまま
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その日の夕餉は匡さんを歓待する宴となった。
天霧さんだけでなく、家臣の皆さんが勢揃いする盛大な宴だ。
上座に座った千景様は、終始不機嫌そうに酒を呷っていた。
そんな千景様と私との間に席を用意された匡さんは、他の皆には聞こえないような小声で千景様と嫌味の応酬を繰り広げている。
匡さんに酌をするのは勿論私の役目で、私が匡さんの持つ杯に酒を注ぐ度、千景様は舌打ちをした。
こうした宴の席で客人をもてなすのは妻の務めとして間違っていないはずだが、千景様はどうやらそれが気に入らないらしい。
衆目がある手前、客人に手酌などさせられないので千景様も止めはしないが、今日は常に輪をかけて機嫌が悪い。
こんなにも居心地の悪い宴の席は初めてで、私は終始困惑していた。


「ったく。なあおいナマエ、お前こんな男のどこが良かったんだ?」

千景様といがみ合っていた匡さんが、唐突に私の方を振り向く。

「気安く呼ぶなと何度言わせるつもりだ貴様」

私が何かを答える前に、千景様の地を這うような低音が割り込んだ。

「理不尽で横暴でさらに狭量ときた。最悪じゃねえか」

匡さんの言葉に、千景様の右手が左腰に伸びる。
勿論そこに刀はないのだが、物騒であることには違いなかった。

「子は風間じゃなくてお前に似るといいなあ」

匡さんがそう言って、私の顔を覗き込む。
私は咄嗟に笑みを浮かべようとしたものの、それは酷く曖昧なものになった。

「不知火貴様、今すぐ素首を刎ねられたいのか」
「あぁ?」

匡さんが千景様の挑発に反応して、再び二人が睨み合う。
自分から逸らされた視線に、私はそっと安堵した。
なんだか今日は、小さなことが一つひとつ針のように私の胸を刺激する。
疲れているのかもしれないと、私は膳を見下ろした。
そういえば、食欲もあまりない。
私は誰にも気付かれないよう小さく深呼吸し、せめてこの宴が終わるまでしっかりしなければと気を引き締めた。


主人と客人の険悪な様子とは裏腹に宴自体はなぜか随分と盛り上がり、お開きとなったのは夜四ツを過ぎた頃だった。
しばらくは屋敷に逗留するという匡さんに就寝の挨拶をし、私はようやく自室に戻る。
本当に体調が優れないのか、それとも気疲れしたのか。
自分でもどちらか分からないが、とにかく身体が重い。
のろのろとした手付きで湯浴みの支度をしていると、突然背後で襖がすぱんと開け放たれた。
吃驚した私が、跳ねた鼓動を抑えるように胸元に手を当てて振り返ると、そこには千景様の姿。
私はますます驚いた。
千景様は、その気怠げな態度とは裏腹に、所作がとても静かな方なのだ。
こんな風に音を立てて襖を開けるなんてことはまずあり得ない。

「ど、どうされましたか?」

何かあったのだろうかとその顔を見て、私はようやく、千景様が酷く怒っていることに気付いた。
柳眉が吊り上がり、紅の瞳が細められる。
殺気とまでは言わないものの、明らかな怒気がその身体から滲み出ていた。

「随分と楽しそうだったな」

開口一番、唸るようにそう言われて私は戸惑う。
どこか批難めいた口調だった。

「あの、千景様?」

大股で近付いてくる姿に威圧感を覚え、私は無意識のうちに一歩後退る。
すると千景様はその表情を一層酷薄なものに変え、私の二の腕をぐっと掴んだ。
その力が強すぎて、私の喉から呻き声が漏れる。
しかし千景様は手の力を緩めることなく、むしろさらに強く掴んだ私の腕を思い切り引いた。

「ち、かげ、さまっ」

痛いという訴えは聞き入れられることなく。
千景様は私を強引に部屋から連れ出し、隣の寝所の襖を開けるなりそこに放り込んだ。
勢いよく手を離され、よろけた私は敷かれていた布団の上に膝をついてしまう。
背後で襖を閉める音がしたと思った次の瞬間、私の身体はひっくり返され、布団に仰向けに転がされていた。
上にのし掛かってきた千景様が私の両手首を纏めて掴み、頭上で布団に押し付ける。
それが千景様の全力でないことは分かっていた。
鬼の膂力は、人間のそれとは比べ物にならないほど強いのだ。
千景様が本気になれば、私の手首の骨など一瞬で粉々になってしまうだろう。
でも、手加減をされているにしてもその力は強く、骨が軋むように悲鳴を上げる。
顔を歪めた私を見下ろす千景様は、やはり瞋恚を露わにしていた。

「ち、千景様……、あの、」

目的は、もう充分に分かっている。
始まり方があまりにも常とは異なっているが、この状況ですることは一つだろう。
だが、こんな風に乱暴にされたことがこれまでになかった私は酷く戸惑っていた。

手首が痛いから離してほしい。
先に湯浴みをさせてほしい。
何を怒っているのか、理由が知りたい。

だが言いたいことは何一つ口に出来ないまま、私の唇は千景様のそれに噛み付かれた。



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