[20]ひとつひとつの大切な
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「おくがたさまー!」

最近聞き慣れた、少しばかり拙い呼び声。
朝餉の後、琴の練習の前に縁側で少しのんびりしていた私は、庭の奥から聞こえた声に目を細めた。
綺麗に整えられた生垣の向こうから、小さな少女が駆けて来る。

「千代、おはよう」

今日も元気いっぱいの微笑ましい姿を、私は手を振って迎え入れた。

「これ!あげる!」

どうやら今日もまた、花を摘んで来てくれたらしい。
ここ最近、週に二、三度はこうして花を受け取ることが習慣になりつつあった。
直前まで秘密にしておきたいのか、千代はいつも後ろ手に花を隠している。
目の前にぱっと差し出された花は、今日は向日葵だった。
もうそんな時期なのか。
確かに最近は暑い日が続いていた。

「向日葵ね。とっても綺麗、ありがとう」

両手で受け取れば、向日葵以上に明るい笑みで千代の顔が綻ぶ。
子どもとはつくづく可愛らしい生き物だ。
いつか自分の子にもそう出来る日が来るといいと思いながら、私は千代の小さな頭を撫でた。

「こら!千代!」

得意げに笑っていた千代が、背後から掛けられた声に焦った様子で振り返る。
足早に近寄って来る母親の姿に、千代は草履を脱いで縁側に飛び乗った。
そのまま逃げ出そうとする千代を、私は座ったままやんわりと捕まえる。
背後から脇腹を擽れば、千代が身を捩って笑った。

「申し訳ございません奥方様!」

千代の母、つまり天霧さんの姉であるお琴さんが、私の前で深々と頭を下げる。

「頭を上げて下さい。いつも、私が遊んでもらっているのですから」

ゆっくりと顔を上げたお琴さんが、困ったような苦笑を浮かべた。

「ほら、千代。来てくれるのは嬉しいけど、お母上を困らせてはいけませんよ?」

小さな身体をしゃんと立たせてやれば、縁側から下りて草履を履き直した千代が、ごめんなさいとお琴さんに頭を下げる。
母娘の姿を見守りつつ、私は貰った向日葵を目線の高さに持ち上げた。
照り付ける太陽の下、どこかで蝉が鳴いている。
西国は今、夏真っ盛りだ。


その日、里の会合から帰って来た千景様は、小さな箱を携えていた。

「土産だ」

出迎えた私に突然差し出されたそれを、慌てて受け取る。

「あ、ありがとうございます」

お土産なんて貰ったのは初めてで、私は吃驚してしまった。

「開けてもみてもよろしいですか?」
「お前にくれてやったものだ。好きにしろ」

ぶっきら棒に促され、私は期待に逸る気持ちを抑えながら包みを慎重に開いていく。
箱の中に収まっていたのは、小さな風鈴だった。

「綺麗……!」

これは白薩摩だろうか。
光沢のある白い陶器に、金、赤、橙、黄で華美な絵付が施されている。
紐を持ってそっと振ってみれば、涼しげな高音が優しく響いた。

「とっても素敵です、ありがとうございます!」

今の季節にぴったりの品だ。
何よりも。
ふん、と鼻を鳴らした千景様は、きっと分かっている。
分かっていて、敢えて選んでくれたのだ。
白を基調に、金と赤。
それはまさに、千景様の色そのものだ。
かつて簪を貰った日のことを思い出し、私は一層嬉しくなった。

「早速部屋に飾りますね」
「好きにしろと言ったはずだ」
「はいっ、好きにします!」

風鈴を両手に包み込んで見上げれば、千景様は興味が失せたとばかりにその場を立ち去る。
でも私は、その横顔が満足そうに緩んでいることを見逃さなかった。
私は改めて手の中の風鈴を見下ろし、その縁をそっとなぞる。
向日葵といい風鈴といい、今日は貰ってばかりだった。
いつか私にも何か返せるといいのだけれど。
そんなことを考えながら、私はいつもより軽い足取りで部屋に戻った。



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