[16]黎明に織りなす目を覚ますと、私は千景様の腕の中にいた。
綺麗な筋肉のついた二の腕を枕にして、千景様の胸元に顔を埋めている。
「目が覚めたか」
何とも贅沢な状況に目を瞬かせていると、耳元を少し掠れた低音が擽った。
顎を上げれば、横向きに寝転んだ千景様と目が合う。
「お、はよう、ございます」
声を出してみて初めて、喉が渇いていることに気付いた。
というよりも、声が枯れている。
その原因を思い出すだけで、頬が熱を帯びた。
そうだ、昨夜、千景様と。
「……もしかして、私、そのまま?」
最中に意識を飛ばしてしまったのだろうか。
記憶を掘り返してみても、いつ眠ったのか覚えていなかった。
「ああ。俺を置いてな」
「すっ、すみま、申し訳ありません!」
反射的に跳ね起きそうになった身体は、千景様の腕に引き止められる。
私の反応に、千景様はくつくつと喉を鳴らした。
「冗談だ。最後までちゃんと意識はあった」
どうやら失態と呼ぶほどの粗相ではなかったと知り、ほっと胸を撫で下ろす。
相変わらず意地が悪いと千景様を睨めば、触れるだけの口付けに意識を攫われた。
「まだ痛むか」
「え?あ、いえ、痛くはないみたいです。でも、違和感が少し」
正直に答えれば、千景様が少しだけ笑う。
「今日はここで養生しろ。食事は運ばせる」
「でもそれだと、」
「黙って俺の休みに付き合えと言っている」
「……お休み、ですか?」
「この俺が初夜の翌日に無粋な真似を許すと思っているのか」
ようやく、今日は二人きりでいられるのだと理解し、私は胸の奥底から喜びが湧き上がるのを感じた。
唇が勝手に緩んでしまう。
それを隠すべく再び千景様の胸元に擦り寄れば、大きな手に後頭部を撫でられた。
着物が肌蹴ているせいで、胸板の皮膚に直接頬が触れる。
千景様の肌は、昨夜よりも幾分か冷たかった。
「して、我が妻となった感想はどうだ?」
唐突な問いに、私は少し面食らう。
「……正直に、答えても?」
「構わん」
私はひと呼吸挟んでから、ぽつりぽつりと言葉を選んだ。
「まだ、よく分かりません。きちんとしなきゃとか、元気な子を産まなきゃとか、そういう風には、思うんですけど。その、まだ奥方様なんて呼ばれ方も、慣れませんし」
理想とされる姿を、漠然と思い浮かべることは出来る。
でも、いざ今日から自分が何をすればいいのかと考えると、具体的にはよく分かっていなかった。
しばらくは風間家の歴史や、この里の統治の仕組みについて学ぶことになっているので、覚えることはたくさんあるのだろう。
習い事もきっと多い。
だがそれは肉付けされていく知識であり、根本的な行動指針ではないのだ。
頭領の本妻とはどうあるべきなのか、私はまだ正しく理解出来ていなかった。
「一つ、協力してやれることがある」
私の答えを聞いた千景様が、そんなことを言う。
それは何かと問う前に、いつの間にか私は布団に押し付けられていた。
私の上には言うまでもなく、千景様の姿がある。
「あ、の……?」
ぽかんと見上げた先、千景様がにやりと笑った。
「俺の子を成すのだろう?」
先程、私の体調を案じてくれた千景様はどこに行ってしまったのだろうか。
発言の意味を察した私は、慌てて千景様の胸を押し返した。
「あ、朝ですよっ、まだ、」
「それが何だ」
「何って!」
「昨日言ったことをもう忘れたのか。俺が是と言えば?」
「そっ、それとこれとは話が違いますっ」
私の必死な様子を、千景様は愉しげに眺めている。
また弄ばれていることに気付き、私は視線に険を滲ませた。
「そう怒るな」
私の額を小突いた千景様が、同じ場所に唇を落とす。
「まあいい、今日は見逃してやろう」
私の頬をひと撫でして、千景様は再び布団に横たわった。
許しの文言のはずがなぜか拗ねた響きに聞こえてしまい、私は思わず吐息に笑みを混ぜて零す。
耳聡い千景様はそれに気付いたが、ちらりと視線を向けてくるだけで何も言わなかった。
甘やかされている、と思う。
子を産む道具としてなら、体調を気遣うところまでで充分のはずだ。
それなのにこうして、一日傍にいてくれるという。
気疲れを、心細さを、察してくれていたのかもしれない。
独り寝はたったの二晩だけだったというのに、寂しさが身に沁みた。
千景様の求婚を受け入れる前までは、長い時をずっと一人で生きていたはずなのに。
それに比べればうんと短い二人の生活が、いつの間にかこんなにも馴染んでいた。
若干の肌寒さを感じて試しに甘えるよう千景様の腕に擦り寄ってみれば、何の逡巡もなく反対の手で髪を梳かれる。
なんて贅沢な朝だろうかと、私は千景様の着物に顔を押し付けた。
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