いつまでも輝き続ける貴方色
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「此れで良かったか、」

その問いは、唐突に降ってきた。


朝餉の後、部屋に戻り簡単な身繕いを整えた。
首の横で軽く縛っていた髪を一度解き、結い上げて簪を挿す。
真紅から茜色、緋色、鉛丹色、黄丹、萱草色、花葉色、そして金色へ。
千景様に買って頂いた、あの簪だ。

一度、これを挿して一人で町に出た時に男の人に襲われ、恐怖と絶望を知ったけれど。
千景様は私を見つけ、救い出してくれた。
だからもう、怖いものなんて何もなかった。
そもそもあの一件以来、千景様は私に一人で出歩くことを許してはくれなかった。
そして千景様と想いを通わせた私ももう、一人で外出しようなどとは思わなかった。


「お待たせしました」

屋敷の門の外で待ってくれていた千景様のもとへ、小走りに近寄る。
千景様は私の姿を認め、その紅い瞳をす、と細めた。

「何処に行きたい、」

以前は、千景様の気の向くままに無言で出歩くだけだったのに。
今はこうして、私に行きたい所を訊ねてくれる。

「そうですね。天気も良いですし、鴨川の辺りまで行ってみませんか?」

冬の終わり。
まだ肌寒いが、お日様の射す場所はほんのりと暖かかった。
千景様は無言で頷き、ゆったりとした足取りで歩き出す。
もう、その三歩後ろ小走りに追い掛ける必要なんてない。
千景様の半歩後ろを、同じ歩調で歩いた。
私が時折小間物や景色に気を引かれて立ち止まれば、必ず千景様も立ち止まってくれる。
そこに、言葉はない。
けれども、私を急かすような素振りもない。
穏やかに目を細め、待っていてくれる。
その優しさが、私には嬉しかった。


鴨川の畔は静かで、川のせせらぎが心地良く耳に響く。
いつだったか千景様が見せてくれた夕焼けは、本当に美しかった。
あの時、私は決めたのだ。
この人に、着いて行こうと。
この人と、共に生きようと。
夕焼けに輝く金糸を見つめながら、そう誓った。

「ナマエ」

あの時とは異なる、昼前の穏やかな陽射しの中。
千景様が私を振り返る。
一歩近寄れば、千景様は私の頭に手を伸ばした。
しゃらん、と響いた音が、千景様が私の簪に触れたのだと教えてくれる。

「……此れで、良かったか?」

何だろうか、とその顔を見上げていると。
不意に、そう訊ねられた。

「え……?」

此れ、とはつまり、簪のことだろう。

「散歩の途中、お前が小間物屋の簪を物欲しげに見ていたことには気付いていた」

千景様が手を引き、再び川の流れに視線を戻す。
私はその端正な横顔を見つめた。

「後日、お前に買い与えてやろうと出向いたが、何れを欲しがっていたのかまでは分からなかった」

散歩の途中で通り掛かった小間物屋で見つけた簪。
ある時千景様がその小間物屋にあった置物に興味を示して店に立ち寄ったので、私も後に続いた。
千景様が置物を物色している間に、私はこの簪を見ていた。
後日手渡された時に、どうしてこれを買って来てくれたのだろうと不思議に思っていたけれど、そういうことだったのか。
千景様はあの時、私が簪を見ていたことに気付いていたのだ。

でもいま千景様は、私がどの簪を欲しがっていたのかまでは分からなかった、と言った。
確かにあの小間物屋には、他にもたくさんの簪が並んでいた。
それならばどうして、千景様はこれを選んでくれたのか。

「お前には、もう少し淡い色の物の方が似合うかと思ったが、」
「……それならば、どうしてこれを?」

どの簪が良いのか分からなかった、と言うならば。
どうして似合うと思ってくれた淡い色の簪ではなく、これを選んでくれたのか。
そう問えば、千景様はゆっくりと私に視線を落とした。

「……思い出すかと、そう思った」

常よりも不明瞭な声で紡がれた言葉。
意味が分からず、首を傾げると。

「その色を見る度に、お前は俺を意識するのではないか、と」

付け足された言葉に、息を呑んだ。
私がこの簪に千景様の姿を重ねていたように、千景様もこの色を見て自分の髪と目の色を連想したのだ。

「……下らんな、」

何も言えなくなった私の視界の中、千景様は自嘲的に唇の端を持ち上げて。
鼻を鳴らすと、その場から立ち去ろうとした。

「千景様!」

その背を慌てて追い掛ける。
緩慢な仕草で振り返った千景様に駆け寄り、その顔を見上げた。

「私、これが欲しかったんです」
「……何?」
「お店で、この簪を見ていました。この簪が、欲しかったんです」

だからこそ、驚いたのだ。
晩酌の最中、この簪を手渡された時。
たくさんの中から、どうしてこれを選んでくれたのだろうと。
まるで運命みたいに千景様が見つけてくれた簪を、信じられない思いで受け取ったのだ。

「何故それを欲しがった?」

確かに、私の持ち物はどちらかというと淡色の物が多い。
似合う似合わないは良く分からないけれど、確かに淡い色の物の方が好みではある。
けれど、この簪は私の好みで選んだのではない。
濃淡なんて、関係ない。

「千景様が、仰った通りです」

真紅から茜色、緋色、鉛丹色、黄丹、萱草色、花葉色、そして金色へ。

「これが、貴方の色だったから……っ」

だから、欲しかったの。


「……そうか、」

私の答えを聞き、千景様は鷹揚な口調でそう言った。
だけど、見上げた先にある千景様の顔は、ひどく穏やかだった。
光の加減を受けて色を変える紅い瞳は柔らかく細まり、金糸は川面に反射したお日様の光で輝いていた。

私の髪に挿した簪も、同じように。
綺麗に輝いていればいい、と。

そう、願った。




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