そんな貴方を愛しく思う
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それは、新しい年を迎えてから五日が経った日のことだった。


「ナマエちゃん、少し出掛けない?」

昼餉の後、そう言って私の部屋を訪ねてきた姫様。
千景様が朝から所用とやらで出掛けており暇を持て余していた私は、その誘いに一も二もなく頷いた。


町に下りてみれば、あちこちの店先に飾られた門松やしめ飾りに、正月を実感させられる。
行き交う人々も、どこか浮き足立っているように感じられた。

「姫様、何かご用事が?」
「ううん、ただの散歩よ!」

隣を歩く姫様の足取りは軽やかだ。
年末年始の行事が一通り片付き、気晴らしといったところなのだろう。
半歩後ろを歩くお菊さんと目を見交わして、こっそり笑い合った。

「ああでも、懸想文でも貰いに行こうかしら」

ふと思いついたように呟かれた言葉に、私は首を傾げた。

「懸想文、ですか?」

つまり、恋文のことだろうか。
恋文を貰いに行くとはどういうことだろう。

「元旦から十五日までの間、懸想文売りというものがあるのです」

疑問符を浮かべた私に、お菊さんが声を掛けてくれる。

「懸想文売り?」
「はい。祇園の犬神人が懸想文を売り歩くことなのです。その懸想文を買うと男女の良縁が訪れる、と言われております」

お菊さんの解説に、私は成る程と頷いた。
要は、縁起物というわけだ。

「でも、ナマエちゃんには必要ないわね」

悪戯っぽく笑った姫様の言葉の真意など、問うまでもない。
私は恥ずかしくなって思わず俯いた。

そうなのだ。
私は僅か一週間ほど前に、千景様と想いを通わせたばかりなのだ。
我が妻となる気になったか、という問いを肯定したあの日から、私は千景様のものになった。
つまり、私が今更良縁などを願う必要はどこにもない。

「そ、そのことはこの際置いておいて下さいっ」

姫様の揶揄するような視線と、お菊さんの微笑ましいとばかりの表情。
そのどちらもが気恥ずかしく、私は歩調を速めた。


そのようなやり取りをしつつも、結局私たちは祇園に赴いた。
もちろん懸想文など私には必要のないものだが、見たことがないので興味はあった。
それに姫様は、半ば本気でそれを買おうとしている様子だった。

「あ、あれよあれ!」

不意に、姫様が前方を指し示す。
そこには、赤い着物に赤い袴の、それはもう目立つ出で立ちをした男の人が立っていた。
鳥帽子をかぶり、白い布で顔を覆い隠している。
肩に担がれた梅の小枝に、箱がぶら下がっていた。
恐らくあの中に、噂の懸想文が入っているのだろう。
事情を知らなければ、怪しいことこの上ない。

姫様は嬉々とした表情で懸想文売りに近付いた。
私もその後を追い、姫様が男から懸想文を貰うのを見ていた。

「ほら、ナマエちゃんも見てみる?」

振り返った姫様から、その懸想文とやらを受け取る。
見たところただの艶書だが、まあ縁起物だというのだから気持ちの問題なのかもしれない。

「これで私にも良縁があるかもね!ああでも、風間みたいに横暴な人は嫌だわ」

姫様の軽口に、女三人でくすくすと笑った。

その後私たちは甘味処で少し休憩し、一刻も経たないうちに屋敷へと戻った。


「あれ、千景様?お早いお戻りでしたね」

辿り着いた、自室の前。
見つけた姿を少し意外に想い、そう声を掛けた。
そこには、外出用の黒い羽織を着たままの千景様が立っていた。
千景様が所用で出掛けた時の戻りは大抵夜になることが多かったから、このような時刻に戻っているとは思わなかった。

「もうご用事は済んだのですか?」

そう訊ねてみる。
しかし、返答がない。
私の方を振り向いた千景様は、どこか不機嫌そうだった。
出先で何か不愉快なことでもあったのだろうか。
千景様は、お世辞にも気が長いとは言えない人だ。
些細なことで機嫌を損ねるのは、最早日常茶飯事だった。
天霧様の気苦労が知れるというものだ。

「お茶をご用意しましょうか?」

声を掛け続ければ何かしら反応があるだろう、と適当に言葉を選ぶ。
すると今度は返答があった。

「……茶はいらん。ついて来い」

常よりも低く、そして一音一音を落とし込むような緩慢な口調。
どうやらかなり不機嫌らしい。
こういう時に逆らうのは得策でないと疾うに知っている私は、黙ってその後をついて行った。

千景様は自室に足を踏み入れると、どさりと畳の上に腰を落とす。
いつもは物音一つ立てずに座る千景様らしくない動きだった。
私はその向かいに正座する。

さて、何があったのだろうか。

しかし私が問いを口にする前に、千景様が口を開いた。

「言いたいことは勿論分かっているのだろうな」
「………いえ、」

皆目見当つきません、とは言えずに言葉少なにそう返せば、千景様の眉間に深い皺が寄せられた。

「……分からぬ、だと?」

信じられない、と言わんばかりの口調だが、生憎と全く心当たりはない。
一つ考えられるのは、私が外出をしたことがお気に召さなかったのかもしれないということだが、何も一人きりで出歩いたわけではないのだから、ここまで怒られることもないだろう。

「成る程、しらばくれようという魂胆か」
「……あの、本当に心当たりが、」

ないのですが、と続けようとした私の言葉は、不意に鋭くなった千景様の声に遮られた。

「隠しているものを出せ」
「………はい?」
「その胸元に忍ばせているものを出せと言っている」
「忍ばせているもの、と言われましても……」

着物の胸元に手を当ててみる。
しかしながら当然、そこには何もない。

「あの、一体何のお話を……?」

いよいよ困惑した私の目の前で、千景様は緋色の双眸をすっと細めた。

「ここまで来ても尚認めぬと言うのか、強情な女だ」

そう一人納得したように呟き、千景様は突然立ち上がった。
かと思えば次の瞬間、私の身体は畳の上に押し倒されていた。

「っ、な、にを……っ」

目の前には、私に覆い被さった千景様の顔。

「最後にもう一度だけ機会を与えてやろう、ナマエ」

唇に、何かが触れる。
それは千景様の指だった。

「そこに隠し持っているものを潔く俺に差し出すか。それとも俺にこのまま着物を脱がされるか……好きな方を選ぶがよい」

怒っていてもなお損なわれない美貌で、千景様が私を見下ろす。
鋭い視線と相まって、その迫力は凄まじいものがあった。
が、持っていないものを差し出すことは、どう頑張っても不可能だ。

「ですから、何の話をされているのか分からないと、っ、」

その言い分を、全て口にすることは出来なかった。
間髪入れず、千景様の手が私の着物の合わせに掛かり。
ぐい、と左右に開かれる。

「やっ、やめて下さい千景様!」

いくら好いた人が相手だとは言え、このような無体を黙って受け入れられるはずもないと声を荒げれば。
千景様はしばらく黙って私を見下ろしていたが、やがて私の上からゆっくりと身体を退かせた。

そのまま畳の上に座り直した千景様の横顔は、なぜか悲しみに打ち拉がれているようだった。

「……先日の言葉は虚言か、」

起き上がり、乱れた着物を直していた私に向かって。
ぽつり、と掛けられた問い。
その声からは先ほどまでの不機嫌さが消え失せ、代わりに深く沈み込むような色が混じっていた。

「先日の、とは?」
「……お前が俺の元に嫁ぐ、と言った日だ」

その言葉に、私は驚いて目を瞠った。
なぜ今になって、その決意を疑われなければならないのだ。

「まさかっ、どうしてです?どうして嘘だなどと、」

あれほどまでに悩み、それこそ人生を懸けて下した決断だというのに。
どうしてこうも簡単に疑われてしまうのか。
いよいよ悲しくなって俯いた私に、しかし私よりも悲しげな口調で千景様は言った。

「嘘ではないと申すならば、なぜ他の男などを求める」
「……他の男、ですか?」
「この俺と共に生きると言うならば、他に良縁などいらんだろう」

良縁。
その言葉に、私の中で全てが繋がった。
あの懸想文のことだ、と。

「見ていらしたのですか?!」

そう聞いた瞬間、千景様の視線がより鋭くなる。

「左様。さて、この状況でまだ言い訳を、」
「あれを買ったのは私ではありません!」

私の大声に、千景様が口を噤む。
その隙に、私は早口で事と次第を説明した。
これ以上誤解されては堪らない。

「あの懸想文を買われたのは姫様です。私は懸想文売りというものを今日まで知らなかったので、姫様が見せて下さったんです!」

そう捲し立てれば、千景様は目を見開いて。
やがて、ぽつりと呟いた。

「……だが、あれを持って笑っていたのはお前だ」

その言葉にあの時のことを思い出し、私の中に恥ずかしさが込み上げる。
しかし言い逃れを出来そうな状況ではなかった。

「……姫様が、良縁の相手は千景様みたいな横暴な方は嫌だ、と仰ったので。……その、千景様は本当は、お優しいのに、と」

貴方のことを思い出して、笑ったのだ、と。
あまりの恥ずかしさに、俯きながらそう告げた。
しかし、いくら待ってみても返答がない。
このように恥ずかしい台詞を言わせておいて自分は黙るなんて、と顔を上げて。
私はそこに、信じられないものを見た。

「……ぁ、」

そこには、口元を手で覆い、目元を赤く染めて視線を逸らした千景様がいた。
これは、千景様も照れているのだろうか、と。
そう気付いた瞬間、思わず笑ってしまった。

その途端、千景様に思い切り睨まれたのは、まあ当然の流れだと思う。
そして、赤く染まった顔で睨まれたって少しも怖くなかったのもまた、当然だと思う。


意外と可愛いところもあるかもしれない、と。
千景様の新たな一面を見た、そんな出来事だった。




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