[13]厳かな一歩
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翌日、祝言を挙げるその日、空は見事な快晴となった。
花嫁行列はないから天候などあまり関係ないのだが、それでも雨よりは晴れの方が気分が上向きになる。
西国の気候は京より穏やかで、暖かかった。

「今日は里中がお祭り騒ぎですよ」

朝起こしに来てくれた梅乃が、随分と嬉しそうな口調でそんなことを言う。
なんでも、早朝から屋敷に祝いの品が続々と届けられているそうだ。
なるほど、頭領の婚礼ともなれば里を挙げての一大事らしい。
その手の話を聞く度に双肩に掛かる重圧を、私は努めて意識しないようにしながら支度を急いだ。
といっても、私自身がすることはあまりない。
白無垢を着せられ、常より派手な化粧をされ、大袈裟に髪を結われる間、終始されるがままだった。
髪に挿す簪は婚礼用のものであるため、千景様から貰った簪は懐に仕舞っておく。
いよいよお守りそのものだと、薄く笑った。

婚礼の儀は、昼九ツから始まった。
日が暮れてから始めるのが一般的かと思っていたが、最近はそうでもないらしい。
何より、新婦側の祝い席や花嫁行列がないのだ。
わざわざ刻限を遅らせる必要もない、というのが千景様の意見らしい。
なるほど、理に適った言い分である。
面倒事はさっさと済ませてしまいたいという意図が透けて見えるが、私としても堅苦しい儀式は早々に終わらせたいのでありがたかった。
婚礼そのものは嬉しいことだし、千景様と夫婦になるのも自ら望んだことだ。
しかし頭領とその正妻の婚礼など、本人たちの意思とは無関係に屋敷の一大行事である。
簡単に言ってしまえば見世物だ。
衆目に晒されることに慣れていない身としては、非常に居心地が悪かった。

それでも、一応は女の身。
隣に座した千景様の姿に見惚れなかったと言えば、それは嘘になってしまうだろう。
風間の家紋が五箇所に染め抜かれた黒の羽織と、白黒二重の長着、そして縞織りの袴を身に付けた千景様は、圧倒的に格好良かった。
その見目に惹かれたわけではないのだが、やはり改めて見ると常人離れした美しさを誇る鬼である。
隣に並ぶのが些か気恥ずかしくなるほど、初めて見る袴姿は千景様に似合っていた。
松竹梅やら鶴亀やらのめでたい掛け軸が下がった広間に、風間家の親類と大勢の家臣が居並ぶ中、粛々と執り行われる婚礼の儀。
実際、座って仰々しい祝詞を聞いているだけで、することはあまりない。
一つだけ作法に気を付けて動かなければならないのは、三献の儀くらいだった。
目の前に用意された大中小の杯。
これらがそれぞれ過去と現在と未来を表しているのだと知ったのは、つい昨日のことである。
巡り会えたことへの感謝、二人で共に生きていく決意、そして子々孫々の繁栄祈願という意味が込められているそうだ。
御神酒の注がれた一の杯を千景様から、二の杯を私から、三の杯をまた千景様から順に飲んで、三々九度。
口当たりの良い上質な酒のはずだが、緊張のせいか味など全く分からなかった。

婚礼の儀の後は、別の大広間に移動して宴会となる。
各人の膳の他、大皿にこれでもかと豪勢な料理が並ぶ中、当然私と千景様にのんびりと食事を楽しむ余裕はない。
次々と、酒を片手に祝いの言葉を述べに来る臣下たち。

「ようこそおいで下さいました、奥方様」
「今日はまた一段とお美しゅうございます」
「いやはや、これで里の将来は安泰ですな」
「お子が楽しみじゃ」

口々に掛けられる言葉は概ね好意的で、私はこの婚礼が彼らにも望まれたものであることを理解した。
正確に言えば望まれているのは私ではなく頭領の正妻とその世継ぎなのだが、それは当然のこと。
酔って少しばかり口が軽くなった者曰く、千景様は長らく妻を娶ろうとしなかったようで、家臣らは皆気を揉んでいたらしい。
誰もが安堵の表情を浮かべているところを見る限り、彼らも身儘な千景様に振り回されているのだろう。
家臣が皆千景様を敬い慕っていることは、この屋敷にいればすぐに分かった。
誰もが千景様を、政の手腕に長けた歴代の中でも頭一つ飛び抜けて優れた君主だと評する。
だがその横暴な性格には些か手を焼いている様子も同時に伺えた。
無理もないと、千景様の物騒な性格を身を以て知っている私としては苦笑してしまうしかない。
この動乱の世において人間から一族を守りきり、里を統治した威厳溢れる絶対的な長。
言い換えれば、千景様には誰一人として逆らえない。
里の長老であろうが一番の臣下である天霧さんであろうがそれは例外ではないらしく、千景様の意に沿わないことは意見具申すら通らないのだそうだ。
確かに道中も、天霧さんの小言なんて大抵聞き流されていた。
長年にわたり、世継ぎを生むことも頭領の大事な務めだと口を酸っぱくして言い続けたらしいが、千景様は頑として首を縦に振ることなく。
今日ようやく積年の夢が叶ったと半泣きで感謝された私としては、曖昧に笑うしかなかった。


「もういいだろう。後は貴様らで勝手にやるといい」

千景様が面倒臭そうにそう言って席を立ったのは、まだ夜五ツを迎える前のことだった。
来い、と強引に手首を引かれる。
てっきり夜半までこの宴に参加せねばならないのかと思っていた私は、杯を置いて慌てて立ち上がった。

「明朝まで俺の部屋には誰も近付くな。言い付けを破ろうものならその場で手討ちにしてくれるわ」

千景様はそう言い残し、私の手首を掴んだまま広間を後にした。
私はといえば、唖然としてその背を追うばかりだ。
背後から、梅乃がこれまた焦った様子で追い掛けてくる。

「ごっ、御当主様!」

上擦った呼びかけにようやく立ち止まった千景様は、梅乃を見てふんと鼻を鳴らした。

「仕方ない。一旦預けるが、早めに返せよ」

そう言って足早に立ち去った千景様の背を私がぽかんと見送っていると、梅乃は慌てて私を湯殿に促した。
そこでようやく、私はこの後の展開に思い至る。
途端に、急激に酒精が身体を駆け巡った気がした。

湯殿で、梅乃の手伝いを断って自ら身体を洗い清める。
巫女に身体の隅々まで洗われる、などというしきたりがこの里にないことを心底ありがたく思った。
湯から上がり、待ち構えていた梅乃に初夜装束の白い着物を着せられる。
腰巻すら巻かなくて良いというのだから、何ともあからさまだ。
当然のことながら、私に情交の経験はない。
昨夜しつこいほど説明された作法を頭の中で反芻しながら廊下を歩くと、千景様の寝所に近付くにつれ緊張が増した。
耳にたこが出来るほど言われた、御当主様の機嫌を損ねるなという忠告が脳内を駆け巡る。
千景様は大抵いつだって機嫌を損ねているじゃないかと内心で反発出来たのは昨日だけで、今となっては何もかもが恐ろしかった。
千景様は形式だのしきたりだのよりも、己の意思を最優先とする。
つまり、今日娶った正妻を気に入らないと一言で切り捨てるようなことも、難なく出来てしまうはずなのだ。
何の経験もない私に、どう千景様の機嫌を取れと言うのだろうか。
襖を開けようと伸ばした指先が震えていることに気付き、私はきつく目を閉じた。
行為自体は、さほど恐ろしくない。
勿論全く怖くないわけではないのだが、痛みには強い自信があるし、経験はないものの全くの無知というほどでもないから何が起こるかはある程度想像出来ている。
問題は、私の身体を千景様がどう思うのか、というその一点に尽きた。
男女には相性というものがあるらしいが、そんなものは事前に確かめようもない。
あの醒めた目で不満げに見下ろされたりした場合、私はどうすればいいのだろうか。
無人の室内に足を踏み入れた私は、薄暗いそこにごくりと唾を飲み込んだ。



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