[12]前夜の逢瀬
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千景様の言葉通り、翌日は息を継ぐ暇もないような忙しさだった。
朝早くに梅乃に起こされた私は朝餉もそこそこに屋敷の一室へと押し込まれ、やれ明日の髪型はどうする、やれ花嫁衣装はどうするとまるで着せ替え人形のような扱いを受けることになったのだ。
ちなみにここに、私の意見というものは全く反映されていない。
というか、口を挟む隙間さえなかった。
恐らくは事前に千景様から、書簡によってある程度の指示が出されていたのだろう。
白無垢からべっ甲の簪まで、婚礼衣装として必要なものは既に揃っていた。
それを試しに着付けて貰って、問題がないかどうかを確認したのだ。
慣れなければならないとは分かっていても、人に着替えを手伝われる居た堪れなさというのは相当なものである。
血筋の良い家系の一人娘である以上、そして頭領の正室となる以上これは当たり前のことなのだろうが、何如せん一人で生きてきた時間が長すぎた。
着付けも髪結いも化粧も自分で出来てしまう私は、箱入り娘のような扱いを受けることが些か窮屈で同時に申し訳なかった。

衣装の確認を終えた頃にはすっかり昼時で、一旦女中たちから解放された私は昼餉を頂いた。
千景様は千景様でお仕事が忙しいのか、朝からその姿を全く見ていない。
この調子では、次に見かけるのは婚礼の儀その時かもしれないが、よくよく考えてみればその方が普通のことである。
儀式の前から花婿の屋敷に滞在している時点で、形式としては異例なのだ。
一般的には、花嫁は儀式の当日に親類縁者と行列を作って花婿の屋敷に輿入れするのが常。
そういう意味では、京から薩摩までの旅路が花嫁行列ということになるのだろうか。
いや、そこに花婿が同行している時点でもうおかしいのか。
私は、どう頑張っても取り繕えない異質さに苦笑した。
両親どころか、親族が一人も生きていないのだ。
致し方ないと言わざるを得ない。
だが恐らく頭領の婚礼ともなれば、親族や家臣は形式を重んじるだろう。
両親のない花嫁などという異端な存在は、忌避されやしないだろうか。
今更考えても詮無きことと分かっていても、心細さは拭えなかった。

昼餉の後は、明日の婚礼の儀についてその流れをひたすら頭に叩き込む作業となった。
生憎と町人の自由な婚礼ではなく、西の鬼の頭領、延いては種族の実質的な長の婚礼なのだ。
形式に次ぐ形式、良く言えば風流で悪く言えばまどろっこしい。
踏むべき手順の確認作業は数刻にも及んだ。
さらにその後は、初夜を迎えるにあたってと夜伽の作法まで事細かく説明されたのだ。
私の存在価値が世継ぎを生むことだとは理解しているが、あまりにもあからさまに千景様の機嫌を損ねないよう念押しされては気も滅入る。
結局、私が解放されたのは夜四ツを回った頃だった。

今すぐにでもぐったりと背中を丸めたい疲労感を押し殺し、背筋をしゃんと伸ばして充てがわれた私室に向かう。
背後に梅乃が付き従っているだけでなく、どこで誰が見ているか分からない以上、屋敷内でも気を抜くことは出来なかった。
私は、西国の主の正妻になるのだ。
私の言動一つが大勢に影響を及ぼし、そして私の振る舞い一つが千景様への評価に直結する。
今日一日でそれを嫌というほど実感した。
今になってようやく、姫様が屋敷の中であれほど窮屈そうにしていた訳が真に理解出来た気がする。
立場というものは、私生活の自由を代償にしなければ得られないのだろう。
何の後ろ盾もなく嫁ぐ身としては尚のこと、溜息一つさえ許されない緊張感があった。

「ここまでで大丈夫です。ありがとう、梅乃。貴女ももう休んで下さい」

襖を開け、室内に異常がないことを確かめてから振り返ってそう言えば、梅乃は大層驚いた顔で私を見つめた。

「ですが就寝のご準備を、」
「そうしなければ、貴女が怒られてしまいますか?」
「いえ、そういう訳ではありませんが、」
「では、今日はもう遅いですからお休みなさい」

正直に言うと、早く一人にしてほしかった。
だが流石にそう言うのは憚られる。
幸い梅乃は空気が読めるのか、それとも今日一日で私が世話を焼かれることに対して苦手意識を持っていることに気付いてくれたのか、予想よりも早く引き下がった。

「それでは、お言葉に甘えて失礼させて頂きます。何かございましたら、いつでもお呼び下さい」
「ええ、ありがとう」
「おやすみなさいませ、奥方様」
「はい、おやすみなさい」

深く一礼してから立ち去る梅乃の背を見送り、私は襖を閉めるとようやく深く息を吐き出してその場に座り込んだ。
明日も早いのだからすぐ寝仕度をしなければならないのは分かっているが、どうにも全身が酷く気怠い。
体力には自信があった。
つまり原因はどちらかと言うと気疲れなのだろう。
私は殆ど無意識のうちに左手を持ち上げ、自らの簪に触れていた。
屋敷で用意されたものではない、千景様に初めて買って頂いた簪だ。
縁を指でなぞり、ほっと息を吐いた。
まるでお守りのようだと思えば、頬が久しぶりに自然と綻ぶ。
失われていた気力まで湧いてくる気がして、私は苦笑しながら立ち上がった。
まずは着替えようと着物の帯に手を掛けた、その時。

「ナマエ、いるか」

襖の向こうから聞こえてきた声に、私ははっと顔を上げた。
聞き間違えるはずもない。

「はい、千景様」

私は慌ててその場に正座し、襖が開くと同時に頭を垂れた。
音もなく部屋に入って来た千景様が、後ろ手に襖を閉める気配。

「本日もお勤め、」
「ナマエ」

口にしかけた労いの口上は、名を呼ばれることで遮られた。
少しばかり顔を上げれば、いつの間にか千景様が目の前に片膝をついている。
白い着物から伸びた手の、武骨だが綺麗な指先に頤を掬われた。

「ようやく顔を見られた」

上げた目線の先、千景様は憮然とした顔をしている。

「え、あ……」
「全く、つい先日まで共寝していたというのに。何が、婚礼の準備中に会ってはならないだ」

大層不機嫌そうな声音に、私は思わず笑ってしまった。

「何がおかしい」
「いえ、すみません。つい、」

紅い瞳に睨まれても、今ばかりは怖くない。
それどころか、今日一番の安らぎさえ感じてしまっている。
いつの間に、千景様の側はこんなにも安心できる場所になっていたのだろうか。
ふん、と鼻を鳴らした千景様を見上げ、私は素直に微笑んだ。

「綺麗な衣装を、ありがとうございます」
「ああ、見たか」
「はい。新しい簪も」

やはりあれらは、全て千景様が手配してくれたものだったらしい。

「まどろっこしい儀式など面倒ばかりだ。褒美がないとやってられん」
「褒美、ですか?」
「明日はとびきり美しい花嫁姿を見せてくれ」

千景様の唇から零れた珍しすぎる口説き文句に、私の頬は一瞬で熱くなる。
それを見下ろして、千景様はくつくつと喉を鳴らした。
どうやら揶揄われたらしい。
思わず唇を尖らせれば、千景様はにやりと口角を上げて私の唇を指先でなぞった。

「そう剥れるな」
「誰のせいですか」
「俺のせいにするつもりか?いい度胸だ」
「横暴ですよ、千景様」

まるで旅路の最中を思い出すような軽口の応酬に、心が癒される。
千景様も、同じように感じてくれているのだろうか。
言葉の内容とは裏腹に穏やかな表情を見せられ、妙に嬉しくなった。

「早く休め。隣にいるから、何かあれば声を掛けろ」

最後に私の頬をひと撫でして、千景様が立ち上がる。
私の部屋の隣室が千景様の、明日からは夫婦の寝所となる部屋だった。

「おやすみなさいませ、千景様」
「ああ」

再び三つ指をついて、明日夫となるひとを見送る。
一人残された部屋の中、私は先程までよりもずっと明るい心持ちで寝仕度を始めた。



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