Wanna Be Your Hope [5]
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炊飯器がくつくつと音を立てて米を炊いている間に、鍋にバターを溶かし、薄くスライスした玉ねぎを炒める。
弱火で、きつね色になるまでじっくりと。
そこに水とコンソメスープの素を入れて煮立たせ、灰汁を取り除いて塩胡椒を加えればオニオンスープの完成だ。
鍋をコンロの上から退け、今度はフライパンを置いて再びバターを溶かす。
そこにニンニクを加え、香りが立ってきたところで炊き上がった米を入れた。
炒めながら手早く混ぜ、出来上がったバターライスを皿に移し替える。
今度はそのフライパンに溶いた卵を流し入れ、少し掻き混ぜてから、火の通り具合を確かめつつ焦がさないよう焼いた。
普段は半熟だが、今回はそれよりも少し長めに火を通す。
出来上がった薄い卵の膜をバターライスの上に被せ、チーズを乗せて、さらに上から先ほど作ったオニオンスープを掛けた。
パセリなんて洒落たものは置いていないので色鮮やかとは言えないが、これで完成だ。
チーズオニオンスープオムライス。
秋山は出来上がったオムライスの乗った皿を二つ持って、キッチンを後にした。

「ミョウジさん、お待たせしました」

部屋の隅に何をするでもなく座っていたナマエが顔を上げ、秋山を見る。
ローテーブルに皿を置き、ナマエを手招きした。
常より小さな歩幅で近付いてきたナマエに、スプーンを手渡す。
ローテーブルの前に座り込んでスプーンを片手にオムライスを見下ろしたナマエは、どことなく嬉しそうだった。


ナマエの着替えが終わった頃にはすっかり陽が傾いており、秋山はナマエに夕食を提案した。
何か食べたいものはあるかと訊ねても、ナマエは首を横に振る。
それは秋山の予想通りだったが、何でもいいと言われると少しばかり困ってしまった。
特に今は、ナマエの好みが全く把握出来ていない状態だ。
二十七歳のナマエが相手であれば何となく思い付く食事のメニューも、九歳のナマエが相手では自信がない。
どうしたものかと頭を悩ませ、加茂にアドバイスを求めるべきだろうかと考え始めた頃、不意に秋山は昼間の約束を思い出した。
ナマエがネットで見つけ、美味しそうだと零したオムライス。
それを今夜作ると約束していたのだ。
ストレイン騒ぎですっかり失念していた約束を思い出した秋山は、慌てて準備に取り掛かった。
約束を交わしたのは二十七歳のナマエとだが、オムライスが好きな子どもは多いイメージがあるから大丈夫だろう。
チーズオニオンスープオムライスという一風変わったアレンジメニューではなく、普通のケチャップオムライスを作った方が今のナマエは喜ぶかもしれないとは思ったが、秋山は敢えて、約束通りのものを作ることにした。

「……いただきます」

行儀良く両手を合わせたナマエが、一度置いたスプーンを再び手に取る。
果たしてナマエの口に合うだろうかと秋山が見守る中、ナマエは小さな一口を頬張った。

「………どう、ですか?」

沈黙に耐え切れなくなり、秋山は伺いを立てる。
すると、俯き気味に口を動かしていたナマエが顔を上げた。
もう何度か顎を動かし、口の中身を全て飲み込んでから、ナマエが唇を開く。

「美味しいです」

秋山を見上げ、ナマエは静かにそう言った。
それが嘘か本当か、確かめる術を秋山は持たない。
もしかしたら気を遣ってくれたのかもしれない。
だが、続いて食べ進めるナマエの姿に、きっと本心だろうと秋山は頬を緩めた。
いつもより小さな手がスプーンを握り締め、いつもより小さな口が一生懸命にオムライスを頬張る姿は何とも微笑ましい。

「好きなだけ食べて下さいね」

秋山はそう告げ、ようやく自分のオムライスをスプーンで掬った。

食後、自分が皿を洗うと言うナマエを風呂に促し、秋山は手早くキッチンを片付ける。
まさか、手伝いを申し出られるとは思ってもみなかった。
もしかしたらナマエはもう、自分で料理も出来るのかもしれない。
母親がいなくなってから、仕事の忙しい父親の分まで家のことはナマエが一人でこなしていたのだろうか。
もしかしたら人はそれを、自立した立派な子どもだと褒めるのかもしれない。
だが秋山は、どうしてもナマエの表情が気になっていた。
決してコミュニケーションが下手なわけではない。
むしろ、大人顔負けの語彙力で的確に言葉を紡いでいる。
しかしそこに、笑顔はないのだ。
そして反対に、怒りや寂しさといった負の感情もまた、ナマエから見つけることは出来なかった。
起伏のなさは、秋山が知っているナマエに通ずる部分だと思う。
大人のナマエも、人に感情を悟らせないことに関しては天下一品だった。
だが、九歳のナマエの方がより強固な壁の内側に閉じこもっているような、そんな印象を受ける。
母親がいなくなったショックを、強く引き摺っているのかもしれない。
秋山はタオルで手を拭きながら嘆息し、今のうちにと部屋着に着替えた。

しばらくすると、ナマエがTシャツとズボンに着替えて部屋に戻って来る。
なるほどこれは寝間着にするつもりだったのかと秋山は感心した。

「使っても大丈夫ですか?」

ドライヤーを片手に、ナマエが秋山を窺い見る。
秋山はベッドを背にして腰を下ろし、ナマエを手招きした。
手を伸ばしてナマエからドライヤーを受け取り、胡座を掻いた足の上をぽんぽんと叩けば、秋山の意図を察したナマエが自分で出来ると首を振る。
だが秋山は、もう遠慮しないことにした。
半ば強引にナマエを自分の上に座らせ、背後からドライヤーで髪を乾かしていく。
ナマエは抵抗することなく、じっと秋山の上で固まっていた。
きっとナマエは、その歳の子どもとしては充分すぎるほどに、家の中のことを何でも一人で出来るのだろう。
本来保護者がするべきことから、まだ甘えて誰かにやってもらってもいいことまで、全て自分でこなすのだ。
そうやってナマエは、一人で生きていく術を覚えようとしている。

「はい、おしまいです」

髪を乾かし終え、ドライヤーのスイッチを切ると、ナマエが振り返って小さな声で秋山に礼を言った。
照れているというよりは戸惑っている様子が見受けられ、秋山は眉を下げる。
その幼い瞳の底にある年齢に似合わない諦観は、表情を覆い隠す大人びたそれは、愛情を諦めているのだろうと悟った。
失われることを、知ってしまったから。
それならば最初から必要ないと、ナマエは諦めてしまったのだ。

「聞いても、いいですか?」

秋山の足の上から降り、隣で膝を抱えて座ったナマエが、不意に秋山を見上げた。

「勿論。なんですか?」
「……秋山さんは、私も、セプター4の隊員だって、言ってましたよね」
「はい」
「だったら、その、すみません」
「……え?」
「仕事、ご迷惑をお掛けしてますよね」

その意味を理解した秋山は、ぐっと奥歯を噛み締める。
どうしてと、叫び出したくなった。
不安でないはずがないのだ。
突然見知らぬ人間によって見知らぬ場所に連れて行かれ、明日がどうなるのかも分からない状態で、親にも頼れずにいるのに。
なぜ自らの置かれた状況を嘆かない代わりに、他人への気遣いを見せるのだろう。

「……大丈夫ですよ、ミョウジさん」

秋山はそっと左手を持ち上げ、ナマエの頭を優しく撫でた。

「セプター4の特務隊は、貴女が鍛え上げた精鋭部隊です。そんなに柔じゃありませんよ」

え、とナマエが意表を突かれたように顔を上げるので、秋山は柔らかく微笑みかける。
今のナマエには到底信じられないだろうが、紛うことなき真実だった。
ナマエにそのつもりがあったのか否かは本人しか知らぬことであるが、特務隊は間違いなく、ナマエの影響を強く受けている。
少なくとも、今の秋山を作ってくれたのは間違いなくナマエだった。

「……だから、その喋り方なんですか?」
「え?ああ、すみません。確かにちょっと変な感じがしますよね」

秋山の口調は、仕事中にナマエと接する時のそれである。
だが、九歳のナマエにしてみれば、大の大人がずっと敬語で喋りかけてくるのは不思議な気分だったのだろう。
職務中か否かで区切れば今はプライベートだし少し口調を崩そうかと考えたところで秋山は、先の看護師と同じ問題にぶち当たった。

「………では、ナマエと呼んでも?」

恐る恐る呼び捨てた名前。
秋山にとっては一大事のそれもナマエにとっては特段何の違和感もないことのようで、拍子抜けするほどあっさりと頷かれた。
それもそうだと秋山は苦笑する。

「俺からも、一つ聞いていいですか?」

ナマエがもう一度頷いたので、秋山は半日ずっと気になっていたことを口にした。

「どうして、信じてくれたんです?」

秋山の話に矛盾がなく、また否定する要素がなかったからだとナマエは言った。
確かに秋山の話を否定すれば、身に纏っていた大きな隊服や街中のモニターに表示される年月日などの説明がつかなくなる。
しかしだからといって、ある種のタイムスリップのような現象をそう簡単に受け入れられるとも思えない。
ナマエが秋山の説明を信用した本当の理由は、何だったのだろうか。

「………あの、茶髪のパーマの人が、お母さんに頼まれてって作り話をした時に、秋山さんが慌てた様子で止めたからです」

意図が掴めず首を傾げた秋山の視線の先、ナマエが自身の膝を眺めたまま話を続けた。

「この人は私の両親が離婚したことを知っているって、分かって。しかも、そこに気を遣ってくれていることも、分かって。その後に、今が十八年後の世界だって言われて、だからもしかしたら秋山さんは、この時代の私が信用している人なのかもしれないと思ったんです」

ナマエがそっと、秋山の顔を見上げる。

「なら、私が秋山さんを信用して、仮に何かあったとしても、きっとこの時代の本当の私は怒ったりしないだろうなって」

そう考えたからだと説明する語尾は、ナマエを抱き締めた秋山の胸元に吸い込まれて消えた。
驚いたように身動ぐナマエの薄い身体を押し潰さないように、だが力強く抱き寄せる。
やはりナマエは、ナマエだった。
ミョウジナマエはいつだって、秋山を幸せにする天才なのだ。
それならば、逆もそうであってほしい。
秋山もまたいつだって、ナマエに寄り添える存在でありたい。

「ありがとう、ナマエ」

耳元に感謝を吹き込んでからその頬に手を添えて顔を見つめれば、静かに秋山を見上げたナマエが、やがて小さく笑った。
初めて目にしたその笑みは、秋山の心臓を鷲掴みにする。

「……やっと、見れた」
「え?」
「笑った顔。可愛い、ナマエ。ありがとう」

流石に九歳の少女に唇へのキスは出来なくて、秋山はナマエの小さな額に口付けた。



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