Wanna Be Your Hope [4]
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セプター4の提携病院に勤める医師は皆、揃いも揃って特異能力の影響を受けた症状に慣れている。
秋山も何度か世話になったことのあるこの初老の医師も同様で、九歳児になったナマエを抱えて飛び込んで来た秋山を見ても全く驚いた様子を見せなかった。
廊下で、ナマエを横抱きにしたまま早口に状況を説明した秋山に「妙な力だねえ」と零した後は、じっくりとナマエを観察している。

「とりあえず、一通り調べてみんことには分からんな。検査室に案内してやってくれ」

医師が、側に控えていた看護師に指示を出した。

「あ、はい。じゃあ……えっと、ナマエさん、こっちに、」

彼女は勿論、ナマエと面識がある。
普段は年上の、しかし今は随分と幼い姿になってしまったナマエをどう呼べばいいのか迷った挙句「ミョウジさん」と「ナマエちゃん」の間を取ったらしい。
看護師に手招きされ、ナマエは秋山の腕の中で身動いだ。
その意図を察し、秋山はゆっくりとナマエの身体を降ろしてやる。
ナマエが自力で立てていることを確かめてから手を離せば、ナマエは躊躇う様子も見せずに看護師に誘導されて歩き出した。
靴下だけを履いた小さな足が、ぺたりぺたりと白い廊下を進む。
秋山もその頼りない背を追った。
"第一検査室"と書かれたプレートの掛かった部屋のドアを開け、看護師がナマエを中へと促す。

「……あの、秋山さん」

当然のようにその後に続いた秋山だったが、苦笑した看護師にやんわりと制されて目を瞬かせた。
秋山を見上げた看護師が、躊躇いがちに言葉を続ける。

「お気持ちは分かりますが、あの、女の子ですので、」

濁された言葉尻に、秋山は「あ」と間抜けな声を上げた。
検査となれば、脱ぐものを脱ぐだろう。
九歳の女の子の肌を、家族でも何でもない秋山が見ていいわけがない。

「すっ、すみませんっ!」

秋山は慌てて飛び退き、後ろ頭を掻きながら謝罪した。
イレギュラーな事態に、どうにも自らの立ち位置が定まらない。
同僚として、そして恋人として二十七歳のナマエを心配する気持ちもあれば、まるで父か兄のような心境で九歳のナマエに対し過保護になるような感覚もあった。

「お前さんはロビーで待ってろ」

苦笑気味の医師にそう言われ、秋山は複雑な心持ちのままに頷く。
先程まで腕の中にあった軽い温もりが失われた不安を誤魔化すように、サーベルの柄を按じた。
それは病院に到着して車を降りようとした際に、秋山が車内に置いてこようとしたサーベルだ。
橋の上では咄嗟に抱えてしまったが、幼い少女を抱き上げる際に武器を携帯しているなんて相応しくないと思っての判断だった。
しかしナマエは、剣帯からサーベルを外しかけた秋山を見て、小さく首を振ったのだ。
仕事に必要なもののように見受けられるから、そのままで構わない、と。
秋山は、幼いナマエの慧眼に舌を巻いたものだった。

医師に指示された通り、総合受付のロビーに設えられたソファに腰を下ろす。
しばらくすると、別の医師に少年を診て貰っていた弁財が戻って来た。

「どうだった?」
「ただの過労だそうだ。恐らく、力を使った影響だろう。今は病室で寝てるよ」
「そうか」
「ああ、道明寺がついてる」

この病院には、ストレインを入院させるための特別病棟がある。
異能の発現を抑え込むことが出来る、黄金のクラン特製の装置が備えられているので、コモンクラスレベルのストレインであれば異能を暴走させることもないはずだった。

「ご両親への連絡は?」
「今榎本が」
「分かった」

少年のことも勿論心配だが、それ以上に秋山は、早くこの能力の真相を探りたいという思いが強い。
元に戻るのか、戻るのであればそれはいつなのか。
以前であれば、宗像がいればすぐさま"全てを秩序の下に還す"ことが出来ただろう。
だがもう王ではない宗像に、それが出来るかどうかは分からない。
秋山がぐっと握り込んだ拳を、弁財が軽く叩いた。

「心配するな、あの人なら大丈夫だ」
「………ああ、そうだな」

秋山は無理にでも同意することで焦燥を落ち着け、その後はただひたすら、ナマエの検査が終わるのを待った。

結論から言うと、検査では何の異常も見当たらなかった。
医師曰く、体重がこの年齢の平均に満たずやや痩せ気味ではあるが、他は至って健康な九歳児とのことだ。
この少女がナマエの過去の姿だという認識に疑問を差し挟むつもりは殆どないが、一応、DNA鑑定用のサンプルも採取して貰った。
それを病院に保管されている二十七歳のナマエのサンプルと照合することによって、事実確認が出来るからだ。
特に入院の必要もないとのことだったので、秋山はナマエを連れて病院を後にした。

「お疲れ様です。先生曰く、何の心配もないそうですよ」

ナマエの靴がないので、秋山の大きすぎる隊服を身体に巻き付けたナマエを再び抱えて車に戻る。
ナマエに必要な衣類諸々の調達は、加茂に依頼してあった。
秋山は生憎、少女の服など選んだ経験がない。
加茂の娘は今のナマエより更に幼いが、それでも、秋山よりはそういった買い物に慣れているだろうと考えての人選だった。

「それで、これからのことなんですが、」

再び車中でナマエと向かい合い、秋山は今後についてナマエの意思を確認する。

「貴女は、セプター4の特務隊という部隊に所属しています。そこの隊員は皆、寮に住んでいるんです。だから貴女の家も、その寮の一室ということになるのですが、」

秋山はナマエの生家を知らないが、恐らく今現在、そこはもうナマエの家ではない。
父と継母の住む家は横浜にあると聞いているが、そこを頼る気がナマエにない以上、屯所の他に行き場所はなかった。

「分かりました」

物分かりが良い様子で、ナマエが頷く。
秋山は咄嗟に口を開きかけ、だが結局適切な言葉を見つけられずに無言で頷くと、運転席に座る隊員に帰投を命じた。
沈黙を守ったまま車に揺られる小さなナマエは、一体何を諦めているのだろうか。
無表情のまま黙り込むナマエの周囲にはまるで見えない壁が張り巡らされているようで、秋山にその心情を察することは出来なかった。

秋山とナマエが屯所に帰着すると、偶然にも買い物から帰って来た加茂と丁度鉢合わせた。
加茂から受け取った大きな袋を覗き込めば、女の子用だと分かる子ども服や小さな靴下などが入っている。
秋山は手短に礼を伝え、ナマエを女子寮に案内した。

「ここが、普段貴女が生活している部屋です」

合鍵で開けたナマエの部屋。
秋山の腕から降りたナマエが、室内をぐるりと見渡した。
約二十年後の自分の部屋に何を感じたのか、その表情からは読み取れない。
だが少なくとも不快感はない様子にほっとし、秋山は早速加茂から受け取った袋を開けた。
ワンピース、半袖のシャツとズボン、下着のパンツと靴下が二つずつ、そしてスニーカー。
なるほど確かに一先ずこれで足りるだろうと、秋山はそれらをナマエに差し出した。

「着替えはこれを。……えっと、一人で大丈夫ですか?」

弟や妹のいない秋山には生憎、九歳という年齢の子どもが生活のどこからどこまでを自力で賄えるのか分からない。
そんな秋山を知ってか知らずか、ナマエは当たり前のように肯定したので、もしかしたら余計な心配をしてしまったのかもしれないと秋山は申し訳なく思った。
ナマエが早速、下着のビニール包装を剥がし始める。

「あ、じゃあ自分は部屋の外にいるので、着替え終わったら呼んで下さい」

そう言い残し、秋山はそそくさと玄関から飛び出した。
九歳の少女に対する純粋な親心だけではく、恋人としての好意も持っているから、どうしても何かいけないことをしているような気分になるのだ。
以前、弁財の姪から熱烈なアプローチを受けた際に特務隊内でロリコン疑惑を掛けられたことを思い出し、秋山は頭を抱えた。
誓って言うが、秋山にそのような趣味は一切ないのだ。
子どもを見て可愛らしいと感じるのは、たとえば道端で猫を見て可愛らしいと感じるそれと同じようなものである。
だがナマエに関して言えば、やはり特別に愛らしく思ってしまうのも無理からぬことだった。
当然のことだろう。
ナマエが被害に遭ったことを幸運だと言うつもりは毛頭ないが、しかしこの事件がなければ絶対に一目見ることさえ叶わなかった幼少期のナマエに、出会えたのである。
秋山が知らない時代の、まだ軍人にすらなっていない、幼いナマエ。
昔の写真なんて見せて貰ったことはなかったが、秋山は以前から、きっとナマエは子どもの頃から可愛かったのだろうと信じていた。
それが今日、秋山の目の前で証明されたわけである。
九歳のナマエは天使のように愛らしかった。
小さな赤い唇、つぶらな瞳、痩せていても子ども特有のふっくらとしたフェイスラインは残されていて、二十七歳のナマエよりも頬が柔らかい。
笑った顔はきっと最高に可愛いのだろうと、秋山は頬を緩めた。
まだあまり表情という表情を見せてはくれない幼いナマエは、秋山に笑いかけてくれるようになるだろうか。
勿論早く元の姿に戻ってほしいのだが、もしそれに時間が掛かるのであれば、その間、秋山は九歳のナマエも大切に大切に慈しみたかった。

こん、と背後でドアが内側からノックされる。

「秋山さん、もう大丈夫です」

耳を疑うような呼称に、だが今のナマエにしてみればそれが普通かと納得し、秋山はそっとドアを開けた。
玄関に、白いワンピースを纏ったナマエの姿がある。
てっきりナマエはTシャツとズボンを選ぶだろうと予想していただけに、その衝撃は大きかった。
二十七歳のナマエであれば絶対に着用しないような、フリルのついた襟元に、ふわりと柔らかく揺れる裾、そしてそこから覗く小さな膝小僧に、控えめなリボンのついた靴下。

加茂、グッジョブ……!!!

秋山は内心で同僚に向けサムズアップしながら、にこりと笑って後ろ手にドアを閉めた。



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