Wanna Be Your Hope [6]
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そろそろ寝ようかという時間になって、秋山のタンマツに道明寺から連絡が入った。
ストレインの少年に対する事情聴取が両親同席のもと行われ、対象を自分と同じ年齢まで巻き戻すという特異能力はおおよそ半日、長くても一日あれば効果が切れると判明したのだ。
それだけ分かれば一先ずは安心だと、細かな取り調べはまた後日行われることになった。
以上の報告を道明寺から受けた秋山は、それをそのままナマエにも伝える。

「元に、戻る?」

そっか、と呟いたナマエを、秋山は複雑な心境で見つめた。
命に別状なく、身体にも異常なく自然と元に戻れるならば、結末としてはこれ以上を望むべくもないほどの僥倖である。
だがナマエが元に戻るということは、ここにいる九歳のナマエは秋山の前からいなくなってしまうということだ。
そしてもう、二度と会えない。
次にこのナマエが秋山と顔を合わせるのは秋山が国防軍に入る時だが、幼い頃に未来の秋山と一度だけ出会っていることは、きっとナマエの記憶に残らない。
二人で過ごしたこのあっという間の半日が、ナマエに刻まれることはないのだ。
せっかく少しだけ笑ってくれたナマエは明日からまた、一人で平気だという顔をして孤独に淡々と生きていく。
人に甘えることも、泣くことも怒ることもせず、血を流す傷を誰にも気付かれないよう抱き締めて静かに毎日を戦うのだ。

「よかった。これで、迷惑をかけずに済みます」

ナマエが秋山を見上げ、目を細めた。
それは確かに苦笑と呼ばれる種類の表情だったが、しかし違う。
そんな作られた笑みを見たかったわけではないのだ。
そんな、人を気遣うための笑顔を浮かべてほしかったのではない。

「……迷惑だなんて、一瞬も思わなかったよ」

矛盾している。
二律背反だ。
万が一、二十七歳の、この時代にとっての本当のナマエが帰って来ないと分かれば、秋山はきっと気が狂ってしまう。
だがそれでも、ナマエを取り戻すためならばここにいる九歳のナマエが不要なのかと問われれば、それもまた違うのだ。
当然だ。
偶然にも同じ時代で二人のナマエに出会ってしまっただけで、本当は一人の人間なのだから。
九歳のナマエも二十七歳のナマエも、どちらも秋山が世界で一番愛している、唯一無二の存在だ。

「……君の生きる時代で、出会いたかった。もっと早くに、君を見つけたかったよ」

今ここにいるナマエが九歳ということは、彼女の生きる時代において、秋山は八歳の少年ということになる。
八歳の秋山は、どこで何をしているのだろうか。
どうしてもっと早く、ナマエを見つけられなかったのだろう。

「秋山さんと私は、いつ会うの?」
「俺が二十二の時だから、君が二十三歳になったら」
「秋山さんに会える?」
「うん。会えるよ、ナマエ。必ず会える」

秋山はタンマツをベッドの上に放り、再びナマエを抱き締めた。

「絶対に俺が、君を見つけるよ。君がうんざりするほどアタックして、最後には泣き落とすから」

今となっては懐かしい告白を思い返し、秋山は一人でこっそりと微笑む。

「だから、二十二歳の俺に会いに来て」

今のナマエにとって、生きるのはつらいことかもしれない。
誰にも頼れず一人で生きるには、この世界は残酷だ。
でもこの先ナマエは、親友と呼べる存在に出会い、たくさんの仲間を得て、そして秋山と巡り会う。
秋山の存在は、ナマエがそれまで耐え抜いてきた日々への対価にはならないかもしれない。
だがそこから、二人で始めるのだ。
ナマエが一人で生きてきた年月よりも長く、二人で過ごそう。
きっと、たくさん笑わせてみせるから。
きっと、素直に怒ったり甘えたり出来るように、してみせるから。
だから、二人の人生が交差するその時代まで、会いに来てほしい。

「うん」

小さく頷いて秋山の胸元に顔を埋めたナマエを目一杯に抱き締め、秋山は祈った。

やがてうとうとと舟を漕ぎ始めたナマエに、眠っている間に元に戻ってしまうかもしれないからと、二十七歳のナマエが普段眠る時に着用しているTシャツに着替えさせる。
肩幅はともかくとして、今のナマエが着るとワンピースのようになるので丁度良かった。
ナマエを抱えてベッドに潜り込み、指摘されないのをいいことに腕枕を差し出す。
小さな身体は柔らかみが少なく骨張っていたが、普段よりも温かかった。
いつもと少し異なる匂いがするのは、気のせいだろうか。

「……いつもより眠くなる……」

腕の中で零された一言に、秋山はナマエの頭を撫でる。
ストレインの能力を受け、さらには初対面の相手に連れ回されたのだ。
疲れているのは当たり前である。

「あったかい……」

小さな身体に無理をさせたことを申し訳なく思っていた秋山は、吐息のように漏らされた言葉に目を瞠った。
ああ、そうかと、秋山は今更ながらに思い知る。
いずれ失うのならば要らないと愛情を諦めたナマエは、それでも、ずっとそれを無意識のうちに求めていたのだ。
永遠なんてないと、変わらないものなんてないと知って、それでも。
幼い頃のナマエは、こうして誰かに抱き締めてほしかったのだ。

「秋山さん、」
「氷杜、と」
「……ひもり、」
「なに、ナマエ」

今と変わらない艶やかな黒髪を梳きながら、ナマエの言葉を待つ。

「オムライス、美味しかった」
「うん」
「優しくしてくれて、ありがとう」
「……うん」
「仲良くしてあげてね」
「ナマエ」
「なに?」
「俺が好きなのは君だ。他人事にしないで」
「……でも、私は、」

ナマエの頤を指先で包み、顔を上げさせた。

「君が好きだ。九歳の君も、十歳の君も、十五歳の君も、二十歳の君も、二十三歳の君も、二十七歳の君も。そして、六十になっても七十になっても。俺が好きなのは、ずっと君だ」

秋山の好きな瞳が、真っ直ぐに見上げてくる。

「必ずまた会えるから。俺を信じて」

やがて瞼を伏せたナマエは再び秋山の胸元に顔を擦り付け、そして長い長い沈黙の後に小さく頷いた。


秋山は最後までナマエを見送るつもりで夜通し起きていたのだが、明け方、僅かにうとうとしてしまい、はっきりと目を覚ました時にはもう腕の中に二十七歳のナマエが帰って来ていた。
引き締まった肢体、柔らかな膨らみ、慣れ親しんだ重み、掌に馴染む感触。

おかえりなさい。

秋山は朝日の中で目を細め、静かに眠るナマエを抱き締めた。
嗅ぎ慣れたナマエの匂いが鼻孔を満たす。
離れていたのはたった半日なのに、随分と久しぶりに顔を見たような気がした。
油断すれば泣いてしまいそうなほど、腕の中の存在が愛おしい。
元に戻って良かった、無事で良かった。
秋山は心の底から安堵し、ナマエの額にキスを落とした。

やがて目を覚ましたナマエは昨日のことなどまるで覚えていない様子で欠伸をし、いつも通りに朝の支度を始めた。
秋山もまた余計なことは何も言わず、ナマエのためにカフェオレを淹れる。
昨夜九歳のナマエが使ったスプーンと皿を見て、胸懐が切なさに震えた。
もう、九歳のナマエはどこにもいない。
あれからの十四年間をナマエは生き抜き、そして国防軍で秋山と出会ったのだ。
どのような人生だっただろうか。
つらかっただろうか、寂しかっただろうか。
秋山は、その日々をちゃんと埋められているだろうか。

「ナマエさん、どうぞ」
「ん、ありがと」

手渡したマグカップを受け取ったナマエが、美味しそうに中身を啜る。
少なくとも、飲み物や食べ物をこうして作って差し出すことは出来ているのだと思うと、秋山は救われる思いだった。


出勤すれば流石に、昨日の事件についてナマエに説明せざるを得なくなる。
秋山から一通りの報告を聞き終えたナマエは、当事者である自覚など殆どなさそうな薄い反応だけを示し、道明寺と共にストレインの取り調べに向かった。
自身のことについて無頓着なところは相変わらずだと、秋山は苦笑を零すしかない。

昼休憩になって屯所に帰投したナマエと共に、食堂で昼食をとる。

「そういえばあの子ね、母の日に花を摘んであげるんだって」
「ストレインの少年ですか?」
「そう。あの橋、登下校のルートじゃないからさ、何してたのか聞いたの。そしたら、お母さんにあげるのはどんな花がいいか、あちこち探してたんだって」

微笑ましい話に、秋山は頬を緩めた。
恐らく今回の一件は、ナマエが事件ではなく事故として処理するのだろう。

「私も、今年はやっぱり花にする」
「……俺も、贈ってみようと思います」
「うん。お母さん、喜ぶんじゃない?」
「逆に何かあったのかと心配されそうですが、」

秋山は苦笑し、そういえばと話題を変えた。

「今日の夕食、オムライスでいいですか?」
「ん?」
「昨日、約束したじゃないですか。チーズオニオンスープオムライス」

事件のせいで食べさせてあげられなかったから、と秋山が付け足せば。
食事を終え、トレイを返却口に返すべく立ち上がったナマエが、不思議そうに首を傾げた。

「秋山、二日連続じゃ飽きない?」
「ーーー え?」
「美味しかったから、私はそれでもいいけどね」

じゃあお先、とナマエが後ろ手を振って歩き去る。
食堂を出て行くナマエの横顔は、幸せそうに笑っていた。





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