甘い永遠を願った[3]
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「……ナマエ、さん……」
「うん」
「ナマエさん……っ」
「うん」

左手を上げ、恐る恐る、頬に添えられたナマエの手に自らのそれを重ね合わせる。
そのままゆっくりと、小さな手を包み込んだ。
瞼を下ろしてその温もりに溺れれば、目頭が熱くなる。

「俺も、」

許されないと思った。
そんなことを言う権利など、もうないと思っていた。
でも、もし許されるのであれば、何よりも伝えたい言葉があった。

「俺も、貴女のことが、好きです」

瞼を持ち上げ、ナマエの双眸を正面から真っ直ぐに見つめる。
愛おしさが、胸を裂いて溢れ返りそうだった。

「誰よりも貴女のことが、ずっとずっと、大好きです」

今年の四月で、秋山がナマエに出会ってから丸五年になる。
想いが重なるなんて絶対にあり得ないと思っていた時期もあれば、傷付いたことも、傷付けたことも、疑ったこともあった。
それでも、ナマエを好きだという想いだけは、たったの一度だって失ったことはない。
そしてそれはこの先も一生、この命が尽きるまで、絶対に変わらないと秋山は確信していた。

「うん。……ありがと」

秋山の告白を聞き届けたナマエが、珍しくはにかんだような笑みを浮かべる。
どこかいとけなさを滲ませたその表情を目にして固まった秋山の隙をついて、ナマエが身を乗り出した。
秋山が反応する間もなく、秋山の両肩に手を置いてそこを支えとしたナマエに、唇を奪われる。
久しぶりの感触に目を瞠った秋山の視界いっぱいに、瞼を閉じたナマエの顔が映った。
一拍遅れて、キスをしているのだと自覚する。
次の瞬間、秋山の両腕はナマエを抱き締めていた。
後頭部と背中にそれぞれ手を回し、きつく掻き抱いて口付けを深くする。

「……っ、ん、ぅ……ッ」
「ーー は、っ、ぁ……」

重ね合わせた唇の隙間から、互いの荒い呼気が漏れた。
舌が絡み、唾液が混ざり、身体が密着する。

やっと、触れられた。
もう一度、触れられた。

秋山は、呼吸すら放棄して腕の中の温もりに溺れる。
どれほど強く抱き締めても、どれほど奥まで舌を挿し入れても足りなかった。
酩酊した思考はすでに全くの役立たずで、熱に浮かされている。
一度触れてしまえば、圧倒的な渇きを無視することは難しかった。
足りない、足りない、足りない。
もっと隅々まで全てが欲しいと訴える脳に対して正直に、秋山はナマエの唇を貪った。
柔らかく甘美な温もりは、秋山を虜にする。
全てを食べ尽くす勢いでナマエの咥内を蹂躙しながらブラウス越しにその身体を弄っていた秋山は、しかし、ある一点に秋山の手が触れた瞬間大きく身体を震わせたナマエの反応を受け、まるで鞭打たれたかのように激しく仰け反った。

「ーーッ」

散り散りになっていた理性が、急激にその形を秋山の中で作り直す。

「す、みませ……っ、ナマエさん、すみません、もうしません」

我に返った秋山は、己を絞め殺したくなった。
前回互いの肌と肌とを重ねた際、秋山は酷い無体をナマエに強いたのだ。
ナマエが怯え嫌悪するのは当然のことである。
分かっていたはずなのに、自分は一体全体何をしているのか。
欲望が先走り、危うく同じ過ちを繰り返しかけた秋山は、冷静になろうと深く息を吐き出した。
勝手に暴走したことをもう一度謝ろうと、目線を上げる。

「氷杜、大丈夫だから」

しかしその時、秋山の下劣な欲望から守られるべき対象のナマエが、その箍を不用意に揺らした。
随分と久しぶりに呼ばれた名前、そこに込められた意味。
秋山は腰が重くなるのを感じ、慌ててナマエから距離を取った。

「……氷杜?」
「駄目です、ナマエさん……駄目、」

秋山は両の拳を膝の上で硬く握り締め、唇を噛んで頭を振る。

「俺のことなら、気にしないで下さい。大丈夫です。……怖がらせて、すみませんでした」

一度無理矢理身体を重ねておいて、こんなことを言っても説得力は皆無だろう。
だが秋山の、ナマエが嫌がることはしたくないという思いは、今度こそ本物だった。
ナマエの愛情が自分に向けられていることを、知ったのだ。
秋山はもう、それだけで充分だった。
宗像に奪われまいと、醜悪で稚拙な独占欲をナマエにぶつける必要はない。
当然、欲を言えばその身体に触れたいが、それはナマエを怯えさせてまで叶えたい願いではなかった。
秋山は、ナマエの隣にさえいられるならば、それでいいのだ。
もう多くは望まない。
一度酷く傷付けてしまったナマエにこれ以上の恐怖と忍耐を強いるなんて、あり得なかった。

「もう触れませんから、だから、どうか信じて、」
「ばか」

信じて下さい、と続くはずだった秋山の懇願はしかし、途中で遮られる。
短い罵倒に、秋山は口を噤んだ。

「誰が、怖がったの」
「ーー え、……あの、」
「誰も、嫌だなんて言ってない。今のはただ、怪我したとこが痛かっただけ」

ぐらりと、脳が揺れる。
都合の良い解釈をしようと性懲りもなく動き始めた思考を、秋山は無理矢理断ち切った。

「ナマエさん……ナマエさん、ねえ、駄目です。俺が貴女に何をしたか、まさか忘れたわけじゃないでしょう……?」

嫌だ、待って、痛い、と。
そう訴え続けたナマエを、秋山は犯したのだ。

「もう二度と、傷付けたくないんです。あんな……っ、俺は、もう、」
「秋山」

要領を得ない秋山の訴えを、唐突にナマエが遮った。

「君は、私に、何をしたの」

秋山は、愕然として固まる。
その質問をナマエがどういうつもりで発したのか、全く理解出来なかった。
改めて秋山にその単語を口にさせることで、罪の意識を明確にさせたいのだろうか。

「俺は、貴女に、無理矢理……性行為を強いたんです。例え交際をしていても、それは、ごうか、」
「そんな覚えはないよ、秋山」

その悍ましい単語を、最後まで言い切ることは出来なかった。
真っ向から否定され、秋山は困惑する。

「私は君に無理矢理セックスをされたことは一度もない」

繰り返される、認識の相違。

「……だって、あの時貴女は、嫌だと。やめてほしいと、そう言ったのに、それを分かっていて俺は、」

それは今も秋山の耳に残っている、悲痛な声だった。
常の飄々とした雰囲気も、悪戯っぽい甘さもない、全ての余裕を失った声だった。
間違いなくあれは本気の拒絶だったのに、秋山はそれを無下にした。

「だって秋山、傷付くでしょ」
「………え……?」
「室長とのこと、誤解したまま嫉妬に任せてセックスしたら、君は後悔すると思ったから。だから、今は嫌だ、待ってって、そう言った。あの時はまだ、弁解出来るタイミングじゃなかったから」

突然、強制的に思考を百八十度反転させられる。

「クリスマスの朝だって、いつも君が四回戦だか五回戦だか始める時だって、確かに嫌だとは言うけど、でも本気で君とのセックスをしたくないと思ったことは一度もない」

酷く真剣な表情で語られる内容に、秋山は呆気に取られて口を半開きにした。

「君が傷付くことになるのが分かってたから、嫌だったよ。でも、セックス自体が嫌だったわけじゃない」
「………でも、痛いって、あんなに、」
「そりゃ流石に痛かったよ。久しぶりだったし、慣らしてなかったし。でも別に裂けたりはしてないよ」
「そんな、そういう問題じゃ、」

問題を追及して相手を責めるべきなのは、立場上ナマエのはずだ。
それなのになぜか、秋山自身が必死で責められるべき点を探していた。

「まあ、出来れば今後はもう少し慣らしてからにしてほしいけど。でもあれのおかげで、君が普段どれだけ丁寧にしてくれてるのかよく分かったから、それはそれで良かったかもね」

良くない、良いはずがない。
どうしてナマエは、まるで何事もなかったかのように笑っているのだろう。
どうして一言も秋山を責めないのだろう。
疑問はそのまま言葉となって口から零れた。

「どうして、責めないんですか……?貴女だって、分かってるんでしょう?それは詭弁だって、分かってるはずなのに、どうして……!」

確かに、言葉が続く限り非難され、罵られ、そのまま別れ話をされたかったわけでは決してない。
だがまさか、許されるどころか、犯した罪そのものさえなかったものにされるとは思ってもみなかった。

「正論も邪論もないよ。私の感じたことが、私の真実。だから君にそれを伝えてる。そこからどう判断するかは、君が決めればいい」

ああ、ほんとうに、このひとは。
本当に、秋山が強姦だと認識したあのセックスそのものを、嫌だとは思っていなかったのだ。



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