貴女が望む全てになれたならば[1]
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貴女はこんな俺を、馬鹿だと嗤うだろうか。


夢を見ていた。

その中で、ナマエは秋山に寄り添っていた。
白いシーツの上、秋山の二の腕を枕にして、目を閉じている。
それを見て、秋山はすぐに夢だと理解した。
現実では、隣で眠ることは多々あれど、ナマエに腕枕をしたことは一度もなかったからだ。
緊急出動になった時、片腕が痺れていては戦闘に支障を来すからという理由で、ナマエが秋山に腕枕をさせてくれたことはない。
夢の中で秋山の腕を独り占めするナマエは、瞼を伏せてこそいるものの眠ってはいなかった。
横向きになって頭を秋山の腕に乗せ、片手は秋山の着るシャツの端を掴んでいる。
密着する心地好い温もりに頬を緩め、秋山は空いた手をナマエのそれに重ねた。
優しく握り込めば、ナマエがひっそりと笑う気配。

「あったかいね」

それは体温の差という物理的な話か、それとも共に眠るという状況における叙情的な話か。
どちらにせよ、秋山は同意する以外の答えを持ち合わせてはいなった。
冬の寒い夜に最愛の恋人を抱き締めて眠る、その幸福に包まれる。
人間にはこんなにも誰かを愛おしく思うことが出来るのだということを、秋山はナマエと出会って初めて知った。
傍にいる、触れ合っている、ただそれだけで満たされる。
秋山にとって、ナマエは幸福そのものだった。

「ナマエさん」

その名を呼んだだけで、それが許されているという事実だけで、喜悦が溢れ返る。

「ん?」

秋山の脇に顔を埋めたままのナマエから、くぐもった声が返って来た。
それすら至福と評すれば、大袈裟だと呆れられるのだろうか。

「俺のことが好きですか?」

夢の中の秋山は、躊躇なく、まるで睦言のように問う。
そしてそれは、ナマエも同様だった。

「ん、好き」

現実ではあり得ないほど直截的な返答に、秋山は相好を崩す。
握り締める手の力が強くなった。

「誰よりも?」
「うん」
「本当ですか?」
「ほんとだってば」
「……室長よりも?」
「室長よりも」

夢には、普段は抑圧されている願望が如実に現れるケースが多いと言う。
なるほどその通りだろう。
そう容易に訊ねることは憚られる、しかし今の秋山にとって最も知りたい質問が、ぽろりと零れ落ちた。
そして、秋山の渇望する回答が、夢の中では当然のごとく返される。
それは、甘くて愚かな幻想だった。

「ずっと、一緒にいて下さいね」

身体の向きを変え、ナマエの痩身を抱き締める。
その髪から煙草の匂いがしないというただそれだけで、安堵に包まれた。
口にした言葉の、なんと非現実的なことだろうか。
約束を取り付けるには不完全で、睦言にしては陳腐な台詞。
それでも躊躇なく頷いてくれるナマエの身体を掻き抱いて、秋山はその温もりに溺れるのだ。

「浮気、しないで下さいよ?」

女々しい懇願。
腕の中で喉を鳴らしたナマエが、秋山の背中を叩いた。

「もう、分かったってば」

痛みなど全くない、小動物が戯れるような接触。
背中に得たその感触で、秋山は夢から醒めた。

幸福で愛おしい、最悪の目覚めだ。

シーツに投げ出された己の腕にナマエの姿がないことを知り、秋山は開いたばかりの瞼を下ろすと俯せになって枕に顔を押し付けた。
一人きりのベッド、失われた温もり。
秋山は、下段で眠っているであろう同僚に異変を気取られないよう、声を殺して乱れた呼吸を整えた。
この一ヶ月で、夢の中にナマエが現れるのはもうこれで何度目だろうか。
それと同じ数だけ秋山は、絶望的な目覚めも経験した。
現実では言葉を交わすどころかその姿を見ることさえ殆ど叶わない今、たとえ夢の中であったとしても会えること自体はとても幸せだ。
だが夢とは時に残酷なもので、秋山は幾度、ナマエと宗像が寄り添う姿を強制的に見せつけられただろうか。
一度、二人が身体を重ねる状況を再生された時にはその悪夢に大層魘され、同室の弁財に叩き起こされたほどだった。
それに比べれば今日の夢は、随分と秋山にとって都合の良い、幸福な内容だったと言えるだろう。
だがそれでも今日ばかりは、会いたくなかったと思ってしまった。

今日は、ナマエの二十七回目の誕生日だ。

恐らく本人は、失念しているだろう。
それとも宗像が、祝っているのだろうか。
容易に想像のつくその状況に、秋山は唇を噛み締めた。
今日この口からナマエを祝う言葉が本人に直接伝えられることはないというのに、宗像はいとも簡単にそれを叶えることが出来るのだ。
秋山の机の上にはナマエへのプレゼントが置いてあるが、これもまた、ナマエの手に渡ることはない。
それなのに、宗像はきっと、何かしらの贈り物をナマエに差し出すのだろう。
そこに、嫉妬心以外の何を感じろと言うのだろうか。
秋山は思わずシーツに拳を振り下ろしかけ、下で眠る親友の存在に寸前でその手を止めた。
行き場を失った右手で、寝癖のついた髪を乱雑に掻き混ぜる。
不意に、昨年のナマエの誕生日を思い出した。
去年は誕生日の前日に二人の非番が重なり、デートをする予定だったのだ。
だが緊急出動により非番は潰れ、その任務後、ひょんなことから特務隊のメンバーたちと居酒屋でナマエの誕生日を祝うことになってしまった。
二人きりが良かったのに、と内心で拗ねた秋山の感情を見抜いていたのか、日付が変わる少し前になって、ナマエがとんでもないサプライズを秋山にくれた。
そう、あの時初めて、ナマエと秋山の恋人という関係性が、特務隊に明かされたのだ。
あの瞬間の驚愕と、遅れてやってきた圧倒的な幸福感を、秋山は今でも憶えている。
隊員たちの大絶叫を背後に浸った優越感を思い出し、秋山は自虐的に笑った。

なにが、優越感だ。

今それを感じている人間がいるとすれば、それは宗像に他ならないだろう。
それとも宗像にとっては、当然の結末だろうか。
秋山はずっと知っていたし、それを恐れてもいた。
宗像がその気になれば秋山からナマエを奪うことなど、容易いのだということを。
そして事実、宗像は実に呆気なく、それをやってのけたのだ。
正確に言えばまだ、破局という明確な結論は出ていない。
だがそれは単に、会話をする機会がないからではないだろうか。
クリスマス作戦からもう間もなく一ヶ月が経とうとしているが、その間に秋山がナマエと顔を合わせた回数はたったの三回だけだった。
一度目は作戦直後に青雲寮で、二度目は元日に情報処理室で、そして三度目はその約一週間後に宗像の執務室で。
その全てを合わせても、交わした言葉は非常に少なかった。
ナマエ側の意見として、別れ話をする暇がなかったと言われればそれまでかもしれない。
当然のことながら、秋山にその意思は全くないのだ。
ナマエがどう思っていたとしても、仮に宗像のことが好きだと告白されたとしても、絶対に、秋山はナマエを手放せない。
どれほどみっともなくとも泣いて縋り、それこそ力尽くでも、繋ぎ止めておきたい。
だが果たしてあのナマエを相手に、秋山のそんな愚行は成立するだろうか。
さらに宗像が絡んでしまえば、きっと秋山には抵抗という抵抗さえ許されないのだろう。
王という存在を前に、秋山はあまりにも無力で矮小だった。
それはもうすでに現実として証明されている。
恋人という肩書きを持っているはずなのに秋山は、目の前で宗像がナマエを抱き締めても、宗像がナマエの髪を掬っても、一切口を挟めなかったのだ。
触れるなと牽制することも、彼女は自分の恋人だと啖呵を切ることも、無理矢理引き剥がすことも、出来なかった。
それは本当に、秋山が宗像の部下だからという、それだけの理由だっただろうか。
心のどこかで秋山は、その姿を自然なものと受け止めてしまったのかもしれない。
ずっと前から、ナマエに似合うのは己ではなく宗像だと、秋山は知っていた。
決して認めたくはないが、ナマエはもしかしたら在るべきところに収まったのかもしれない。



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