貴女が望む全てになれたならば[2]
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秋山はベッドの梯子を下り、デスクの上から紙袋を取り上げた。
中に、忙しい日々の合間を縫って購入したナマエへのプレゼントが入っている。
実はそれなりに高額だったのだが、きっと宗像ならば、もっと高級な品をナマエに贈るのだろうと思った。
別に秋山は、金額でプレゼントの価値が決まると言いたいわけではない。
より相手が喜ぶ物であれば、それこそが何よりも重要だろう。
だがこうして何かにつけて宗像と己を比較した時、その度に秋山は自身が宗像に到底及ばないことを痛感させられるのだ。
王と一般人とを比べるなんて、その発想自体が間違っているのかもしれない。

「おはよう」

背後から掛けられた声に、秋山は振り向いた。
二段ベッドの下段で、弁財がゆっくりと上体を起こす。
その所作は、彼にしては随分と気怠げだった。
無理もない。
過去最多のストレイン発生数を記録し、今なおその数値を更新し続けている今月、セプター4の隊員たちは肉体的にも精神的にも酷く疲弊していた。

「おはよう、弁財」

秋山は紙袋をデスクに戻し、椅子に腰を下ろす。
起きたばかりだというのにこんなにも疲れているのは、三時間眠っただけでは解消されなかった寝不足のせいか、それとも夢の内容のせいか。
恐らく、根本的には後者だろうと思った。
ナマエとの関係さえ崩れていなければ、たとえ毎日に忙殺されていたとしても、もっと精神的余裕を持てたのだ。
病は気から、ではないが、ここ一ヶ月、秋山の体調は控えめに表現しても良好とは言い難かった。
万能にして唯一の薬がないのだから、怪我も病気も治しようがない。
つくづく、ナマエという存在は秋山にとって諸刃の剣だった。

秋山が何を見ていたのか理解したらしい弁財が、気遣わしげに眉を下げる。
この一ヶ月、弁財には心配を掛けてばかりだった。
直接的に慰めの言葉を与えられたことこそなかったが、その視線や話題の選択からは、常に弁財の心遣いが感じられる。
秋山が人間として必要最低限の生活を送れているのは、間違いなく弁財のおかげだった。

「そうか、今日か」

この状況で敢えて知らない振りをするのは、逆効果だと判断したのだろう。
核心を突かれ、秋山は薄く笑った。

「ああ」

誕生日という喜ばしい話題のはずが、室内の冷え切った空気はまるで命日のようだ。
弁財も、今は何を言っても無駄だと悟ったのだろう。
朝の洗顔を理由に、部屋を出て行った。

真冬の早朝、一人きりになった部屋はあまりにも寒々しい。
秋山は温もりに縋りたくて、デスクの抽斗を開けた。
クリアファイルに挟んで保管してある白い封筒を、慣れた手付きで取り出す。
秋山氷杜様、と綴れられた文字をしばらく眺めてから、中の便箋を広げた。
この手紙に目を通すのは、果たして幾度目のことだろうか。
数え切れないほど何度も、秋山はナマエから贈られた言葉を読み返してきた。
実はもう、見なくてもその内容を一字一句違えることなく諳んずることが出来るのだ。
全て記憶してしまった文面をそれでも実際に視覚で追うのは、ナマエの手で生み出された文字を直接見たいからだった。
一ヶ月近く触れていない温もりの片鱗が、この手紙に残されているような気がするから。
秋山、誕生日おめでとう、から始まる文章に、秋山はゆっくりと視線を走らせた。

ナマエさんこそ、おめでとうございます。

直接伝えることは恐らく叶わない祝福を、胸の内で呟く。
ナマエは秋山の外見が二十六歳には見えないことについて触れているが、秋山からすればナマエの方こそ、二十七歳には見えなかった。

お互い様ですよ、ナマエさん。

ナマエ曰く、計画性のない手紙。
だからこそ本心だと分かる、言葉たち。
君がいてこその特務隊です。
背筋を伸ばして、ただただ直向きに任務に就く姿勢を、誇らしく思います。
どうか胸を張って、変わらぬ君でいてね。
繰り返し読んでも胸を熱くするその文章に、秋山は何度も救われてきた。
この言葉がなければ、もしかしたらこのひと月の間に心が折れていたかもしれない。
己の信念を支えてくれる、掛け替えのない激励だった。

ちゃんと、分かっています。

この非常時に際し、秋山が揺らぐわけにはいかない。
淡島を支えるために、特務隊の規範であるために、部下達を率いるために。
そして、ナマエの信頼に応えるために。
手紙に綴られた、感謝と愛情。
まるで照れ隠しのように撒かれた甘い暴言。
甘えてます、という一言が、秋山はとても好きだった。
何をしてもいい。
秋山を都合良く利用しても、身勝手に振る舞っても、構わない。

最後に貴女が、この腕の中に帰って来てくれるならば。

どれほど傷付けられても、全て赦してみせるから。
だからどうか、戻って来てほしい。
たまには我儘も言って下さいと、手紙に記したのはナマエの方だ。
これを秋山の最後の我儘だと思って、叶えてはくれないだろうか。
そうしたらもう二度と、困らせたりはしないから。
聞き分けの良い、面倒の少ない恋人になれるよう努力するから。
だからもう一度だけ、宗像ではなく秋山を選んで欲しい。
平凡で情けなく、何の取り柄もない馬鹿な男だ。
宗像の方が人として優れていることも、ナマエにお似合いであることも、重々承知している。
それでも、ナマエに対する愛情だけは誰にも、宗像にさえ劣らないと、秋山は自負していた。

二枚目の便箋に綴られた一文を、秋山は指先でなぞる。

「……俺も、愛してます」

そっと唇に乗せた返事は、伝えたい相手に届くことなく溶けて消えた。





貴女が望む全てになれたならば
- 今すぐその手を取って、奪い返してみせるのに -




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