傷付いては傷付けて[3]
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「君はどうして、この命令を受けてくれたのですか?」

頭上から降って来た問いに、ナマエはようやく顔を上げた。
座卓の空いたスペースに肘をつき、宗像に眺め入る。
心底、不思議がっている様子が窺えた。

「何度も言ってますけど、私が貴方の部下だからですよ。上官の命令は聞くものでしょう」
「君は、承服しかねる命令には従わない人のはずですよ」

宗像の返しに、ナマエは薄く笑う。
答えを口にしておきながら気付かないなんて、宗像らしくなかった。

「………何故です?」

ナマエの沈黙を正しく解釈した宗像が、さらに首を傾げる。
宗像の命令が承服しかねるわけではなかったから、という理由の、さらにその訳を知りたがる問いに、ナマエは目を細めた。

「何を今更」

宗像は、クランズマンという存在を甘く見過ぎているのではないだろうか。
王と仰ぐ存在のためにクランズマンが成し得ることは、きっと宗像が想像しているよりも厖大だ。

「答えは、みんなが教えてくれますよ」

ナマエは、質問の回答として相応しい言葉を知らなかった。
だから、そう言ってノートパソコンを再び開く。
休憩時間は終わりだった。
ナマエの態度からそれを察したらしい宗像が、追及の手を緩めてくれる。
宗像のそういうところが、ナマエは好きだった。

「再来週末に、jungle主催のジャングルブートアップレセプションっていう、おセレブパーティがあるんですよ」
「ほう」

タブレットを操作し、宗像に向けてホログラムを表示させる。

「総理は勿論、各国政府の高官やら各業界の著名人やら、それはそれは大層な面子になること間違いなし、というのが私の読みです」

宗像の口角が愉しげに引き上げられた。
こういう時、ナマエはこの男に秘められた不羈の才を突き付けられる気がする。

「参加者リストが手に入れば、jungleの息の掛かった人物を特定出来るかと」
「なるほど、面白いですね。やってみましょう」
「副長ですか?」

長い指を顎に添え、宗像が首肯した。

「ですが、彼女一人では心配ですね。吠舞羅の参謀殿にも巻き込まれて頂くとしましょう」
「……夫婦役で?」
「彼に淡島君は勿体無い気がしなくもないですが、致し方ありませんね」

まるで娘を持つ父親のようなことを言い始めた宗像に、ナマエは苦笑する。

「分かりました。二人分の戸籍を捏造しておきます」

こういう時、戸籍課という隠れ蓑でもあり建前でもある部署はありがたかった。
存在しない人間を生み出すことがこんなにも容易な立場は他にない。

「淡島君には私から説明しておきます。参加者リスト以外に何か必要なものはありますか?」
「モノはそれさえあれば。後はまあ、おセレブ様方が何を企んでおられるのか、適当に盗み聞きしてきて貰えれば尚良し、ってところじゃないですか?」

政府内におけるセプター4という組織への認識や、jungleシステムがどの程度国の中枢に食い込んでいるのか等、そのような内容の会話が拾えれば儲け物だろう。
同意するように宗像が頷いた。

「善条さんの方はどうなりましたか?」

転換した話題に、ナマエは肩を竦める。
生憎、こればかりは痛いところを突かれた気分だった。

「あーー……、あと一週間欲しいです」
「ふふ。流石の君でも鬼は手強いということですか」
「そりゃ、室長が苦戦したのに私がスムーズにゴールするわけにもいかないでしょう」

ナマエの負け惜しみに、宗像の笑みが深まる。
そういうところは嫌いだと内心でぼやきながら、ナマエは反省の意味も込めて手の内を明かした。

「善条さんは、カテドラル時代の鳳聖悟とそれなりな因縁があるようで。その辺りを調べ尽くしてからもう一度アタックするので、あと少し待って下さい」
「見込みはある、と?」
「同じ男に二度振られるような真似はしませんよ」

若干の屈辱感から冷静さを欠き、言葉の選択を誤ったことに気付いたのは一瞬後のことだ。

「私は同じ女性に二度振られましたけどね」

そして当然のことながら宗像は、それを見逃してはくれなかった。
あまりに自分らしくない失態に、ナマエは頭を抱えたくなる。
この失言に、寝不足という言い訳は通用するだろうか。
さていかにして挽回しようかと脳味噌を目一杯に回転させて口を開きかけた時、ナマエの声帯が音を発する前に別の方向から空気が揺らされた。
部屋の外から響いたノック音。

「どうぞ」

宗像が短く応えると、執務室の扉が開かれた。
そこに立つ人の姿に、ナマエは少しばかり目を瞠る。
室内に足を踏み入れたのは、秋山だった。

「失礼しま、ーー す」

宗像だけでなくナマエの姿をも視界に捉えた秋山が、あからさまな動揺を見せる。
やはり時宜を得ないのは秋山だと、ナマエは内心でこの状況に辟易した。

「どうしましたか、秋山君?」

そんな中、一人だけ愉しげな様子を隠そうともしないのが宗像である。
つくづく、性質の悪い男だった。

「あ、その……、副長が不在のため、代わりに定時報告を、」

呆然とナマエを見つめていた秋山が、狼狽した様子で宗像に視線を向ける。
宗像に促されてタブレットを片手に口頭で報告を始めた秋山を眺めながら、ナマエはじくりと疼く胸裡に眉を顰めた。
少し、痩せただろうか。
隈も以前より酷くなっているように見受けられた。
寝不足なのはただ単に仕事が忙しいからなのか、それとも他に眠れない理由があるのか。
後者の場合、原因などナマエが一番理解していると言っても過言ではなかった。
心当たりがありすぎる。
明らかに不自然なほど何度も言葉につかえながら喋る秋山を直視していられなくなり、ナマエはパソコンの画面に視線を落とした。
そんなナマエを横目で確認してきた宗像に、舌打ちを見舞いたくなる。
今すぐにこの場から逃げ出したい気分だった。

怯えないでほしい。
揺らがないでほしい。
悲しまないでほしい。

身勝手に願うそれらが理不尽な無理難題であることを、ナマエは理解していた。

宗像への忠誠、秋山への愛情。
それら二つは、思考の土俵が違うのだと思っていた。
分かりやすく言えば、宗像と向き合う時が公で、秋山と向き合う時は私だ。
そこには明確な差異があり、照らし合わせて比較することも、またその優劣を決めることも出来ないのだと考えていた。
だが、人間の感情は全てを総括した上に芽生える。
仕事だからプライベートだから、で分類出来るものではなかったのだ。
ナマエは必要とあらば割り切って自らへの負担となる感情を切り捨てることが出来るが、秋山にはきっと出来ない。
それは、秋山が悪いとかナマエが優れているとか、そういうことではなく、ただ単に形成された人格の差だ。
ナマエは常に、己と他者が異なる存在であることを知っていた。
優劣をつける訳ではなく、区別していた。
いつの間に、その線が曖昧になっていたのだろうか。
秋山のことを、まるで己の意思を共有してくれる存在のように、感じていた。
ナマエと秋山は、別の人間だというのに。
それは甘くて愚かな傲慢だった。



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