傷付いては傷付けて[2]
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緑の王は案外イベントが好きなのかもしれない、ということは、第二次御柱タワー襲撃事件がクリスマスイブに決行された時点でナマエの中では一つの可能性になっていた。
だからこそナマエは、二〇一四年の元日にjungleがまた何らかの事件、たとえば石盤の解放などのタイミングを合わせてくるかもしれないと危惧していた。
結論から言えばその予感は的中し、年明け早々から石盤の試運転とばかりに異能がばら撒かれたわけだが、ナマエとしては微塵も嬉しくない大当たりである。
そんな心境はさて置き、新年を迎えたその日、ナマエは久しぶりに情報処理室で一日を過ごした。
宗像には渋い顔をされたのだが、国内のあらゆる情報監視網に目を光らせるには、持ち運びの出来るノートパソコン一台だとあまりに力不足だったのだ。
セプター4が誇る最新のシステムを思う存分活用し、ナマエはjungleの動向を監視した。
結果、その後特異能力関連事件と纏めて呼称されることになる異能暴走の一件目を見逃さずに済んだわけだ。

そんな理由で、一週間ぶりに長時間を情報処理室で過ごしたナマエは、当然と言えば当然、秋山と顔を合わせることになった。
まさかこのイレギュラーな状況で、特務隊に非番が与えられるはずもない。
朝の七時頃に情報処理室の扉を開けた秋山は、室内にナマエの姿を見つけた途端、あからさまに目を見開いた。
それは、クリスマスの朝以降、初めて二人が互いの顔を見た瞬間だった。
つまり随分と強引だったセックス以来、ということになる。
しばらくナマエの顔を凝視し、やがて気まずげに視線を彷徨わせた秋山は、確実に十秒以上経ってから、呟くような声量で「おはようございます」と挨拶した。

果たしてあの時秋山は、何を考えていたのだろうか。
力尽くのセックスに対する申し訳なさを感じていたのか、それとも、一週間も情報処理室に顔を出さなかったナマエの動向を案じていたのか、はたまた、宗像との仲を疑っていたのか。
恐らく、その全てだったのだろう。

「おはよ」

極めていつも通りに、ナマエは言葉を返した。
秋山の双眸が揺れる。
ありとあらゆる負の感情を煮詰めたかのような瞳の奥に、それでも僅かばかりの安堵を滲ませているのだから、つくづく自分には勿体無い男だとナマエは内心で苦笑した。

「……身体は、大丈夫ですか」

秋山が最初に訊ねたのはナマエの体調で、つい苦笑が表面化する。

「大丈夫。仮眠はとってるよ」

そういうことを聞かれているわけではないと理解していたが、ナマエは敢えて話題を摩り替えた。

「……そう、ですか」

ぎこちなく、どこか他人行儀に、秋山が相槌を打つ。
互いの間にこんなにも乾いた空気が流れるのは、随分と久しぶりのことだった。
クリスマスの朝の方が余程、迸った熱烈な感情に満ちていただろう。
噴火したマグマが冷えて固まったかのように、処理しきれていない感情の名残が二人の間に大きく横たわっていた。

「………あれから、室長とは何か、ありましたか?」

長い躊躇いを経て、秋山が問う。
自分で聞いておいて今にも耳を塞ぎそうな様子に、知りたくないのならよせばいいのに、とは流石に言えなかった。

「何かって、散々こき使われてるよ」
「……それだけ、ですか」
「それ以外に何かあるの?」
「いえ……何でもないです」

秋山は、ナマエの嘘をどこまで見抜いていたのだろうか。
それ以上、問いが重ねられることはなかった。

ナマエは自身に虚言癖がないことを知っているが、同時に、正直者ではないことも分かっていた。
仕事に例えるならば、ナマエは基本的に戦略上意味を成さない嘘はつかない。
だが、自軍の生存率を上げるためならば敵に偽の情報を流すし、作戦の成功率を上げるためならば味方に嘘を吐く。
そこに罪悪感や躊躇はなかった。
それは公私共に、冗談で済むレベルから下劣なものまで。
長年、同じ顔で同じ声で、必要に合わせて虚偽も真実も淡々と突き付けてきた。

そんなナマエがこの時初めて、自分の吐いた嘘に罪悪感を覚えた。
自らが必要だと感じて取った行動自体には、罪悪感も後悔もない。
だが、拳を太腿の横できつく握り締め唇を噛む秋山を前にして、申し訳なく感じたのだ。
たとえそれが大義のための一歩だとしても、この男を傷付けたことが、悲しかったのだ。

結局その後、他の隊員達も姿を見せたことにより、秋山との会話はそれ以上続かなかった。
その日情報処理室にいる間、ずっと秋山からの視線は感じていたが、敢えて反応は返さなかった。
言葉でも態度でも何一つ示せない状況で、必要以上に近付いては余計に秋山を傷付けるだけだ。
ナマエがそう判断したのは理に適っていたのか、それとも単なる逃避だったのか。
どちらにせよその後一週間、ナマエは秋山の顔を一度も見ていない。
意図して避けているわけではなかった。
いくら宗像の部屋にいることが多いとはいえ、当然食堂や自室には寄るし、関係省庁に赴くこともある。
現場に全く出ないわけでもない。
だが、ナマエも秋山も忙し過ぎて、その機会に恵まれないだけだった。
それを幸運だと思ってしまう自分がいることに、戸惑わないと言えば、きっと欺瞞になってしまうのだろう。
かつて、ナマエがここまで相手の心情を慮ったことがあっただろうか。
ここまで、相手の挙動に思考を乱されたことがあっただろうか。
しかも秋山の件は、直接的には仕事に影響しないというのに、顔を合わせるか否かでこんなにも心境が変わる。
全身に回った毒が今になって効いてくるなんて、ナマエとしても想定外だった。

本当に、嫌になる。
そして、愛おしい。

傍にいても、離れていても、結局ナマエは秋山に捕らわれたままだった。



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