君と護りたい世界の全て[8]
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夕食は、今夜はいつもより二人も多いのだから、と言って母と兄嫁が腕に縒りをかけて何品も用意してくれた上に父がわざわざ寿司まで注文したので、卓袱台を二つ繋げても乗り切らないほどだった。
宗像は決して大食漢ではないし、ナマエに至っては平均女性の半分程度しか食べないため、二人が増えたところで消費量はさして変わらないのだが、気持ちだけはありがたく頂くことにする。
それでもナマエは、せっかく出されたものを残したくないと思ったのか、普段よりもよく食べていた。
宗像は父と兄に勧められ、今日は車移動ではないからという理由もあって酒を飲んでいる。
最初の一杯だけはビールで、二杯目からは日本酒に切り替えた。
日頃それほど酒を飲む機会は多くないが、宗像はアルコールへの耐性が強い。
接待の会食等で酔っ払ったこともない。
それでも、実家という肩の力が抜ける場所で家族と杯を交わせば、気分が良くなる程度には酒が回った。
酔って上機嫌な大司の他愛ない話に相槌を打ちながら飲む酒は、随分と美味しい。
夕食はそのまま晩酌へと流れ込み、夜の八時を過ぎた辺りで羽実と快は寝てしまった。
兄嫁が二人を連れて寝室へと引っ込んだのをきっかけに、両親も寝支度を始める。

「礼司、あんたもう夜も遅いし泊まっていきなさいね。ナマエちゃんも、ゆっくりしていってね」

母が最後にそう言って、部屋を出て行った。
残ったのは宗像とナマエと大司の三人で、大司はまだまだいけるだろ、と宗像のグラスに酒を注ぎ足す。

「今夜はとことん付き合いますよ、兄さん」

宗像が実家に帰ることも少なければ、こうして翌日を気にせず酒を酌み交わす機会も滅多にない。
もしかしたら、初めてかもしれなかった。
会話の内容は、至って平凡だ。
大司が草野球の試合で勝った話、羽実と快が父の日にプレゼントをくれた話、仕事先で依頼人に剪定の仕上がりを大層喜ばれた話。
そんな他愛のない、どの家庭でもありそうな話題が、宗像は好きだった。
大司を含む家族もまた、宗像にとっては守るべき善良な市民だ。
温泉から見下ろした町の明かり、その一つひとつに、きっとこんな優しい家族の姿があるのだろう。
そう思えば、大司の口から語られる思い出話は宗像の勲章とも言えた。
それを豪語するつもりは毛頭ないし、守ってあげた、などと恩着せがましいことを思っているわけでもない。
ただ、黙って隣に座るナマエはきっと、宗像の大義を肯定してくれるだろうと、そう信じられるだけで良かった。


「眠くなってきましたか?」

さらに一時間ほど経った頃、宗像はナマエがうつらうつらと舟を漕ぎ始めたことに気付いた。
グラスを置いてその顔を覗き込めば、目元が蕩けている。
それなりに早起きをし、午前中は川で遊び、東京まで移動し、そして今は慣れない家に客人として座っているのだ。
いくら宗像の実家とはいえ、気疲れもあるだろう。

「このまま寝てしまって構いませんよ」

客間に布団を敷いても良いが、ナマエの身体がこうして眠気を訴えているのは宗像が傍にいるからだと知っているので、誘うように太腿をぽんぽんと叩いた。

「……でも、」

睡魔に抗って、ナマエが遠慮がちに大司の顔を窺う。
目の前で眠るのは失礼だと思ったのだろう。

「気にするな。むしろ、長々付き合わせちまって悪かったな」

大司はそんなナマエの髪を掻き回し、眠るように促した。
再び視線で問われ、宗像も大丈夫だと微笑んで見せる。
いよいよ限界を迎えたらしいナマエはほっとしたように頬を緩めるなり、宗像の太腿を枕にして寝転ぶとすぐさま眠ってしまった。
手足を曲げ、いつものように丸くなって眠るナマエの髪を手櫛で整える。
規則正しい寝息に思わず笑みが零れた。

「寝ちまったな」
「ええ」

ボリュームを抑えた大司の言葉に、宗像も声を潜めて返す。

「そこの鞄の中にカーディガンが入っているので取ってもらえますか?」
「ん?ああ、これか?」
「はい、ありがとうございます」

念の為にと用意しておいたナマエのカーディガンを広げ、身体の上に掛けてやった。
風邪を引くことはなさそうだが、嗅覚に馴染んだ匂いが多い方が安心出来るだろう。

「今回のことだけどな、」
「はい?」
「ナマエちゃんから言い出してくれたんだよ」
「え?」

グラスを傾けて酒を一口飲んでから、大司が悪戯を自慢する子どものような顔で笑う。

「礼司の休みが取れたから、帰ってくるように言ってやってほしい、ってメールが来てな」
「……ナマエが、そんなことを、」

てっきり、この件は大司からナマエに提案したのだとばかり思っていた。
まさか、ナマエの方から話が始まっていたとは。

「だから俺が、だったらナマエちゃんも一緒に来てくれって誘ったんだ」
「そうでしたか……知りませんでした」

旅行にはじまり、実家への訪問まで、全てがナマエの計画だった。
宗像のためにと、考えてくれたのだ。

「……家族なんだから、会いたいだろうって。そう、言ってた」

そっと知らされたナマエの言葉に、宗像は息を詰まらせる。
だってそんなことを、ナマエは知らないはずなのだ。
ナマエに家族はいない。
血縁者という意味ではどこかに存在するだろうが、それが誰なのかはもう分からない。
天涯孤独の身であるナマエに、家族だから、という理由は理解のしようがないのに。
ナマエは何を思って、宗像を実家に帰らせようとしてくれたのだろう。
"家族"とは一般的に、生まれた人間が初めて触れる世界だ。
しかしナマエの最初の世界は、研究所という残酷で非道な場所だった。
では、温もりを知ることなく生きてきたナマエにとって、心から求めた世界とは何だったのか。

「この子も、お前の家族みたいなもんなんだろ?」

そうだ。
ナマエが初めて触れた優しい世界は、宗像礼司だった。
きっとナマエは世間一般の家族を解釈する際に、宗像との関係を当て嵌めるのだ。
だからこそ、長い間会っていないのならば顔を見たいだろう、と推察した。

「ーー ええ、そうです」

視線を落とす。
宗像の太腿の上で、ナマエが気持ち良さそうに眠っていた。
その頬を、起こさないようそっと撫でる。

「結婚するのか?」

不意に問い掛けられ、宗像の指先が微かに跳ねた。
宗像はこれまで、家族に自らとナマエとの関係性を正確に説明したことはない。
部下だと話しているが、実際、家族の目の前でナマエを徹底的に甘やかしているので、まさか宗像とナマエの姿を見てただの上司と部下だと認識する人間はいないだろう。
そうなると導き出される答えは恐らく、恋人だ。
きっと大司も、宗像とナマエが交際をしていると誤解しているのだろう。
わざわざそれを訂正する必要はない、と宗像は思った。
結婚、という単語を脳内で反芻する。
それが男女の交際の果てに成り立つ関係という意味でならば、宗像はナマエとの結婚を想像したことはなかった。
恋人だ夫婦だと言う前に、宗像はナマエと共に生き共に死ぬ約束をしている。
今更、結婚も何もないだろう。
しかしこの国において、確かに戸籍は重要な法的拘束力を持つ。
今は上司と部下という公の身分があるが、セプター4を辞めてしまえば二人の間に公的な繋がりはなくなってしまうのだ。
そういう意味では、婚姻関係を結んでおいた方が何かと都合が良いのかもしれない。
近いうちに戸籍を弄ってしまおうか。
何を隠そう、王になった際にナマエの戸籍を捏造したのは宗像だ。
今の立場上、二人の戸籍を夫婦としておくことなど造作もない。
そこまで思考を巡らせたところで、流石にそれは横暴が過ぎるかと宗像は苦笑した。
一般的に、結婚といえば人生においてそれなりに重要なイベントの一つだろう。
果たしてナマエがどれほどその一般的な感覚を持ち合わせているのかは分からないが、気が付けば戸籍上で夫婦になっていました、で済ませるのは味気ないかもしれない。
ならば、プロポーズでもしてみるべきだろうか。
宗像は指輪を用意してナマエに結婚を申し込むシチュエーションを想像し、さらに苦笑を深めた。
やはり、どうしても今更感が拭えない。
宗像にとって、十八の誕生日に贈ったチョーカーこそが、まさに結婚指輪と同等の、否、それ以上の拘束力を持たせた証だったのだ。
あの頃からすでに、宗像の中では覚悟が決まっていた。

「……籍を入れるかどうかは、正直まだ分かりません」

青いチョーカーを、指先で撫でる。
プレゼントした日からずっと、それこそ四六時中、このチョーカーはナマエの首にあった。
この先もきっと、ナマエがこれを外す日は来ないだろう。

「ですが、生涯共に在ると誓った女性です」

そう言って顔を上げれば、兄は目を細め、まるで弟を褒めるように「そうか」と微笑った。





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