君と護りたい世界の全て[4]
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豪勢な夕食を堪能した後、ようやく風呂に入ろうということになった。
温泉旅館に来た以上、流石にそれは外せないだろう。
部屋にも半露天風呂があったので、宗像はそこで充分だと思ったが、どうやらナマエには別の考えがあるらしい。
浴衣とタオルを抱えたナマエに促され、宗像は部屋の外に出た。
確かに大浴場の大きな風呂は魅力的だが、そうなると当然男女で分かれることになる。
宗像にとってそれは、口が裂けても大賛成とは言えない展開だった。
ナマエが出会った頃のように水に怯えないことは理解しているが、本能的な恐怖までは失われていないだろう。
万が一見知らぬ誰かが不用意に近付いてきた場合、パニックを起こさないとも限らない。
正直に吐露すれば、ナマエの裸を同性とはいえ他人の目に晒したくないという下卑た独占欲もある。
何よりも、せっかくの旅行なのだからナマエと二人で風呂に浸かりたかった。
そのためには、部屋付きの露天風呂で気兼ねなく、というのが宗像の理想なのだが、果たしてどう説得するべきか。
通路を迷いなく進むナマエの背中を追いながら思案に耽っていた宗像は、やがてナマエの向かう先が大浴場ではないこと気付いて首を傾げた。

「ナマエ、大浴場は下の階のようですよ?」

宗像が不思議に思って声を掛けると、ナマエが肩越しに小さく振り返る。

「……ん、……でも、こっち、」

そう言ったきり再び歩き出すナマエに、宗像は一先ず従った。
疑問は解消されていないままだが、少なくともナマエが間違っているわけではなく、意図してどこかへ向かっていることは理解出来たので問題はない。
やがてナマエは、通路の突き当たりにある小さな戸を開けた。
ナマエに続いて潜り抜けると、そこは屋外だった。
地面に置かれた橙の灯りが、足下を照らしている。
東京だとこの時期は夜でも蒸し暑いが、ここは標高が高いため、随分と涼しい風が頬を撫でた。
木々の騒めきに包まれながら石畳の細道を歩くと、暗闇の奥に小屋が見えてくる。

「離れ、ですか?」

そこでようやく、宗像にも事情が把握出来た。
どうやら、貸切の露天風呂があるらしい。
オプションとして、ナマエが前もって予約しておいてくれたのだろうか。
二人別々に入浴するのは勿体ない、という考えが杞憂に終わり、宗像は思わず頬を緩めた。
ナマエも宗像と共にいたいと思ってくれたのだと想像すれば、それほど嬉しいことはない。
辿り着いた小屋は案の定簡素な造りの脱衣所になっており、宗像とナマエは着ていた服を脱いで籠に仕舞った。
ナマエが首からチョーカーを外し、長い髪を一つに纏めて結い上げる。
奥の引き戸を開け裸足で外に出ると、二人で浸かるには充分すぎる大きさの野風呂が視界に広がった。
黒い岩に囲まれた水面は暗く、所々に灯りを反射しながら揺れている。
手早く掛け湯で身体を流し、足先をそっと湯に浸けた。
身体が冷えていたわけではないはずだが、じわりと熱に包まれて筋肉が弛緩する。
底に腰を下ろして胸元まで湯に浸かれば、無意識のうちに気の抜けた吐息が零れた。
凹凸のなだらかな岩に背を預けた宗像の隣で、ナマエもそっと風呂に入ってくる。
ナマエの座高だと、すっかり肩まで湯の中だ。

「気持ち良いですねぇ」

常より芯のない声を漏らしながら、白く曇った眼鏡のレンズを湯に浸ける。
フレームやレンズが傷むため、推奨はされない行為だが、こういう場合は致し方ない。
眼鏡よりも、ナマエの顔がよく見えることの方が余程重要だった。

「露天風呂だと逆上せにくいですし、ゆっくり出来そうですね」

こくり、と頷いたナマエは、大きな岩に手を掛けて宗像とは反対側を眺めている。
どのような景色が見えるのかと、釣られて宗像も身体を反転させた。
山の中腹から見下ろす夜の町は、東京よりも圧倒的に暗い。
淡い光を放つ民家の明かりがぽつりぽつりと点在するだけで、他には何もなかった。
その分、満天の星が頭上で輝いている。
静かで、穏やかな景色だ。

「……これを、見てほしかったんです」

不意に、それまでずっと黙り込んでいたナマエが呟いた。
これ、と言われ、宗像は改めて眼下に広がる夜景を見つめる。
夜景といっても、そこに鮮やかな光が連なっているわけではない。
確かに、真っ暗な世界にまるで小さな灯火のように散らばる家の明かりは綺麗だが、わざわざ見てほしかった、と説明するほどのものだろうか。
言葉の意図を汲み取りきれず、宗像は隣のナマエに視線を向けた。
無言の問いを受け止めて、ナマエが一度唇を舐めてから訥々と語り出す。
宗像の思考から仕事を切り離そうと思い、物理的な距離を作ろうと旅行を思い付いたこと。
宗像は風呂が好きだから、温泉に行こうと決めたこと。
インターネットで旅行サイトを見ても良く分からないので、片っ端から旅館に電話をかけて料理や客室、温泉について調べたこと。
その中で、貸切の混浴風呂から町が一望出来るこの旅館を見つけたこと。
気になって写真を送ってもらって、その景色を生で宗像に見せたいと思ったこと。

「夜景って意味では、東京の真ん中で、ビルの屋上とかから見る方が、キラキラしてて、綺麗かも、しれないけど。でも、これを、見てほしかったんです。……こういう、小さな町の、小さな灯りも、礼司さんが、守った世界なんだって、思うから、」

そこまで、彼女にしては珍しいほど一気に長く説明したナマエは、言葉尻を自信がなさそうな微笑にすり替えた。
語られた言葉が、そこに込められた想いが、宗像の心臓を鷲掴みにする。
声が出なかった。
何か返さなければと思うのに、与えられた大きすぎる想いでいっぱいの思考は適切な言葉を見つけられない。
弁の立つ宗像をそんな状況に陥れるのは、世界中でただ一人、ナマエだけだった。
ナマエには、常識という枠がない。
だからこそ、宗像には思いもつかぬような視点で物事を見られるのだ。

今宗像の目に映るのは、先程までとは全く異なる世界だった。
優しい灯りのひとつひとつに、人の生活が、家族の命がある。
それは、セプター4の室長という肩書きを背負った日からずっと、宗像が守らんとしてきた無辜の民だ。
ナマエが見せてくれたのは、宗像が半年前、自身の命と引き換えにしても守りたかった平穏そのものだった。

「……ありがとう、ございます……」

結局宗像の唇から零れたのは陳腐な感謝の言葉で、だがそれは紛れもない本心だ。
宗像を想い、行動し、実現させてくれた。
ナマエの全てが愛おしい。

「その私を守ってくれるのは、いつも君ですね、ナマエ」

jungleとの最終決戦で、宗像はナマエを置き去りにした。
あの時互いの胸中に生まれた蟠りについては、その後きちんと向き合って話すことで解決したと思っている。
だが、痼りが全く残っていないかといえば、そうではなかった。
言葉や理性では処理しきれない本能的な部分で、宗像にはまだ後悔があった。
そこまでをも、ナマエは理解していたのだろう。
周囲からは常々考えていることが皆目見当もつかないと評される宗像も、所詮は一人の人間だ。
単純にも、目に見える形で自身の行動を肯定され、胸の痞えが静かに溶けていくのを感じる。

「……来て、よかったですか?」

何て当たり前のことを聞くのだろう。
答えなど決まりきっているのに、と苦笑しかけ、ふと気付いた。
きっと、ナマエにとってもそうだったのだ。
あの日宗像の選んだ行動は、ナマエにとっても当然肯定するべき事柄だったのだ。

「ええ。……心から、そう思います」

宗像の答えに、ナマエが頬を緩めた。
ああ、敵わない。
そう思わされるのは、果たして何度目のことだろうか。
道端に落ちていたナマエを拾ってからずっと、宗像が守ってきたつもりだった。
腕の中に包み込み、慈しんできた。
だが、本当に守られていたのは宗像の方だったのかもしれない。
小さく柔らかな温もりを与えられていたのは、支えられていたのは、宗像だ。
たった一人に必要とされることで、宗像は人であり続けることが出来た。
折れることなく、戦い続けることが出来た。

「……ナマエ、」

何度、その名を呼んだだろうか。
名を与えたのは宗像だが、その名を呼ぶことで救われていたのもまた宗像だった。

「君がいてくれてよかった」

手を伸ばし、華奢な身体を抱き締める。
素肌が触れ合い、湯とはまた異なる人の温もりに身を委ねた。

「……ずっと、いますよ」

何の衒いもなく差し出される約束に、胸臆が震える。
宗像の背に回された手は小さく、太腿の上に乗せた身体は軽く、宗像よりもずっと弱い生き物なのに、圧倒的な存在感があった。
かつてナマエを、宗像自らの心臓と喩えたことを思い出す。
まさに、その通りだった。
ナマエがいなければ、生きてはゆけないのだ。

ナマエの首筋に顔を埋め、その肌に口付ける。
日に焼けにくいナマエの素肌はどこもかしこも白いが、それでも紫外線の影響を全く受けないわけではない。
首回りを細く一周する、他よりも更に白い肌。
そこは、常にチョーカーが巻かれている箇所だ。
例え外されていたとしても、宗像のものであるという証が刻み付けられているようで、それは独占欲を甘く満たす。

「愛していますよ、ナマエ」

ナマエの耳元に落とした声は、熱を孕んで掠れていた。





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