ウワテなコイビト[2]
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伏見のアドバイスを聞いた夜から、宗像は早速行動に移った。
伏見にも言った通り本当に浮気など出来ないので、あくまでもそう見えるように計算した。
例えば屯所に朝帰りをしてみたり、女性客の多い店に立ち寄って香水の匂いを漂わせてみたりし、さらにそれを必ず隊員の誰かに認識させた。
特に日高や道明寺など、上司に女性の影が見えれば面白がって吹聴しそうな相手をわざと選んだ。
噂がナマエの耳にまで届くことが狙いだった。
並行して、ナマエと視線を合わせないようにしたり、夜に誘いをかけないようにしたりと、わざとらしく距離を取ってみた。
これは仕掛けている宗像にとっても多大なダメージだったが、焼きもちを焼いてもらうためだと我慢した。


そんな浮気の演技を二週間ほど続け、そろそろナマエが足りずに悶々としていた宗像のもとに、その瞬間は訪れた。

執務室でナマエからの報告を受けていた宗像は、話が終わっても立ち去ろうとしないナマエの気配に、もしかして、と期待した。
敢えて手元の資料に視線を落としながら、全意識をナマエに向けて待つ。

「それと、話があるんですけど、」

きた、と宗像は飛び跳ねそうになった。
咄嗟に上げかけた目線を何とかあらぬ方向に逸らし、興味のなさそうな体を装う。

「まだ何か?」

本来ならば決してナマエには向けたくないような冷めた声音で、宗像は続きを促した。
内心では期待が高まり、鼓動が速くなっている。
何と言ってくれるだろうか。
最近誰と会ってるんですか、何で誘ってくれないんですか、嫌いになりましたか。
どれも美味しい。
不満げな声音でも可愛いし、不安げに震えられたらもう堪らない。
その時は盛大に愛を囁いて抱き締めてあげよう。
そんな、まるでプレゼントの中身を箱から取り出す少年のような気持ちで次の言葉を待っていた宗像は、実際に鼓膜を揺らした声に思考を止めた。

「もう別れてもらっていいですか」

視線を合わせずにどうこう、などという演技プランを一瞬で忘れ去り、宗像は反射的にナマエを見る。
そこには、特に何の感情も浮かべない表情のナマエがいた。

「…………すみません、今なんと?」
「だから、別れて下さいって」

聞き間違いだ、そうに違いないと聞き返してみたが、宗像の願いも虚しく同じ言葉を繰り返される。

「あ、話はそれだけです」

思惟を真っ白に染め上げて呆然とする宗像を置き去りに、ナマエは言いたいことだけを言って踵を返した。
失礼します、といつも通りの口調で退室の挨拶をされ、硬直していた宗像は慌てて立ち上がる。

「待って下さい、ナマエ!」

おかしい。こんなはずではなかった。
宗像の予想では今頃いじらしい嫉妬を見せるナマエを抱き締めているはずだったのに、どうしてこんな展開になっているのか。
なぜナマエにはゼロか十しかないのだ。
途中の五はどこに行ったのだ。

「まだ何か?」

扉に手を掛けたナマエが、先程の宗像と全く同じ言葉で問いかけてくる。
まずい、と宗像の脳内で警鐘が鳴った。
これはもう、男の矜持だの何だのとつまらぬことに拘泥している場合ではない。

「すみませんでした私が悪かったです」

宗像はデスクを陣取っていた書類の束を床に薙ぎ払い、そこに両手をついて頭を下げた。
見栄など張っている余裕はない。

「君は私の浮気を疑っているのでしょう?すみません、あれは演技です。嘘なんです」

顔を上げれば、ナマエが扉の手前に佇み宗像を見つめていた。
少なくとも話は聞いてもらえるらしいと、宗像は早口で事情を説明する。

「君に嫉妬をしてほしくて、浮気のふりをしたんです。心変わりなんてありえません。だから別れるとは言わないで下さ、い……?」

ふふ、と。
唐突に空気を揺らした笑い声に、宗像は目を瞬かせた。
それまで黙って宗像の話を聞いていたナマエが、口元に手を当てて笑っている。

「……ナマエ……?」

今の説明に何か面白い箇所があっただろうかと訝しめば、一頻り笑ったナマエが、笑みを浮かべたままデスクに近付いて来た。

「すみません、私も嘘です」
「……はい……?」

デスクを挟んで目の前に立ったナマエが、眦を垂らしたまま宗像を見上げる。

「別れてほしいとか、別に思ってません。ちょっとした意趣返しです」

あっけらかんと真相を明らかにされ、宗像は言葉を失くした。
つまりナマエは、宗像の浮気が芝居だと見抜いていたのだろう。
知った上で敢えて乗っかり、宗像に仕返しをしたのだ。
宗像礼司をここまで振り回すことの出来る人間が、果たして他に存在するだろうか。

「……驚かせないで下さい、ナマエ」

心底安堵して緩み切った声音が漏れた。

「焦りました?」
「当然でしょう」
「なら大成功です」

それはそうだろう。
冷然とした視線、興味の失せた声音。
どちらもナマエの演技は完璧だった。

「君、そんなにいい性格をしていましたか?」
「室長に言われたくありませんよ」

睦言のような文句は即座に切り返され、ぐうの音も出ない。

「何ですか、嫉妬してほしくて浮気のふりって。子どもみたいな嫌がらせやめて下さいよ」
「……それについては、謝罪します」

確かに、子ども染みていただろう。
本当に愛されているのかどうか直接確かめるのは情けない、と思っての策だったが、現状の方がよっぽどみっともない。

「別にそんなことしなくても、それなりに嫉妬だってしますから」
「………嫉妬、するのですか?君が?」
「人を何だと思ってるんですか」
「だって君、そんな素振りは見せなかったじゃないですか」

宗像の主張に、ナマエは大きな溜息を吐き出した。
その表情が盛大に呆れ返っている。

「そりゃ見せませんよ。……そんなの、鬱陶しいかと思って」

すっと逸らされた視線。
小さく、まるで拗ねるような口調で付け足された言葉。

「ほんと、人の気も知らないで何なんで、っ?!」

宗像は堪らず、デスク越しに腕を伸ばしてナマエの腋窩に両手を差し入れるとそのまま抱き上げた。
そのままひょいっとデスクの上に座らせる。
言葉を失くしたナマエが、ぽかんと口を開けて宗像を見上げた。
何が起こったのか、咄嗟に理解出来なかったらしい。
なんて可愛いのだろう、とその無防備な表情に宗像は微笑む。

「ふふっ、私は君に愛されているのですね」
「はあ?何ですかそれ。当たり前でしょう」

声音には瞋恚が滲んでいる。
だからこそ、ナマエの本音なのだと分かる。
デスクの上にぺたりと座ったナマエを抱き締め、宗像は笑った。

「私も、君を愛していますよ」

きっと、プライドなんて捨てて最初から聞いておけば良かったのだ。
そうしたら、ナマエは怒ったように頬を膨れさせて、でも好きだと頷いてくれたのだろう。

「ねえナマエ、もう仕事は終わりにして帰りませんか?」
「は?なに馬鹿なこと言ってんですか。さっき渡した書類、室長の決済待ちなんですよ」
「そうは言われましても。二週間分、君が不足していますから」
「そんなの自業自得です」

腕の中で、ナマエが宗像の要望を悉く切り捨てていく。
不満げな声音が可愛くて、もう少し我儘に付き合ってほしくて、宗像は腕を離せない。

「そうつれないことを言わないで下さい」
「つれなくていいですから離して下さいよ」
「それに、書類なんて床に散ってしまいましたよ」
「室長がばら撒いたんでしょうが。今すぐ拾って下さい」

素っ気ない態度も、華奢な身体も、髪から漂う匂いも、全てナマエのものだ。
二週間、ずっと触れたかった可愛い恋人だ。

「明日きちんと片付けますから。ね?」

耳元に取って置きの甘い声音で囁きかけ、そのまま耳殻を噛んだ。
きっと、少しだけ頬を染めて、不服そうに頷いてくれるはずだった。のだが。

「その書類が片付くまで部屋行きませんから」

きっぱりと断られた挙句、腹部をブーツの先で蹴り飛ばされた。

「………手厳しいですねえ、君は」

宗像の腕の中から抜け出したナマエが、デスクを降りる。
どうやら本当に仕事を処理するまでお預けらしい、と宗像が嘆息しながら椅子に腰掛けると、ナマエが徐にしゃがみ込んで書類を拾い始めた。
拾えと言ったくせに、そこは手伝ってくれるらしい。

「………早く、して下さいよ」

ああ、やっぱり可愛い。

宗像は目を細め、突き付けられた書類を受け取って真面目に仕事を片付けることにした。






ウワテなコイビト
- そんなところもまた可愛くて -









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