[12]二人だけで作るもう一つの世界ストレイン四名を確保し終えてみれば、皆それなりにボロボロだった。
何せ、身を守るための障壁が殆ど作り出せないのだ。
これまでどれほど宗像に守られてきたのか、まざまざと思い知らされた。
いつも通り後先考えずに突っ込んで行った日高など、頬に一撃を食らったらしく男前が台無しである。
かく言うナマエも、腹部を蹴り飛ばされた。
だが重傷者は一人も出ず、結果としては上出来と言えるだろう。
隊員たちは互いに肩を叩き、相手の怪我を間抜けだと笑い合いながら、指揮情報車に戻った。
宗像は少し申し訳なさそうな顔をしていたが、底抜けに明るい道明寺や日高を見ていると可笑しくなってきたらしく、最終的には小さく苦笑していた。
椿門に帰投し、ストレインの取調べや報告書の作成等、事後処理を一通り終えると日付が変わった。
ナマエが弁財の淹れたココアを飲み干し、ぐっと伸びをしたところで、不意に情報処理室の扉が開く。
姿を現したのは宗像だった。
「ご苦労様です、皆さん」
立ち上がりかけた隊員たちを片手で制した宗像が、ナマエに視線を向ける。
「ミョウジ君、終わりましたか?」
「はい」
「結構。では、行きましょうか」
どうやら迎えに来てくれたらしいと知り、ナマエは頷いた。
席を立ち、マグカップをどうしようかと逡巡していると、弁財に視線だけで「置いておいて構わない」と告げられる。
ナマエはその言葉に甘え、タンマツを手に宗像の後を追った。
部屋の外で待っていた宗像が、ナマエに小さく笑いかけてから歩き出す。
二歩分の距離をあけてその後を付いて行けば、宗像の手が伸びてきてナマエの手を掴んだ。
「しつちょ?」
そのまま引き寄せられ、宗像の隣に並ぶ。
ナマエは驚いて視線を上げたが、宗像は口元に笑みを浮かべるだけで何も言わなかった。
結局宗像の意図は理解出来ぬまま、かといって振り解くことも出来ず、ナマエは宗像と手を繋いで青雲寮に戻った。
宗像の私室のリビングで、互いに制服の上着だけを脱ぎ、ソファに並んで腰を下ろす。
「邪魔が入ってしまいましたが、お話しの続きをしても構いませんか?」
こくり、とナマエは一つ頷いた。
ナマエとてそのつもりだったのだ。
「……きっと君は私の行動に傷付き、私を責めているのでしょう、というところまで話しましたね」
首肯をもう一度。
先程は即座に否定しようとしたが、今はまず宗像の話を全て聞こうと思えた。
「私は、君が私に寄せてくれていた信頼を踏み躙ってしまったのだと、そう思っています」
まるで懺悔をするかのように、宗像が目を伏せる。
白皙の頬に影が落ちた。
「……ですが、たとえ君に恨まれていようとも、裏切ったと思われていようとも、二度とこの手を離したくない」
ソファの座面に置かれていたナマエの手を取った宗像が、手を繋いで宗像の太腿の上に乗せる。
大きな手に包まれる自らのそれを、ナマエはじっと見下ろした。
「一度手放しておいて、何を勝手なことを、と思うでしょうね。如何に身勝手なことを言っているのか、それは充分に承知しています」
手を、痛いほど握り締められる。
「でも、すみません。もう離せない。離したくないんです。絶対に」
宗像に似つかわしくない、稚拙な言葉選びだった。
それほど余裕がないのだと、伝わってくる。
「君が救ってくれたこの命で、君と生きたい。君の隣を誰にも譲りたくない。もう一度、信じてもらえるように努力します。何だってします」
瞼を持ち上げた先、繋がった視線は驚くほどに熱を孕んでいた。
レンズの奥にある紫紺が、どこまでも真っ直ぐな切情を湛えてナマエを見ている。
「……それは、許されないことではないかと、思う気持ちもあります。ですが、たとえそうだとしても、君の意思すら無碍にしてでも、私は君を自分のものにしたい」
ナマエの指が、ぴくりと跳ねた。
手を繋いでいる宗像は当然、それに気付いただろう。
自嘲のような笑みが短く落ちた。
「幻滅しましたか?……本当はね、ナマエ、私はずっと前からそう思っていたのですよ」
そう言った宗像は、ナマエがこれまでに一度も見たことがなかった顔をしている。
「君と出会って、外に連れ出し、世界を見せて、セプター4に君の居場所が出来たことを喜びました。それが嘘だったとは言いません。ですが本当は、君を閉じ込めておきたかった」
視線を落とした宗像が、親指の腹でナマエの手の甲を撫でた。
「私だけを見ていてほしかった。誰にも見せたくなかった。君の世界を構成するものは、私だけで良かった。君を腕の中に閉じ込めて、私がいなければ生きていけない、私だけのものにしたかった」
ふふ、と宗像が嗤う。
冷然とした笑みだった。
「酷い話でしょう?そのようなこと、君は望んでいないのに。私はね、ナマエ、ずっとそんな醜い欲望を抱えて君の傍にいたのですよ」
真情の披瀝に黙って耳を傾けていたナマエは、唐突に理解した。
宗像は恐らく、それをナマエに怒ってほしいのだ。
怒って、罵って、否定して、そして許してほしいのだ。
「私には、君の幸せを願う資格なんてない。君の傍にいる資格もない。………ね?君にも分かりましたか?」
そう言って静謐な笑みを浮かべた宗像は、まるで断罪を待つ咎人のようだった。
なんて馬鹿な人なんだろうと、ナマエは何度目かも分からない所感を抱く。
そして、なんて面倒な人なんだろうとも思った。
だから、そのまま伝えることにした。
「礼司さんが、馬鹿で、面倒な人だって、ことは、よく分かりました」
「………は?」
それは、想定外な返しだったらしい。
宗像がきょとりと目を瞬かせた。
「頭いいのに、馬鹿ですよ、やっぱり」
本当に、この人は一体何を言っているのだろう。
「なんでそんな、難しく考えたがる、んですか。ほんと、無駄すぎて、馬鹿」
きっと宗像の頭脳は聡明すぎるのだろう。
それが、宗像礼司の致命的な欠陥なのだ。
「ねえ、礼司さん、」
「……はい、」
「私、絶対に叶えるって、決めてる夢が、あるんです」
「……夢、ですか」
きっとこの様子では、想像もつかないのだろう。
どこまでも無駄なところばかり怜悧で、本当に必要なところは馬鹿なのだと改めて実感する。
「礼司さんがね、満足するまで、一緒に戦って。それが終わったら、二人きりの世界で、生きて、そして、二人だけで、死ぬんです」
紫紺が見開かれるさまを、ナマエはじっと見ていた。
言葉を失くした宗像に、今度はナマエが話をする。
「何度でも、礼司さんが信じるまで、言いますよ。裏切られたなんて、思ってません」
その言葉に、譎詐は一つもないのだ。
石盤が破壊された直後に告げたように、ナマエは宗像の命令に含まれた意図のその裏まで正しく理解していた。
宗像が本当は共に生きたいと願っていたことを、知っていた。
安萬に行けという指示が素直ではない宗像の精一杯だったのだと、分かっていた。
「でも、確かに、ちょっと寂しかった、かも、しれません」
それはナマエ自身、自覚していなかった感情だ。
宗像に夢の話をされ、ようやく思い至った。
「ほんと、は、何かあったら、助けて下さいって、言ってほしかった、んだと、思います」
理想を貫くために、限界まで走ってみせるから。
だから傍にいて、死にそうになったら助けてほしいと。
素直にそう言ってほしかった。
だが、宗像にそんなことが出来るはずもないことを、ナマエは知っている。
「でも、別に、いいんです」
あの日も言った通り、宗像は馬鹿で勝手でいい。
「礼司さんが、素直なのは、たまにでいいんです。ちょっと、強がるくらいで、丁度いいから」
そう言って、ナマエは小さく笑った。
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