[10]胸臆に沈む傷跡
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休日の夜、ナマエは宗像の部屋で主の帰りを待っていた。
何ヶ月ぶりかも忘れた、丸一日の非番。
一度仕事のことを全て思惟の中から放り出し、朝からひたすらに宗像のことを考えた。
宗像のベッドで、大きな浴衣を抱き締め、飾られた写真を眺めながら、ずっと。

上手く話せないのではなく、話したくないのではないか。

弁財に問われ、答えられなかった。
前者だと思い込んでいたが、自分と向き合ってみればきっと後者だった。
弁財は、そこまでを察していたのだろう。
きちんと話せ、と言われた。
大切なことは、そうしようとする気持ちなのだと。

一日かけて辿った記憶は、どれも鮮明だった。
拾われて目を覚ました瞬間から、今日まで、何もかもがナマエの中に刻み込まれている。
それは、石盤が破壊されてもなお残った異能の力かもしれないが、きっとナマエはストレインでなくとも宗像との思い出を忘れたりはしないのだろう。
宗像が当たり前とばかりに与えてくれたものは、ナマエにとっては普通ではなかった。
一つひとつが、掛け替えのない特別なものだった。
与えられるばかりで、何一つ返せなかった五年間。
今度は、宗像に与えたい。
そのためには、聞くしかないのだ。
生憎とナマエには、宗像のように何もかも見通すことの出来る洞察力などない。
ならば例え宗像が拒絶するとしても、真正面から踏み込んで問い質す以外、その心に触れる方法はない。

それは気持ちの勢いだったのだろう。
ナマエは夕方頃にベッドを抜け出し、玄関に座り込んで宗像を待った。
やっぱりやめよう、と背中を向けないために。
躊躇して決意を鈍らせないために。
ひたすらドアの内側を見つめ、それが開かれるのを待った。

きっと、宗像が開けてくれるのだ。
殻に閉じこもっていたナマエの心を、優しく開いてくれたように。
きっとまた、宗像が扉を開けてくれる。


「ーー ナマエ……っ?」

そして数時間後、外側から開いたドアの隙間に宗像の姿を見つけたナマエは、立ち上がって飛びついた。

「どうしたんですか?!何かありましたか?!連絡をくれれば良かったのに、」

後ろ手にドアを閉めながら、宗像が周章に満ちた声音でナマエを心配する。
何を勘違いしているのか、身体をあちこち触って怪我がないか確かめたり、額に手を添えて熱を測ったりするものだから、ナマエは思わず少し笑った。

「ナマエ……?」

屈み込んだ宗像に視線を合わせる。
戸惑いに揺れる紫紺を見据え、逃がさない、と思った。

「話、が、したいです」

宗像の表情が、微かに強張る。
内心はそれ以上に驚いているのだということを、ナマエは理解していた。

「……分かりました、」

リビングへ、と宗像が促す。
ナマエはその言葉に素直に従い、廊下を歩いてその先にあるドアを開けた。
ブーツを脱いだ宗像が、後ろから付いて来る。
宗像は恐らく、ナマエの気が急いていることを感じ取っていたのだろう。
制服を着替えることも、ナマエのためにココアを用意することもなく、上着だけを脱いでソファに腰掛けた。
ナマエもまたその隣に腰を下ろす。
宗像はきちんと身体の向きを斜めに変え、ナマエの顔を真っ直ぐに見てくれた。

「ナマエ、どうしました?」

必ず理解してくれる。
そう言ってくれた弁財の言葉に、頼ってみようと思う。

「………礼司さん、」
「はい」
「………なに、隠して、ますか?」

宗像が、らしくないほどはっきりと息を呑んだ。
レンズの奥で瞳が左に流れ、やがてゆっくりと花瞼の裏に隠される。
その逃げを、許したくなかった。

「ずっと、変。何か、怖がってる、みたいに、見えます」

英明な知能を持つ宗像に考える時間を与えてしまえば、本心を秘匿した当たり障りのない答えが返ってくるだろう。
それでは意味がなかった。

「なに、考えてるのか、教えて下さい」

察してあげられないのならば、問うしかない。
誤魔化さないでほしい、という意味を込めて宗像のスカーフを掴めば、目を開けた宗像が僅かに苦笑した。

「……君は本当に、いつもそうですね」

宗像の掌が、スカーフを握りしめたナマエの手に重なる。
親指が、ナマエの五指を確かめるように動いた。

「そうやって、真っ直ぐに向かってきてくれる。いつだって、私を理解しようとしてくれる」

ナマエの手を両手で包み込んだ宗像が、ふっと小さく笑ってから、伏し目がちにたっぷりと沈黙を作る。

「………怖くて、君に話せていないことがあります」

やがて零されたのは、躊躇いを含んだ、どこか自信のなさげな声だった。

「でも、そうですね。いつか伝えなければならないとも、思っていたのです。聞いてくれますか?」

宗像の窺うような視線に、ナマエは一つ頷いて見せる。
それを受け、宗像はもう一度静かに微笑んでから、言葉を選ぶようにゆっくりと唇を開いた。

「……私は、君に疑心を抱いています」
「疑ってる、って、意味ですか」
「はい。誤解しないで欲しいのですが、それは決して君が悪いということではありません」

丁寧に言い含めてから、宗像は続ける。

「君の言葉を、私が信じきれていないのです」
「……どの、言葉、ですか?」
「怒ってはいない、と。あの日私の行動を肯定してくれた、君の言葉です」

今度はナマエが驚く番だった。

「あれは、君の優しさだったのではないか。私に気を遣ってくれたのではないか。本当は、私が君を裏切ったと、そう思っているのではないか」

自らを嘲るように、宗像が頬を歪める。
並べられる言葉はどこまでも冷静で、宗像がずっとそれらに拘泥していたことが分かった。

「……一度、君の手を放そうとした私を、君は一生許してくれないのではないか、と。そう、思ってしまうのですよ」

知っていますか、と宗像が薄く笑う。
自虐的な表情だった。

「君が、眠りながら私を呼ぶのです。そして、行かないで、行っては嫌だ、と。必ずそう言うのですよ」

無意識のうちに、え、と声が漏れる。
ナマエがその行為を自覚していなかったということを、宗像は改めて確認したのだろう。

「君は自覚のないままに、私を恨んでいる。私がしたことを、君は許せていないのです」

そう言って、宗像はナマエから手を離すと眼鏡のブリッジを押さえた。
重い沈黙が落ちる。
全く身に覚えのない行動を指摘され、ナマエは戸惑っていた。
元々ナマエは、あまり夢というものを認識する性質ではない。
そこにストレインの異能は介入しない。
眠っている間に何を見ているのか、全く自覚していなかった。
当然、宗像に追い縋った記憶もない。
黙り込んだナマエを、宗像はどう解釈したのだろうか。

「今、君を傷付けているのは私なのでしょうね」

違う、と。
咄嗟に否定しようとした。
夢の内容が如何なるものであっても、仮にナマエが眠りの中で宗像を呼んだとしても、それは傷付けられているわけではない。
そう言おうとして、しかしナマエの喉が震える前に甲高い電子音が響いた。
我に返るよう、現実に引き戻される。
宗像の制服の内側と寝室とで、同じ着信音が鳴っていた。
それの意味するところは一つ、緊急出動だ。
時宜を得ないストレインに恨み言を吐いても仕方ない。
動揺を抑え込み、ナマエはソファから立ち上がると寝室に足を向けた。

「ナマエ!」

背後から宗像の声が追い掛けてくる。
しかし、優先されるものが何であるかを間違えるつもりはなかった。








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