[9]琥珀に求め、紫煙に逃げる
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からん、とロックグラスの中で氷が揺れる。
宗像は琥珀色の液体を口に含み、舌の上を滑る熱い甘みに目を閉じた。

「流石にペース速いんとちゃう?疲れてはんの?」

カウンターの内側から、バーテンダーが声を掛けてくる。
それはどこか諌めるような台詞でありつつも、決して干渉しすぎることはない声音で、宗像は緩く笑った。
なるほど確かに、この男はバーテンダーとしては一流だ。

「いえ、偶々そういう気分なだけですよ」

宗像は瞼を持ち上げ、長身の男を見遣る。
草薙出雲が、さよか、と苦笑した。

宗像がバーHOMRAを訪ねるのは、これで三度目だ。
一度目は、石盤が解放される直前。
赤の王、櫛名アンナに呼び出されて初めてこの店の戸を開けた。
二度目は、石盤が破壊された三日後。
今度は、これからのことで話をしておきたい、と草薙出雲に呼び出された。
そして今夜が三度目。
宗像はアンナや草薙に声を掛けられたわけではなく、ただの客として自主的にバーの扉を潜った。
決して意図したわけではなかったが、足を踏み入れた店内に客の姿はなく、宗像は唯一の客としてカウンター席に腰を下ろした。
それから、優に二時間半。
宗像は沈鬱な気分を抱えながら、ひたすらにウイスキーを呷り続けている。

バーテンダーである草薙は、最初の十五分ほどは宗像に他愛ない雑談を振っていたが、やがて宗像が今夜は静かに飲みたい気分だということを察したらしく、それからは殆ど口を閉ざしていた。
時折、ぽつりぽつりと言葉を交わすが、会話が長く続くことはない。
互いにロックグラスを傾け、紫煙を燻らせながら、静かに更ける夜と回っていくアルコールを実感していた。


国外に散っていた隊員たちが帰投し、椿門は通常運転に戻りつつある。
以前と全く同じ状態というわけではないが、少なくとも人手不足の問題は解消された。
それを受け、隊員たちに交代で休みを取らせるようにとアメリカから帰国した淡島に指示を出せば、まずは室長から、という反論を受けた。
宗像は、自分は最後で構わない、とやんわり苦笑したのだが、梃子でも動かない構えの淡島に押し切られ、結局は最初に丸一日の非番を貰った。
石盤が破壊されて以降、淡島の宗像に対する態度が幾分か強気になっているのは気の所為ではないのだろう。
左頬に喰らった一撃を思い出すと、今でも宗像は苦笑せざるを得ない。

今夜、ナマエは夜勤である。
だからこそ宗像は、久しぶりに屯所を離れた。
ナマエのいない部屋はどこか寂寞感があり、一人で過ごすには息が苦しかったのだ。
そこで行き先にHOMRAを選んだのは、宗像自身にとっても僅かに驚くべき思考だった。
あまり深く考えたわけではない。
晦冥とした世界を、世間一般で言うところの"気の向くまま"に彷徨っていれば、鎮目町に辿り着いた。
それだけのことだった。

「もう一杯頂けますか」
「まだ飲むん?ほんまに大丈夫かいな」

口ではそう言いつつも、草薙の手は既に新しいグラスを用意している。
それは、この男が吠舞羅というチームでどのような立ち位置にあったのかを物語っているようで、宗像は薄く笑った。

「きちんとお勘定は支払いますよ」
「いやいや、セプター4の室長さんともあろう方が無銭飲食するなんて疑っとるわけやないで?」

草薙が喉を鳴らしながら、宗像の前に新しいグラスを置いた。
五杯目か、否、六杯目だろうか。
宗像は、そのグラスに口をつけようとしたところで、不意に感じた気配に視線を巡らせた。
手元を片付けていた草薙も、同時に顔を上げる。
建物の二階へと続く階段を、寝間着姿のアンナが降りて来るところだった。

「レイシ」
「こんばんは。お邪魔していますよ」

うん、と頷いたアンナが、躊躇のない足取りで残りの二段を降りる。

「どないしたん、アンナ。眠れへん?」
「目が覚めたらレイシの気配がしたから、降りて来た」

草薙の問いに対するアンナの答えを聞き、宗像はおや、と苦笑した。

「すみません。起こしてしまいましたか」
「ううん。そうじゃない」

静かに首を振ったアンナが、宗像の隣に腰掛ける。
二ヶ月程前の会談でも感じたが、アンナが持つ独特の雰囲気は王でなくなってからも変わっていないように思えた。

「アンナはホットミルクでええか?」
「うん」

草薙とアンナのやり取りを聞きながら、宗像は彼女がどこかナマエと似ていることに気付いた。
もちろん宗像は、私人としての櫛名アンナをさほどよく知らない。
だが漠然と、思考の中に垣間見える幼さに共通点があるような気がした。

「レイシ、悩んでる」

草薙に差し出されたマグカップを両手で受け取ったアンナが、唐突に言う。
宗像は笑みを崩さぬまま、何の話かと訊ねた。
しかし、返される答えは予め分かっていたように思う。

「ナマエのこと、気にしてる」

案の定な答酬に、宗像はそっと苦笑した。
ナマエとアンナは、これまでに何度か顔を合わせている。
二人が直接言葉を交わしたのは、宗像の知る限り二回だ。
一度目はまだ周防が生きていた頃、宗像とナマエ、周防とアンナという組み合わせで出掛けていた際に街で偶然顔を合わせた。
二度目は、学園島で行われた第二回卓袱台会議の時だ。
ナマエもアンナも互いに言葉数が少ないため、大した話はしていなかったように思うが、何かしら感じ合うものはあったらしい。
それは恐らく、二人の生きてきた境遇が少しばかり似ているからなのだろう。
ナマエもアンナも、王を造ろうと目論む研究に巻き込まれた過去が共通していた。

「そうですね、否定はしません」

この少女は、視えるのだ。
王の力ではなく、ストレインとして元々持っていた異能は、その力こそ減少したものの身体に残っていると、二度目の卓袱台会議で聞いた。
隣に座る人間の思惟を占めている憂悶くらい、見通せてしまうのだろう。

「……怖いの?」
「……興味深い質問ですね」

宗像は、常の癖で曖昧に答えた。
真っ向から否定することに意味はなく、またそのつもりもないが、かといって宗像は全てを正直に白状するような人間でもない。

「ナマエも、怖いって」

まるで本人から直接聞いたかのような口振りに、宗像は若干たじろいだ。
もちろんそれを顔には出さない。

「レイシもナマエも、大切なこと、黙ってる」
「大切なこと、ですか」

ナマエがどうかはさておき、宗像に関してのみ言えばそれは当たっている。
もうかれこれ一ヶ月以上、殆ど毎晩を共に過ごしているが、宗像は未だナマエに己の抱く鬼胎を打ち明けてはいなかった。
互いの間に不和が生じてしまっているような気がして、その奥へと踏み込めない。
ナマエにも、何か宗像に明かしていない大切な話があるということだろうか。

「すれ違ってるのは、悲しい」

それは、誰が悲しいのか。
当事者二人のことか、それを視てしまったアンナのことか、それともその事実は悲しいものだという客観的な認識なのか。

「レイシ」
「はい」
「レイシは、もっと話した方がいい」

基本的に弁が立つ宗像に、そんなことを言う人がいるとは。
宗像は思わず笑いそうになったが、アンナの横顔が酷く気遣わしげだったので黙って続きを待った。

「大切なこと、ちゃんと話さないと後悔する」
「……ご忠告に感謝しますよ」

後悔。
嫌な単語だった。
恐らく、無意識的な拒絶が声に乗ったのだろう。
アンナはそれ以上何も語らずにホットミルクを飲み干し、おやすみ、と二階に戻って行った。
その後ろ姿を見送ってから、宗像は煙草を口に咥える。
それまでずっと黙していた草薙が、すかさずZippoを翳した。

「……なんや、やっぱり何かあったんやね」

そこに、深入りするような問いはない。
事実をゆっくりとなぞるだけだ。
宗像は薄く笑いながら煙を吐き出した。

「そうですね。なかなか身に沁みましたよ」

草薙が自らも煙草に火をつける。

「その様子やと、図星やったんやな」
「ふっ、……黙秘させて頂きましょうか」

それは肯定に他ならず、草薙が僅かに驚いた様子を見せた。
それもそうだろう。
宗像自身、アルコールのせいだな、と自らの発言を一歩引いた位置から聞いていた。

「……ナマエちゃんにとってのあんたはな、多分アンナにとっての尊やねん」

ぴくり、とグラスを持つ宗像の指が跳ねる。
草薙はそれを認めてもなお、気にする素振りを見せずに話し続けた。

「もちろん全く同じやない。せやけど、きっと近いもんはあるんやと思う。少なくとも、アンナはそう思っとる」

宗像は黙って煙草の煙を吸い込んだ。

「アンナは何があっても尊を否定せえへんかった。学園島でも、尊を止めへんかった」

宗像が周防を殺した、学園島事件。
そこに触れても草薙の声音は一切変わらないまま、棘すら見せずに柔らかな口調を保っている。

「尊が望んだことならそれでええ。アンナが言うとったわ。……ナマエちゃんにとっても、きっとせやねんやろな」

思わず顔を上げた宗像の視線の先、草薙が大きく紫煙を吐き出してからサングラスの奥で目を細めた。

「あんたが望むなら、それがええんとちゃう?」

まるで、宗像が何に憂慮しているのか全て知っているかのように的確な一言。
短く息を呑んだ。

宗像が望むなら、それがいい。
ナマエは、そう思ってくれるのだろうか。

「なんてな。しがないバーテンダーの独り言や。忘れたって」

草薙は最後にそう言って、やんわりと苦笑した。






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