[5]指先をすり抜けていく涙
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その夜、約束通りナマエは宗像の私室を訪れた。
正確には、結局深夜まで情報室に詰めていた顔色の悪いナマエを宗像が半ば強引に回収し、部屋に連れ込んだ。
流石のナマエも寮に戻ってまで仕事をする気はないようで、大人しくソファに座っている。
宗像は激務の合間に買い込んだ食材で、ホワイトソースのオムライスを作った。

「ナマエ、出来ましたよ」

どうせしばらくは碌に食事などとっていなかったのだろう。
宗像がいつもナマエの使用するデスクの側に常備しているクッキーは少しばかり減っていたが、恐らくはそれしか食べていないはずだ。
ここ最近で、元々痩身だったナマエはさらに細くなった。
宗像にはそれが心配で堪らなかった。
制服から宗像の用意した浴衣に着替えたナマエが、ぺたぺたとテーブルに近付いて来る。
椅子に腰を下ろして素直にスプーンを握ったナマエに、なぜか酷く安堵した。

「美味しいですか?」

小さな一口を咀嚼し、嚥下した頃合いを見計らって問えば、返される首肯。
宗像はほっと笑みを浮かべ、ようやく自らもスプーンを手に取った。
基本的に口数が少ないナマエは、食事中になると殆ど喋らない。
それは行儀が良いというよりも、摂食という行為がナマエにとっては大変な作業だからなのだろう。
食の細いナマエは、普通の一食分を食べるだけでもどこか苦しそうに見えることが多かった。

「無理をして全て食べる必要はありませんからね。食べられる分だけ食べて下さい」

共に食事をする度、宗像は毎回同じことを言う。
たくさん食べてほしいとは思うが、食事を義務だとは感じてほしくなかった。
再び頷いたナマエが、宗像のものより一回り小さく作られたオムライスにスプーンを入れる。
少なくとも味はお気に召したらしいと、宗像は俯き気味に食事を進めるナマエを見守った。

結局、時間は掛かったものの、ナマエはきちんと皿の上のオムライスを完食してくれた。
いい子ですね、と宗像が頭を撫でれば、ナマエは小さく笑った。


「もう休みましょうか」

食後、ソファでお茶を飲んでいるとナマエが眠そうに目を擦ったので、宗像はその手から湯呑みを抜き取る。
三日も徹夜をすれば、そろそろ身体は限界だろう。
どこかぼんやりとしたナマエを横抱きにし、宗像は寝室へと足を向けた。
やはり軽くなった、と腕の中の重みに宗像は眉を寄せる。
ベッドの上にナマエの身体を下ろしても、スプリングは殆ど沈まなかった。
宗像はその隣に寝そべり、掛け布団をナマエの肩まで持ち上げる。
同じベッドで眠るのは、石盤が解放されそして破壊された事件の前夜以来のことだった。
これが最後になるかもしれないと、宗像が覚悟していた夜。

「ゆっくり眠って下さい。朝になったら起こしますから」

そう言って頭を一度撫でると、ナマエはごそごそと楽な姿勢を探すように身動ぎし、やがていつものように布団へと潜り込んで宗像の胸元に顔を埋めた。
数分と経たずに呼吸が緩やかなものへと変わり、ナマエが眠りに落ちたことを知る。
やはり相当に困憊していたのだろう。

「すみませんね……、無理をさせてしまって」

現状がいかにナマエにとって負担の大きいものか、宗像とて充分に理解している。
それは勿論ナマエだけでなく、奔走するセプター4の隊員誰しもに言えることだろう。
しかし、いくら世界各国でストレインが発生したとはいえ、やはり事件の数は石盤のある日本が最も多かったのだ。
英語を含み数ヶ国語に精通しているナマエにとっては、国外に派遣された方が負担は少なかったに違いない。
しかし宗像は、完全なる私情で以てナマエを椿門に残した。
一度遠ざけておいて何を今更、と言われればそれまでだが、宗像はもう二度とナマエを自らの傍から離したくなかった。
たとえそれが任務だとしても、手の届かない場所に行ってほしくなかった。
そんな身勝手な理由で、宗像はナマエの名を国外派遣のメンバーに加えなかったのだ。

本当に、なんて自分本位なのだろうか。
宗像はナマエの寝息に耳を傾けながら、小さく自嘲した。
一人で勝手に道を選び覚悟を決め、何の相談もなく枉惑するようにナマエを遠ざけ、剰えそのまま置いて逝こうとしたというのに。
生き残ってみれば、今度はナマエを手放したくないと縛り付け、無理をさせている。
どこまでも身勝手で、反吐が出るほどに傲慢だ。
幸せになってほしい、という願いは真実であると同時に、宗像の我儘でもあったのだろう。
ナマエを死なせずに済むという安堵を得ることで、満足しようとしていた。
綺麗事を並べ立てて、本当に救われたかったのは宗像の方だ。
そして今も、ナマエを安心させるために宗像の傍に置いているのではない。
宗像が安心したいから、ナマエを束縛しているのだ。

「……幻滅、されてしまいそうですね……」

あの日ナマエは、宗像の行動を責めなかった。
罵声と共に殴られる覚悟も、血涙と共に謗られる覚悟も出来ていたのに、ナマエは宗像の取った方法を肯定した。
かつてのナマエならば、きっとそれはあり得なかった。
ナマエの中で、どのような変化があったのだろうか。
宗像には分からなかった。

ナマエは徹夜三日目だと言っていたが、実は宗像は五日目だ。
精神力が人一倍とはいえ、流石の宗像でも眠気は感じる。
たとえ胸懐が懊悩に揺れていたとしても、ナマエがすぐ傍にいるという安心感は確かに宗像を癒し、久しぶりに安らかな眠りへと誘い込んだ。

「………れ………さ………」

しかし、眠りの縁に足を掛けたところで不意に鼓膜がナマエの声を拾い、宗像は反射的に瞼を持ち上げる。

「………れー、しさ……」

布団の中から聞こえてくるナマエの声は、呟くように宗像の名を呼んだ。
寝言だろうかと、宗像は静かに掛け布団を持ち上げた。
そこには、宗像の胸元に顔を埋めたまま眠るナマエがいる。
宗像の夢を、見ているのだろうか。
都合の良い想像をし、宗像は思わず頬を緩めた。

しかし。

「………や、だ………いっちゃ、や………」

次いで聞こえた言葉に、宗像は心臓を貫かれるような心地で息を呑む。
宗像の浴衣の端を掴む細い指先に、胸を圧迫された。

「……れ、しさ……」

どんな夢を見ているのかなど、一瞬で分かってしまった。
一度置いて行こうとしたことがナマエにどれほどの傷を残したのか、気付いてしまった。
毅然と、まるで当たり前のように宗像を肯定してくれたナマエが、その胸裡でどんな痛みと戦っていたのか。
前回このベッドで共に過ごした夜、宗像の命令に含まれた意図を違うことなく理解してしまったナマエは、どんな思いでそれを聞き、頷いたのか。
宗像の浅慮な安堵よりもずっと、ナマエの胸を抉った喪失は深いのだ。

「ナマエ……」

片手でナマエの指先を包み込み、もう一方の手でナマエの身体を抱き締める。
起こしてしまうかもしれないと危惧したが、ナマエは宗像に擦り寄って弱々しい寝息を零すだけだった。
唐突に、思い出す。
あれは一年半ほど前の出来事だ。
任務中にストレインの影響を受けたナマエが、一時的に視力を失ったことがあった。
あの時、目の見えない状態を気遣った宗像に対し、ナマエは言ったのだ。

見えないのが怖いんじゃなくて、礼司さんがいなくなっちゃうことが怖い。

そう言って、宗像の手を握り締めた。
あんなにも、喪失を恐れ、宗像に縋っていたのに。
宗像は、その指を一度振り解いてしまった。


「……ここにいます。いつまでも君の傍にいますよ、ナマエ……」

掠れた声でその耳に囁きかける。
宗像は愛おしい痩身を抱き締めたまま、思惟を煩悶で満たしてまんじりともせずに夜を明かした。






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