[4]佩剣者の背中
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「室長、ミョウジです」

執務室の扉をノックする。
どうぞ、という是認の前に僅かな躊躇いがあったことを、ナマエはどう受け止めればいいのか分からなかった。
扉を開けた先、宗像が常のように笑みを浮かべて椅子に腰掛けている。
しかし、紫紺の双眸に過度な気遣いの色が含まれていることは明らかだった。
以前の宗像は、こんな目でナマエを見なかった。

「……各地の被害状況を、一通り把握しました。これが、その報告書です」

執務机に近付き、腕に抱えていた書類の束を差し出す。
宗像は微笑んだまま手を伸ばしてそれを受け取った。

「ふむ、なるほど。国内だけでもこれほどですか」

ぺらぺらと書類を捲った宗像が、言葉の内容とは裏腹に然して深刻さの見えない声遣で独り言つ。
その態度は、青の王という肩書きを背負っていた頃と何も変わらなかった。

「全体的な人手不足は否めませんね」

書類から顔を上げた宗像の苦笑に、ナマエもまた目を細めてその答えとする。
人手不足の原因は、生憎と宗像の采配にあった。

石盤の解放によって拡大した異能の力は、国内に留まらず世界各地でストレインを生み出した。
ストレインという存在はそれまで日本にしか発生しなかったため、海外にセプター4のような異能対策組織は一つもない。
首相により解任令が撤回され室長職に返り咲いた宗像が最初に下した判断は、特務隊をそれぞれ国外に派遣して各国の異能事件対策を援助することだった。
今、淡島や伏見を含め、特務隊の殆どが海の向こうにいる。
よって、国内の諸騒動に対応しているのは、海外派遣メンバーに名を連ねていないナマエ一人だった。

宗像の判断が誤っているわけではない。
しかし、圧倒的に人手が不足していることは如何ともし難い事実だった。
撃剣機動課の人員も多くが出払い、椿門は閑散としている。
宗像は相変わらず執務室に悠然と構えているように見えるが、実際のところ、仕事は煩雑かつ厖大だった。

「すみませんね、ミョウジ君。何日目の徹夜ですか?」
「……三日目、ですけど」

石盤が本格的に解放されていた時間は僅か一時間にも満たなかったというのに、その影響力は絶大だった。
日本全国でストレインが湯水のように沸き、それに伴い異能者事件が大量発生した。
暴動に繋がったケースも多数あり、その被害状況を把握するだけでも一苦労だったのだ。

「それはいけませんね。休息も大切な仕事の一つですよ」
「……そう、でしょうけど」

生憎と眠る暇がないのだ、と言外に訴えれば、宗像は申し訳なさそうに苦笑した。
そもそも、そう言う宗像自身が執務室から全く出て来ない。
ナマエ以上に休んでいないことは明白だった。

「今夜は一度ゆっくり眠って下さい」
「でも、」
「事は長期的なものです。全てが片付くまで休まない、と言うのであれば、あと数ヶ月は起き続けていることになりますよ」

一度休みなさい、と宗像が繰り返す。
宗像の言うことは尤もだと理解し、ナマエは小さく頷いた。

「……あの、」

静謐な声音を一転、宗像がどこか躊躇いがちに呼び掛けてくる。
ナマエは視線を合わせることで続きを促した。

「……よかったら、私の部屋に来ませんか?」

ああ、まただ、と、ナマエは違和感に眉を顰める。
その言い方もまた、宗像らしくないのだ。
以前、つまり石盤が破壊される前の宗像は、そんな風に伺いを立てるような口調でナマエを誘わなかった。

「もちろん無理にとは言いませんが、」

顔を顰めたナマエに何を思ったのか、宗像が提案に選択肢を作り出す。
遠慮があるような、僅かに余所余所しいような、奇妙な態度。

「……行きます、けど」

ナマエが違和感を拭えないままに答えると、宗像があからさまに安堵する様子を見せた。
ほっと唇を緩めた宗像が、ありがとうございます、と笑う。
何に対する感謝なのか、ナマエには理解出来なかった。

「じゃあ、また、あとで」

しかし今、それを問い質している時間的余裕はない。
ナマエは踵を返して執務室を後にした。
扉を閉める直前に見た宗像の表情はどこか不安げで、それがナマエの胸底を掻き乱す。
無意識のうちに首元のチョーカーをなぞりながら、ナマエは無人の情報処理室に足を進めた。


石盤の解放と破壊に関する一連の事件について、真相を知る者は少ない。
御柱タワーより奪取された石盤が≪緑の王≫比水流のもと解放され、異能事件が多発し、それに対抗する形で≪白銀の王≫アドルフ・K・ヴァイスマン、またの名を伊佐那社がダモクレスダウンにより石盤を破壊。
要約して文字にするとたったそれだけのことを、政府がまさかありのまま国民に伝えられるはずもなく、情報は複雑に入り組んだ挙句に様々な改変を加えられて報道された。
実はその政府に対しても、正確な事実は報告されていない。
宗像は石盤の解放を敢えて"暴走"と称し、さらにその石盤自体を"止むを得ず"破壊したのは宗像礼司だと首相に説明した。
その裏には、宗像と伊佐那社、そして櫛名アンナによる協議があった。
共に王権者という立場から離れた三人は、石盤が破壊された後日に学園島で再び卓袱台会議を開き、各自の今後の行動について確認し合った。
ヴァイスマンの身体を取り戻した伊佐那は、葦中学園で教鞭を執ることにしたという。
また、石盤が破壊された後もクランズマンやストレインに残った僅かな異能について、資料を元に研究を続けていくということだった。
アンナは今後の人生についてまだ何も決めていないと話した後、これまでは狭い世界で生きていたから様々なことを勉強していくつもりだ、とも明かした。
そして宗像は、罷免が取り消しになったことを説明し、今後もセプター4の長として秩序の維持に努める、と宣言した。
この会談が行われた時点ですでに淡島と伏見は国内にいなかったため、付き添いだったナマエは宗像の背中を見ながらその言葉を聞いていた。
それぞれの立ち位置を確認した結果、今後も国政に関与していくのは宗像だけだと分かり、石盤を破壊したのは宗像だということにする、という約束が交わされた。
かつての王権者という立場を名実共に捨てる伊佐那やアンナに、政府からの余計な干渉がされるべきではない、という宗像自身の判断だった。
よって、今この国で最も大きな権力を隠然と握っているのは、世界を混沌から救い秩序を保った、セプター4の室長である宗像礼司だ。
しかし宗像は政府関係者からの過度な接待やら破格の厚遇やらを全て不要と切り捨て、あくまでも東京法務局戸籍課第四分室の室長という立場を貫いている。
もちろん必要とあらばかつての黄金の王のように裏から政治に手を回すこともあるのだろうが、現時点での宗像はそんな素振りを一切見せることなく、一介の公務員として異能事件の処理に従事していた。

身も蓋もない言い方をすれば、宗像は石盤が破壊されたあの日、逃げることが出来たのだ。
頭上の剣が失くなり、青の王という宗像をセプター4の室長に縛り付ける肩書きが消え、あの瞬間ただの一般人になった宗像は、そのまま姿を晦ましてしまうことも可能だった。
しかし宗像は、そうしなかった。
隊員たちに労いの言葉をかけ、当然のごとく椿門に帰投した。
すでにその身から王の力は失われているというのに、宗像は持ち前の優れた身体能力と穎悟な才知で以て、今もサーベルを佩いている。
曇りなき大義を掲げ、折れることのない理想を貫いている。

だからナマエもまた、立ち止まれないのだ。
人手が足りずとも、厖大な量の仕事を前にしても、投げ出すわけにはいかない。
たとえ戴く王が厳密に言うとすでに王ではなく、セプター4が青のクランでなくなっても、ナマエが宗像礼司のものであることに変わりはない。

ナマエは情報処理室の扉を押し開け、テーブルに置かれた小袋の中から掴んだクッキーを口に放り込んで仕事を再開した。






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