[2]エンドクレジットに名はいらない
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「礼司さんっ!!」

その呼び掛けに振り返った男が目を見開くさまをまるでスローモーションのようにはっきりと認識し、ナマエは思った。
なんて馬鹿な人なんだろう、と。
しかし、それは今更な所感だった。
ずっと前から、それこそ出会った頃から、ナマエはそれを知っていた。

道端に、まるでぼろ雑巾のように落ちていた見ず知らずの人間を拾って。
お粥にバナナを入れて。
目の見えない他人と一緒に暮らすと言い張り、家をバリアフリーにする算段を立てて。
名前を贈り、誕生日を作り、戸籍を捏造して。

数え上げればきりがないほど、馬鹿みたいなことをしてくれた。
そして極め付きがこれだ。

ナマエは気付いていた。
石盤が解放されたら安萬を起動させろ、という命令が本音ではなく建前だと、知っていた。
それはナマエを遠ざけるための口実に過ぎない。
そこまで理解した上で、ナマエは頷いたのだ。
騙されたふりを、してあげた。

「………ナマエ………?」

宗像の唇が、微かに動く。
ナマエは足の動きを緩めないまま、振り返った宗像へと駆け寄った。


宗像を騙し返すためには、完璧な芝居が必要だった。
だからナマエには、手放されたからと愁嘆に暮れている時間などなかった。
石盤が解放された時、ナマエは確かに命令通りヘリコプターに飛び乗って東京を離れた。
宗像がGPSでナマエの居所を確かめようとすることは分かっていた。
その確認を誤魔化すところまでが、ナマエの用意したシナリオだった。
ナマエもまた、モニターで宗像の搭乗するヘリコプターの動きを監視した。
そして、そのヘリコプターが読戸付近で着陸したのを確かめた直後、ナマエは進行方向を百八十度変えたのだ。

互いに、随分とまどろっこしいことをしたと思う。
だが、それは必要なことだった。
青の王として意地を貫き通そうとする宗像に、最後まで戦わせてあげたかった。
その理想を折りたくなかった。
何にも縛られることなく一人で戦おうとする宗像の枷になりたくなくて、ナマエは宗像の我儘を聞き入れた。

しかし、それもここまでだ。
生憎とナマエには、青の王の最後を宗像礼司の最期にするつもりなど欠片もない。
周防尊が死んだ時、ナマエは誓ったのだ。
何があっても、宗像に剣を落とさせはしない、と。
石盤にも、剣にも、大義にも。
宗像礼司という存在を奪わせる気はないのだ。


硬直して立ち竦んだ宗像に、真正面から飛び付く。
その勢いに一歩下がった宗像の身体を抱き締め、全力で縋った。
周囲の視線も、宗像の喫驚も、何も関係ない。
この人を喪うわけにはいかない、ただそれだけだった。

「き、みは……っ、何をしているんですか!」

頭上から、焦燥に満ちた叫び声が降ってくる。
勝手に好きなだけ取り乱せばいいと思った。

「私が何のために……っ」

宗像は一度も言葉にしなかったが、きっと、生きてほしかったのだろう。
自らの死後もナマエが生きることを望んだのだろう。
それを疑うつもりはないし、それが宗像のナマエに対する情愛だということも知っている。

「何のために君を、どんな想いで……っ!」

しかし、本人は気付いていないのかもしれないが、それすらも宗像礼司の本心ではないのだ。
宗像が本当に望んだことを知っているのは、この世界でただ一人、ナマエだけだ。

「どうして君は私の言うことを聞かなか、っ、」

ナマエは内心で掛け声を一つ呟くと、宗像の鳩尾に思い切り頭突きをかました。
宗像がぐっと息を詰める。

「礼司さん」

流石の宗像も口を噤んだ。

「ねえ、礼司さん」

腰に抱き着く腕をそのままに、ナマエは顔を上げる。
悲痛という言葉がぴったり当て嵌まる表情で、宗像がナマエを見下ろしていた。

「憶えてますか?」
「……何を、ですか」
「礼司さんが、王になった時」

宗像が突如石盤に喚ばれた時も、ナマエは今と同様宗像に抱き着いたのだ。
上擦った声の制止を無視し、青い炎を纏った身体にしがみつき、鳩尾に頭を突っ込んで、その名を呼んだのだ。

「あの日も、こんな感じ、でしたね」

宗像もまた、ナマエと同じ記憶を辿ったのだろう。
その表情に驚きが広がる。

「あの時、私が何て言ったか、憶えてますか」

忘れたなんて、言わせない。
でも、この人は馬鹿だから、何度でも伝えるべきなのだろう。

「置いて行くなんて、許しません。君は駄目です、なんて、言わせません。独りになんて、絶対に、してあげません」

あの時よりも余程冷静に、しかし同じ言葉を繰り返す。

「宗像礼司は、私のものです」

宗像の紫紺が目一杯に見開かれ、確かにナマエを映し込んだ。
何か言おうと開かれた唇が、しかし音を発することなく蠢く。
やがてきゅっと目を細めた宗像は、どこか泣きそうにも見えた。

「だから、死なせません」

ナマエがここに来たのは、共に死ぬためではない。
宗像の懇願に背き、心中をするためではない。

「まだ、保てます。大丈夫です。私がここに、いるのに、落としたりしない、でしょ」

とん、と宗像の背中を叩いた。
ナマエにその経験などないが、恐らく幼子をあやすような手付きなのだろう。

「もう少し、ですから。抑えて下さい」

見上げた宗像の顔の更に向こう、碧落に辛うじて浮かぶ大剣がある。
亀裂が何本も走り、刃が毀れ、破片が少しずつ降っていた。
だが、そんなものに負けるような人ではないのだ。

「………室長の力が……」

それまで固唾を呑んで成り行きを見守っていた淡島の声が、ナマエの背後から聞こえた。
宗像の身体を包む電流のような青の力が、その勢いを少し弱める。

「そう、そんな感じ、です。そのまま、抑えて、」

ナマエは再び宗像の身体を抱き締め、その胸に頬を押し当てた。
鼓膜を揺らす心臓の音に、神経を集中させる。

「ねえ、礼司さん」
「……は、い……っ」

恐らく、並大抵ではない精神力で以て剣の形状を保たせているのだろう。
宗像の息が荒くなっている。

「誕生日の、プレゼント、なんですけど」
「……誕生日、ですか?」
「礼司さんと、水族館、行きたいです」

次の誕生日を祝うつもりが宗像になかったことを、ナマエは知っていた。
その時自分は生きていないと、宗像は覚悟していたのだろう。

「礼司さんは、誕生日、何が欲しいですか?」

それも、考えたことなどないのだろう。
だが、ナマエは諦めない。
物分かりよく、諦めてなどあげないのだ。

「考えておいて、下さいね。ちゃんと」

暴走する力と、それを抑え込もうとする力が拮抗する。
ナマエは宗像の常より速い鼓動に耳を傾けながら、抱き締める腕の力を強くした。

「礼司さん」

この命は誰にも、何にも渡さない。
絶対に手放さない。

「いきますよ、一緒に」

顔を上げ、額に汗を浮かべて耐える宗像にそう告げた瞬間、ゲートの下から赤い炎が噴き上げた。








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