玉座を降りたあと[4]
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目の前を歩くナマエの背を、宗像はじっくり眺め入る。
宗像が人の後をついて歩くというのは、少し珍しい状況だった。
部下は基本的に宗像の後ろを歩く。
もちろんナマエも、職務中は宗像の前に立ったりなどしない。
しかし職務を離れると、ナマエは宗像の前だったり隣だったり後ろだったり、その時の気分で好きな場所に立った。

淡島よりも背が低く華奢で、その後ろ姿はどこか頼りない印象を宗像に与える。
足音を立てずに歩く癖があるナマエは、気怠げな歩き方とは裏腹に全くの無音で進んで行く。
夜道に溶け込む黒猫のように、小さくて静かな存在。

「ミョウジ君」

そのままふらりとどこかへ消えてしまうような気さえして、宗像は思わず名を呼んだ。
ナマエが肩越しに振り返る。

「なんです?」

僅かに億劫そうな声音は頼りなさげな雰囲気を一掃する不遜なもので、宗像は知らずのうちにほっと息を吐き出した。

「……君に聞いてみたいことがあるのですが、」
「はあ、」

ナマエは前に向き直って再び歩き出したが、その背中から拒絶の色は感じられない。
宗像は僅かに逡巡し、視線を彷徨わせた。

話さなければ伝わらない。

先刻、バーで草薙に言い含められた内容を反芻する。
宗像はゆっくりと呼吸を整え、思い切って続きを口にした。

「君はいつまでここにいてくれますか?」

冷えた空気に、問いが落ちる。
宗像は黙って答えを待った。

「いつまでって。いたい間はいますけど」

返されたのは何ともナマエらしい淡白な回答で、宗像は情けなく苦笑する。

「……そこに、私が干渉する余地はありますか?」
「はい?どういう意味です?」
「私が君に対してここにいてほしいと願えば、君はそれを聞き入れてくれますか、ということですよ」
「……ははっ、また随分とらしくないこと言いますね」

宗像に背を向けたまま、ナマエが笑った。
街灯の少ない路地に、小さな笑い声が響く。

「どうしたんです?草薙さんに何か言われましたか?」

質問をはぐらかしたナマエに逆に問われ、宗像は短く嘆息した。
常のように理詰めで攻めるにはすでに手遅れだと気付いているから、宗像は敢えて後手に回ってみせる。

「ええ。言わなければ伝わらない、とありがたいご高説を拝聴しまして」
「へえ。それで?」
「ですので、君に言ってみようかと思った次第です」

なるほど、とナマエが呟いた。

「まあ、とりあえず異能がある限りセプター4は存続しますからね。ここまで来たら最後まで付き合いますよ、室長」

それは間違いなく、ナマエにしては珍しくも明確な恭順の意だった。
しかし、宗像が求めたものではなかった。
それを求めていたわけではなかったということに、言われてから気付いた。

「……君、それはわざとですか?」
「何の話です?」
「……ねえ、ミョウジ君」

手遅れかもしれない。
もう、一年も前の出来事だ。
仮にあの時のナマエが本気だったという低い可能性に賭けたとしても、月日が経ち過ぎた。
人の気持ちなど移ろうもので、今更手を伸ばしても遅いのかもしれない。

だが、欲しいと思ってしまった。
大抵のものを意のままに手にしてきた宗像が、ただ一つ最初から諦めていた存在。
いつか音もなく消えてしまうことを、心底恐れている。

「もう、手遅れですか?それとも、本気ではなかったのでしょうか」

答えはない。
ナマエは黙したまま歩き続ける。

「……だとしたら、先に謝っておきます。今から私は、君の意に沿わないことをします。すみません、」

そう言うが早いか、宗像は三歩分の距離を一瞬で詰めると背後からナマエの身体を抱き竦めた。

「ちょ、」
「ナマエ」

流石に驚いたのか、反射的に声を上げたナマエを遮り、華奢な身体に回した腕に力を込める。
宗像の身体にすっぽりと収まってしまうほど、ナマエは小さかった。

「君が好きです。君が欲しい。だから、ここにいて下さい。セプター4の室長としてではなく、宗像礼司個人としての願いです」

上体を屈めて首を曲げ、ナマエの耳元に囁きかける。
それは半ば懇願だった。
欲しいものを自らの力ではなく、その対象に強請って手に入れようとしたのは初めてのことだ。
宗像の腕の中、しばらく口を噤んでいたナマエがゆっくりと唇を開いた。

「……一つ、条件があるんですけど」
「聞きましょう」
「無理難題でも?」
「構いません」

宗像はもう王権者ではない。
だが欲したものを手に入れるために手段を選ばない狡猾さは健在だった。

「その、私にここにいてほしいっていう室長のオネガイですけどね、」
「はい」
「一生、って付け足して下さい」
「………え……?」

宗像が困惑した一瞬を、ナマエは見逃さなかった。
僅かに膂力の緩んだ腕の中で身体を反転させたナマエが、正面から宗像を見据える。

「一生傍にいろって言ってくれたら、頷きますから」

その言葉を咀嚼するのに、宗像は通常ではあり得ないほどの時間を要した。
やがてそれが、一生宗像の傍にいたい、というナマエ
の願いなのだと理解するや否や、宗像は声を震わせた。

「……そんなことを言って、いいのですか?本当に、手放してあげられなくなりますよ?」
「二度は言いません」

宗像の臆病な予防線など一瞬で蹴り飛ばし、ナマエは宗像を見上げたまま答えを待っている。
その双眸は、どこまでも揺るぎなかった。

「ーー 私の傍に、いて下さい。一生、私の腕の中に。最期まで私と生きて下さい」

辿々しい宗像の希求に、ナマエは先の言葉通り何の躊躇もなく頷いた。
込み上げる喜悦に感極まり、宗像はもう一度ナマエを強く抱き締める。
全ての感覚を凌駕する、圧倒的な愛おしさがあった。

「……やっと、ですか」

腕の中で、ナマエが何事かを呟く。
上手く聞き取れずに聞き返したが、ナマエは何でもないと言って宗像の背に手を添えた。


あの日、高度一万メートルの上空で得たものを、答えだと思っていた。
己は何者か、という疑問の終着点だと思っていた。
しかしきっと、王は通過点だったのだろう。
大切な人たちと出会うための、己が世界の一部であると知るための、そして腕の中に愛おしい人を抱き締めるための。
宗像礼司はもう、王ではない。
そして、圧倒的に孤独な異端者でもない。


「ほら、寒いからそろそろ帰りますよ。……礼司さん」


人の温もりを感じることのできる、ただの人間だ。






玉座を降りたあと
- そこに、平凡な幸せを見つける -





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