玉座を降りたあと[3]
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背後でからん、とドアベルが鳴ったのは、宗像が四杯目のターキーを丁度飲み干した時のことだった。
宗像は、何気なく振り向いた先で立っている姿に珍しくもぽかんと口を開ける。

「お姫様のご登場、ってな」

カウンターの内側で、草薙が戯けた。
宗像は正面に視線を戻し、長身のバーテンダーを見上げる。

「……貴方、なぜ連絡先を知っているのですか」
「細かいことは気にしなさんな、持てへんよ」

宗像が喰えない男を睨み据えている間に、ナマエが近付いて来た。
すでに退勤した後だったのか、宗像同様私服姿だ。

「こんばんは、草薙さん。泥酔して帰れないって、そんな風には見えませんけど」

その言葉に、数十分前にタンマツを操作していた草薙がどんな文面でナマエを呼びつけたのか理解し、宗像はわざとらしく溜息を吐き出した。

「すみませんね、ミョウジ君。些細な齟齬です」
「まあいいんですけど。もう帰るんですか?」
「ええ。せっかく君が迎えに来てくれましたから」

はあ、と曖昧に頷いたナマエの隣に立ち、宗像は財布から数枚の札を抜いてカウンターに置く。

「お釣りは結構です」
「キューピッド代やな」
「……淡島君に、一発殴って頂くようお伝えしましょう」
「ははっ、堪忍」

宗像は財布と煙草をジャケットの内側に仕舞い、楽しげに笑う男を睨め付けた。

「また来てや、宗像はん」
「……ええ、時間があれば」

眼鏡のブリッジを押し上げ、宗像は短く返す。
草薙はその言葉で充分に満足した様子を見せ、気ぃつけて帰り、と二人を送り出した。



「……すみません、迷惑をかけましたね」

店を後にし、寒空の下を歩き出す。
近頃日中は少し暖かくなってきたが、夜になるとまだ吐く息が白かった。

「いいですよ、別に。それより、タクシー捕まえます?」

大通りに向かって歩を進めるナマエは、宗像を気遣っているらしい。
タンマツを取り出そうとするので、立ち止まった宗像は少し躊躇ってからその提案を断った。

「このまま、歩いて帰りませんか?」
「室長がそうしたいならそれでいいですけど」
「ふふっ、ありがとうございます」

ナマエが素直にタンマツをコートのポケットに仕舞う。
宗像は笑い、ナマエを追って再び歩き出した。
数歩前を、ナマエが少し気怠げに歩く。
夜道に人影は殆どなく、冷えた空気が静寂を満たしていた。


あの日、白銀のダモクレスの剣が石盤に落ちた刹那、宗像を襲ったのは言葉にし難い感覚だった。
敢えて表現するのならば、安堵だったのかもしれない。
だがそれは命拾いをしたことに対する安心というよりも、肩の荷が下りたような脱力感だった。
三年と半年前、遥か上空で得た王の力。
それを急速に喪い、些か拍子抜けしたような感覚もあった。
己の中で、一つの時代が明確に終わりを告げた。
三年半とは、人生において決して長い時間ではない。
しかし宗像にとって、それは最も密度の濃い期間だった。

王のエネルギーが消失するという、物理的な喪失感は免れなかった。
しかし、宗像自身が予想していた、王という自らの存在意義を失ったことに対する虚無感はあまりなかった。
限界を迎え、初めて立ち止まった宗像は、己が大義を貫いて作った一本の道を振り返った。
ずっと、宗像礼司という存在は孤独であることが必定なのだと思っていた。
だが、振り返ってみれば強烈な一撃をくれる淡島がいて、半泣きで喜ぶ特務隊の面々がいて、当然のように帰って来た伏見がいた。
そして、呆れ顔で眼鏡を拾うナマエがいた。
彼らは誰よりも宗像に近く、ずっと寄り添ってくれていた。


「……ねえ、ミョウジ君」
「はい?」

声を掛ければ、当たり前のように返事がある。
宗像が王でなくても、その瞬間を確かに共有してくれる。

「少し遠回りをしても構いませんか?」
「……どーぞ」

肩越しに振り返って寒いと文句を言いながら、宗像に付き合ってくれる。
それは恐らく、宗像が上司だからではないのだ。
ナマエは淡島ほど宗像に忠実な部下ではない。
伏見のように暴言を吐くことこそないものの、職務に関係のない場合における宗像の我儘を許容してくれるような人ではない。
本当に嫌ならば素直に嫌だと言うのだ。
だからこれは、ナマエ自身にとって絶対に忌避すべき行動ではないのだろう。

三年半前に見つけたミョウジナマエという人は、宗像にとって常に不可解な存在だった。
職務には忠実で、真面目で、その仕事ぶりは見事としか言いようがない。
その反面、宗像に対してはどこまでも淡白で、忠誠心など欠片も見せない。
それ自体は、宗像にとって何も問題ではなかった。
少しやんちゃな手駒があった方が面白い、くらいの認識だった。

しかし一年ほど前のある日、ナマエは平然と宗像の度肝を抜いてみせたのだ。
執務室で書類の受け渡しをした直後、まるで別の案件について言及するかのように自然な口振りで、ナマエは宗像に言った。

そういえば、私、室長のこと好きですよ、と。

流石の宗像も、しばし硬直した。
数秒前まで宗像の軽口を遠慮容赦なく切り捨てていたのと同じ口が、言葉だけをそのまま鵜呑みにするならば愛の告白をしたのだ。
は、と宗像は何の計算もなく聞き返した。
しかしナマエはそれ以上会話をする気がなかったらしく、じゃあ真面目に仕事して下さいよ、と言い置いて颯爽と執務室から出て行った。
残された宗像は唖然呆然だ。
ナマエに好意を抱かれていたなど、露ほども知らなかった。
恋情を含んだ視線など一度も感じたことはなかったし、その声音も決して好意を寄せる相手に向けるような甘いものではなかった。
青天の霹靂から一夜明けても、ナマエの態度は全く変わらなかった。
相変わらず宗像に対し些か辛辣で、我儘を容赦なく切り捨て、仕事の話以外は決して受け付けない。
宗像に告白をしたことなど微塵も意識していないらしく、むしろあれは夢だったのではないか、と宗像が非現実的な思考に陥るほどだった。
その徹底した態度のせいで、宗像はナマエに底意を問い質す機会を逸した。
ナマエからもその話題に触れてくることはなく、たった五秒間の衝撃的な告白は互いの中に仕舞われ、表面上は存在しなかったことになっている。
一年経った今でも、宗像はあの発言の真意を知らないままだった。

表立って、二人の関係性は全く変わっていない。
変化したのは宗像の意識だけだった。
告白から数日間は、とにかく疑問を感じていた。
だから宗像はナマエを注意深く観察したし、それとなく探りを入れてみたりもした。
結局何の答えも得られぬまま、ひと月、ふた月と時間が過ぎた。
その頃になってようやく、宗像は己がナマエのことばかり意識していることに気付いた。
観察という目的だった視線はいつの間にか愛着に変わり、疑問は渇求に擦り替わった。
いつの間にか、好きになっていたのだ。
しかし告白をしたことなど綺麗さっぱり忘れたかのようなナマエの態度は、宗像に足を踏み出させなかった。

それで、よかった。

宗像は王だった。
碧落に浮かぶ剣に命を左右される、青の王。
その覇道に他者を巻き込むつもりなど毛頭なかったし、また理解されることもない。
ナマエが何のつもりで好きだと口にしたのか宗像の知るところではなかったが、それが戯れだろうと一時の気の迷いだろうと、仮に本音だったとしても、宗像が応えることはない。
宗像もまた、抱いた情愛を胸底に仕舞って蓋をした。
その蓋は一年間、一度も開くことはなかった。

しかし今この瞬間、宗像は重厚な蓋がゆっくりと音を立てて開き始めていることを思惟の片隅で感じ取っていた。






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