優しく降り積む白い世界で
bookmark


※ K RETURN OF KINGS #12までのネタバレ注意
#13オンエア前の執筆のため、今後公式との矛盾が生じる可能性がございます。
















廊下の向こうから歩いて来る姿を視界に収め、ナマエは思わず頬を緩めた。
気怠げな態度を隠そうともせず、猫背で歩く、数ヶ月前に成人したばかりの青年。
ナマエに気付いてふいっと目線を逸らした表情は、何ともばつが悪そうだった。

「おかえりなさい、伏見さん」

三歩分の距離を残して足を止める。
流石に横を素通りすることは憚られたのか、伏見が同じように立ち止まった。

「…………タダイマカエリマシター」

視線をあらぬ方向にやったまま、返されたのは見事な棒読み。
つい喉を鳴らせば、伏見は盛大に舌を打った。
その響きさえ、どこか懐かしく感じられる。

「はい、お帰りなさい。ご無事で何よりです」

それは、胸臆から溢れた本音だった。
秩序を守る青のクラン、セプター4という組織。
掲げる大義を貫くため、凶弾に倒れた隊員も存在する。
この組織の職務に犠牲は付き物で、隊員たちは常に死と隣り合わせ。
だがその中でも、今回伏見に課せられた任務は一際危険なものだった。

「帰って来たらがっつり有休取ってやろうと思ってたのに、仕事溜まりまくりだし。ったく、あの人ほんと何やってたんですか」

抑揚のない低音で紡がれる、上司への非難。
ナマエには苦笑を返すことしか出来なかった。

「どいつもこいつも浮かれすぎなんですよ。何がお帰りなさい会だ馬鹿じゃねーのかそれより仕事しろよマジ」

次は部下への暴言である。
ちなみにその"伏見さんお帰りなさい会"の発案者は日高だ。
特務隊全員と、さらには宗像や淡島までもが参加の意思を表明している。
宗像が同席するという時点で常ならば大半が逃げ出す算段を立てるのだが、今回ばかりは誰も欠席の理由を必死で考えたりはしていなかった。

「まあ、今回は見逃してあげて下さい。みんな本当に嬉しかったんですよ」

伏見が宗像と盛大な口論の末にセプター4を飛び出したという事実は、少なからず隊員たちに動揺を与えたのだ。
ただでさえ、宗像が不安定な時期である。
増加するストレイン、宗像の罷免、組織の機能停止。
悉く秩序を乱された日々にようやく終止符が打たれたその日、伏見は帰って来た。

裏切られたのだと罵った隊員もいた。
それは仕方のないことだった。
宗像と伏見の演技は見事だったし、そうでなくてはならなかった。
だが、信じていた隊員もいる。
帰りを待って、伏見のサーベルと制服を大切に保管していた。
そして、地下から脱出してきた伏見の姿に、大の大人たちが挙って歓喜したのだ。

ナマエが思い返した光景と同じものを脳裏に浮かべたのか、伏見が盛大に顔を顰める。
だが、ナマエにはその目が柔らかく細められているように見えた。

「……どうせなら、肉、食わせて下さいよ」
「任せて下さい、室長のポケットマネーで焼肉ですから」

渋々といった体で出された妥協案に、ナマエは笑う。
野菜嫌いな伏見のために、と満場一致の決定事項だった。
チッと短く鳴った舌打ちは、恐らく照れ隠しなのだろう。
背けられた顔を見つめ、変わったな、と思った。
セプター4に入隊した頃は、全てを拒絶していた。
誰からも距離を取り、自らを小さな世界に押し込めてひっそりと息をしていた。
その伏見がいつの間にか、特務隊の面々を受け入れるようになった。
信頼に応え、与えられる愛情を受け止め、盛大に不機嫌そうな顔をしながらも相手に返すことを覚え始めた。
伏見はここに、自分の居場所を見つけてくれたのだ。

「………これ、」

そして、何よりも。

「返しておいてもらっていいですか」

差し出された、黒い天然石のネックレス。
間違っても伏見が自ら買うとは思えないそれは、元々宗像のものだ。
伏見が突き出した手から、ナマエはストーンネックレスを受け取った。

「ちゃんと、つけてたんですね」
「あの人がそうしろって言ったんですよ、趣味悪ぃ」

ナマエは、両手の中のネックレスを見下ろす。
小さな石の連なりを指先で撫でた。

「……ねえ、伏見さん。これ、何の石か知ってます?」
「知ってますけど」
「その石言葉も、知ってます?」
「…………知りません」

馬鹿正直な反応に、ナマエは思わず吹き出した。
隠し事が、演技が出来ない人ではない。
実際、宗像と二人で敵味方全ての人間を欺いてみせたのだ。
それなのに、こんな分かりやすい嘘をつくなんて。

「そういうことにしておきますね」

盛大な舌打ちを見舞われたが、ナマエの緩んだ頬は元に戻らなかった。

「でもこれは、伏見さんから返してあげて下さい」
「はぁ?」
「室長、伏見さんとゆっくり話したがってますよ」
「俺は別に話すことなんて何もないんですけど」

伏見の手を取り、ネックレスをもう一度握らせる。

「まあそう言わずに。伏見さんが気付いたこと、教えてあげて下さい」

ね、と笑いかければ、伏見は何度目かの舌打ちを零しながらネックレスを懐に仕舞った。






「室長、ミョウジです」

返ってくる是認の声が常よりも穏やかであることに、ナマエは内心で笑いながら扉を開ける。
宗像の姿は豪奢な椅子の上ではなく、茶室にあった。

「仕事はどうしたんですか、まったく」
「ふふっ、先程伏見君にも同じことを言われてしまいましたよ」

全く悪怯れた様子のない宗像に苦笑しながら、ナマエはブーツを脱いで畳に上がる。
正座をした宗像の側に、黒いストーンネックレスが置かれていた。

「……それは、良かったですね」

伏見はナマエの言った通り、律儀に宗像を訪ねたのだろう。
そしてここに座り、宗像の話に嫌々耳を傾け、舌打ちを繰り返したのだろう。

「……ええ、本当に」

腰を下ろしたナマエの正面で、宗像が静かに深く微笑んだ。
その視線がネックレスに落ちる。

「室長もなかなか気障ですよね」
「と、言いますと?」
「スピネル。石言葉は内面の充実、そして安全」

ナマエの指摘に、宗像は悪戯を見つかった子供のような表情を浮かべた。
宗像の細い指が、ネックレスをなぞる。

「サンクトゥムの庇護がなくとも、伏見君を守ってくれるように、と」

そう静かに囁いた宗像は、部下を案じる上司という、一人の人間の顔をしていた。
その宗像があらゆる手段を講じ、伏見を救い出したのだ。
八田美咲に発破を掛けたのも、平坂道反に多額の報酬を支払ったのも、宗像だった。

「伏見君も含め、私の部下は皆優秀ですね」

顔を上げた宗像が、レンズの奥で紫紺を細める。
きっと思い出しているのは、磐舟天鶏との間に立ちはだかった隊員たちの背中なのだろう。

「当然です。私たちは、宗像礼司のクランズマンですから」

たとえ命令がなくとも、王が地に伏せようとも、隊員たちの胸には常に宗像の掲げる大義が息づいている。
そんな組織を、宗像は創り上げたのだ。

「……それも、同じことを言われたんですよ」
「伏見さんにですか?」

流石のナマエも意外な言葉に目を瞠る。
ええ、と宗像が微笑んだ。

「俺はアンタのクランズマンだ、と」

それは、伏見の言葉そのままなのだろう。
瞼を伏せた宗像は、唇の端を緩めて小さく笑みを零した。

「……明日は雪ですかねえ」
「ふふっ、私もそんな気がしていますよ、ミョウジ君」

静謐な雰囲気の茶室で、互いの微かな笑い声が重なる。
黒い八面体の結晶が、窓から射し込む光を受けて輝いた。


「ねえ、ナマエ。一つ賭けをしませんか?」

不意に切り替わった呼称と唐突な提案に、ナマエは首を傾げる。
宗像は、ここ数ヶ月で全く見せることのなかった心底楽しげな笑みを浮かべた。

「明日、本当に雪が降るかどうか。降ったら私の勝ち、降らなければ君の勝ちです」
「……天気予報は快晴ですけどね。ちなみに、勝ったら何があるんです?」

きっと最初から報酬は決まっているだろうに、宗像はわざとらしく腕を組んで考える振りをする。
どうやら随分と興が乗っているらしい。

「では、こういうのはどうでしょう。ありきたりですが、敗者は勝者の言うことを一つ聞く、というのは」

なるほど確かに定番の賭けだが、悪くはない。

「いいですよ。じゃあ先に言っておきますけど、私が勝ったら明日中にその溜まりに溜まった仕事片付けて下さいね」

降水確率ゼロパーセント、予報は快晴。
勝ちはほぼ確定だろうと、ナマエは早々に要求を伝えた。
それを受け、宗像が吹き出すように苦笑する。

「君はまったく……、もう少しロマンというものを考慮して下さい」
「ロマンで仕事は終わらないんですよ」

生憎と、いつまでも雑談に興じている時間はないのだ。
ナマエは畳の上を躙り、縁から足を下ろしてブーツを履いた。
宗像が降雪を賭けに用いることが出来るようになった、そのことに少し安堵したなんて、白状するつもりはない。

「ナマエ」

立ち上がりかけたところで再び名を呼ばれ、ナマエは上体を捻って振り返る。
視線の先、宗像が真っ直ぐにナマエを見つめていた。

「私も先にお伝えしておきましょう。仕事は今日中に全て終わらせます。なので、もし明日雪が降ったその時は、私と一緒に仕事を休んで下さい」

は、と口を開けたナマエを意に介した様子もなく、宗像がその目に力を込める。
深い紫紺が、まるで切情を訴えるかのように揺らめいた。

「一日中、私と二人きりでいて下さい」

静かながら熱を帯びた声音に乞われ、ナマエは緩やかに目を伏せる。
これでは賭けにならなかった。
だが、それを素直に認めることが少しだけ悔しかった。

「………明日、降るといいですね」

立ち上がり、呟くように言い残す。
背後で宗像の笑う気配を感じながら、ナマエは足早に扉を目指した。

「ええ、本当に」

先刻と全く同じ言葉が、全く異なる口調で紡がれる。
それは、夜の情事を彷彿とさせるような艶めかしい声音だった。
たちが悪い、と内心で罵倒する。
赤くなった頬を見られることだけは避けたくて、ナマエは一礼もせずに部屋から逃げ出した。



翌朝。
世界を真っ白に染めんと降り積もる雪を窓から見て、ナマエは青の王の強運に心底呆れながら、数分と待たずにやって来るであろう恋人を想って小さく笑った。






優しく降り積む白い世界で
- これまでと、そしてこれからの話をしよう -









prev|next

[Back]
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -