Never Say Goodbye [4]その腕を離せと命じる理性、離したくないと抗う感情。
しかし宗像の葛藤は、第三の存在により外側から強制的に中断させられた。
腕の中で、ナマエが唐突に後頭部を勢いよく宗像にぶつけたのだ。
前屈みになっていた宗像の左頬と顎の辺りに、ナマエの頭突きは直撃した。
「ーーっ、」
二人揃って、声にならない呻き声を喉の奥に張り付ける。
全く予期していなかった宗像はもちろん、覚悟して攻撃したナマエにとっても相当な痛みだったらしい。
呆然と左の頬に手を添える宗像の前で、ナマエも頭の右上辺りを押さえていた。
ナマエの行動の理由が全く理解出来ずしばらく目を瞬かせていると、不意にナマエがくるりと振り返る。
双眸は、痛みのせいか僅かに潤んでいた。
濡れた瞳が真っ直ぐに宗像を射抜く。
その眼差しの鋭さたるや、宗像がたじろぐほどだった。
「ーーっの、馬鹿!」
「…………はい?」
見事な暴言に、宗像はいよいよ混乱を極める。
ナマエは喋る相手を間違えているのではないか、という疑念すら沸いた。
「頭いいのに、なんでそんなところで馬鹿なんですか!」
明らかな瞋恚を向けられ、宗像はどうすればいいのか分からず戸惑う。
二年も口にしなかった想いを今更白状したことについて、責められているのだろうか。
「貴方がっ、私をクランズマンにする時何て言ったか!憶えてないんですか!」
だが、そうではなかった。
「ーー 己で世界を構築すればいい」
ナマエの声で紡がれた、かつての宗像自身の発言。
息を呑んだ宗像を、ナマエは睥睨で以て見据えた。
「貴方は、儘ならない現実さえも自分が良しと思う方向へ作り変える人です。それが出来る人です」
圧倒的な信頼に満ちた声。
まるで当たり前のように断定され、宗像は目を瞠った。
「貴方がそう言った。私は忘れません。それなのに、なんで死ぬことを前提にしてるんですか……!」
震えた語尾に、心髄を揺さぶられる。
手を伸ばしたナマエが、宗像の制服を掴んだ。
ナマエは、疾うに知っていたのだ。
宗像の生きる道が如何なるものか理解した上で、二年間、傍にいてくれた。
そしてずっと、同じ道を歩んでくれるつもりだったのだ。
宗像ならばきっと死の運命すら変えられるのだと信じて。
ナマエは覚悟の上で、宗像の傍にいた。
「それを変えてみせるのが貴方なのに!なんで受け入れて諦めるんですかっ!」
宗像よりひと回りもふた回りも小さな手が、華奢な指先が、真っ白になるほどの力を込めて制服を握り締める。
至近距離から涙目で見上げてくるその眼差しは、宗像を詰問していた。
それは理想論だと答えかけ、宗像はその言葉を喉の奥に飲み込む。
そう、理想だった。
そして、宗像が貫こうとしている大義もまた、理想なのだ。
「……特別だって、言って下さいよ」
それまで鋭利な視線を向けていたナマエが、不意にその瞳を横に流す。
一転して弱々しい声音で、ナマエは呟くように言葉を零した。
「……傍にいろって、ずっと一緒にいろって、そう言って下さいよ。そしたら、私は……っ」
俯いたナマエの声が、嗚咽に消える。
力を失くして滑り落ちたナマエの手を、宗像は咄嗟に掴んで握り締めた。
「ナマエ、」
もう、呼んではいけないと思っていた。
だが、咄嗟に口を突いて出てきてしまうほど、届かない場所で何度も呼んだ。
愛おしい名前を、ゆっくりと唇に乗せる。
「君を愛しています。君だけが、私の特別です」
俯き震えるナマエを見下ろし、宗像は腹を括った。
無意識のうちに諦めていた。
それを運命だと受け入れ抗おうとしなかった。
今この瞬間、そんな不甲斐ない己を捨て去る。
「二度とこの手を離しません」
宗像が為すべきは、誰も巻き込まずに死ぬことではなかった。
そのための策を講じることでもなかった。
「だからナマエ。私と一緒に、生きて下さい」
この手を取って、共に生きる道を探すことだ。
片手を繋いだまま、もう一方の手でナマエの顎を掬い上げる。
それに促されて顔を上げたナマエは、静かに泣いていた。
宗像がナマエの泣き顔を目にするのは、これが初めてだった。
「……わたし、も……っ、好き、です……、礼司、さん……っ」
雫の伝う頬が、幸せそうに緩む。
睫毛を濡らすほど涙をいっぱいに溜めた双眸が、宗像を見上げて細められた。
「礼司さんが、おじいちゃんになっても、ずっと。あなただけが、私の特別です」
この瞬間の幸福を、宗像はどう受け止めればいいのか分からなかった。
ただ、衝動のままにナマエの身体を引き寄せる。
腰と頭に手を回し、僅かな隙間もないほどに抱き締めた。
「君は……っ、私をどうしたいんですか……!」
絞り出した声が掠れる。
熱くなった目頭を誤魔化すよう、ナマエの髪に顔を埋めた。
「私のものにしたいです」
そして、躊躇なく返された答えに今度こそ喉が詰まる。
到底声など出せず、宗像は無言のままにナマエの顔を胸元に押し付けた。
どうしてこんなにも愛おしい人を、一度でも手放すことが出来たのだろうか。
全身を駆け巡る、狂おしい想い。
もう二度と離れられる気がしなかった。
「……目を、閉じていて下さいね」
とてもじゃないが、見せられる顔ではない。
宗像はそう告げてから、ナマエの頬に手を添え唇を重ねた。
この二週間で募らせた切情を、二年も胸底に仕舞い込んでいた恋着を、全て伝えんと舌を絡める。
かつての優しい丁寧な口付けではなく、貪るような口付けだった。
今の宗像に、加減をしてやる余裕はない。
遠慮と矜持も持ち合わせてはいない。
必死だと思われようが、情けないと笑われようが、構わなかった。
呼吸も、心も、何もかも奪い尽くしてしまいたい。
置いては逝かない。誰にも渡さない。
ナマエのこんな姿を知るのは、自分だけでいい。
息苦しさを訴えられるまで、宗像は口付けを解かなかった。
「……っ、は……ぁ、れ、しさ……っ」
荒い呼吸を繰り返しながら、ナマエが瞼を持ち上げる。
その瞳が、宗像を見て大きく見開かれた。
「……だから、目を閉じていて下さいと言ったのに、」
僅かに滲む視界を自覚しながら、宗像は苦笑を零す。
気恥ずかしさに視線を逸らしてみても、ナマエは宗像を見つめたまま。
やがてその眼差しを柔らかく緩め、ふふ、と小さく笑った。
「笑いましたね?」
「いいえ、笑ってません、っよ?」
「笑っているじゃないですか」
「気のせい、ですって」
宗像の反応が、余計にナマエの笑いを誘ったらしい。
最早隠す気もなさそうなほどに笑われ、結局は宗像も吹き出すように笑みを深めた。
互いに喉を鳴らしながら、時折啄むように唇を重ね合う。
頬を撫でられる度幸せそうに笑うナマエが愛しくて、宗像は幾度もその頬に指を滑らせた。
「愛していますよ、ナマエ」
今ならば、言える。
これからは、いつでも言える。
それは、生き抜くという覚悟だ。
たとえ何があったとしても、ナマエの望む限り。
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