Never Say Goodbye [3]
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「……すみません。私としたことが、君の身に何かあってはと、焦っていたもので」

こんなにも馬鹿正直な回答が他にあるだろうか。
宗像は情けなく苦笑した。

「焦ってたら、名前で呼ぶんですか?」

痛いところを突いてくれるものだ。
宗像はしばらく適切な言葉を探していたが、結局は何の言い訳にもならない答えしか生み出せなかった。

「君のことは、名前で呼ぶ機会の方が多かったですからね」

虚言ではない。
しかし百パーセントの真実でもない。
宗像の胸臆にあるナマエへの感情が、危急の瞬間にその名を呼ばせたのだ。

「……室長。私の勘違いなら、自惚れるなって嘲笑って下さい」

身体ごと宗像に向き直ったナマエが、真っ直ぐに見上げて来る。
頭の中で警鐘が鳴り響いた。

「室長……いえ、礼司さんにとって、私はまだ特別ですか」

その問いの何よりも、二週間ぶりに呼ばれた名に胸が震える。
計画外の不利な状況に置かれていることなど二の次で、ただただその響きに歓喜する。
自分で訊ねておきながら不安げに瞳を揺らすナマエに、堪らない愛おしさが募った。

否定しなければならない。
まさか嘲笑の必要はないが、それは思い上がりというものですよ、と苦笑して見せなければならない。
そうでなければ、二週間前の決別に意味が失くなってしまう。
計画が水泡に帰してしまう。
これ以上、宗像が王として歩む覇道にナマエを巻き込んではいけないのだ。
遠からず死地へと赴くことになると分かっていて、傍に置いておくことは出来ないのだ。

言葉を失くした宗像をしばらく見つめていたナマエが、やがて先に視線を逸らした。
その表情は、誰がどう見ても明らかに傷付いていると分かるものだった。

「お手数をお掛けしてすみませんでした、室長。もう、大丈夫です」

平静を装おうとして失敗した、震える声。
ナマエは再び宗像に背を向け、タンマツからナイフを引き抜いた。
それをベッドと壁の間に挟み、次に粉々になったタンマツの破片を拾い始める。
黙々と作業に徹する小さな背中から、目を離せなかった。

これでいい。
これでいいのだ。
予期せぬ事態が一つ紛れ込んだが、このまま宗像が何も言わずに部屋を立ち去れば、計画は続行される。
王とクランズマン、上司と部下。
それだけの関係性を保ち続けることが出来る。
そうすると決めたのは宗像だ。
だから、これでいい。

宗像は余計なことを何も言わぬよう唇を噛み締め、ゆっくりと踵を返した。
その時になってようやく、ブーツのまま部屋に上がり込んでしまったことに気付く。
それほど、余裕がなかったのだ。
靴を脱ぐという身に染み付いた当たり前の習慣さえ失念するほど、焦っていた。
宗像にとっての当然さえ覆す、ナマエという存在。
呼吸すら儘ならない息苦しさに顔を顰めながら、宗像は足を踏み出した。
ナマエから一歩離れるごとに、爛れるような痛みが全身を焼く。
背後に感じる愛おしい気配に、気が狂いそうだった。
今すぐに振り返って抱き締め、唇を重ね、愛していると言えればどれほど良かっただろう。
許されざる想像に、胸を焦がす。
心臓を握り潰されるような苦痛を味わいながら、宗像は蝶番が外れて拉げたドアに向かった。
先程宗像が蹴り飛ばしたものだ。
流石にこれは謝るべきだろう、と宗像は殊更ゆっくり唇を開いた。

「……何か、言って下さいよ」

しかし宗像が謝罪を口にする直前で、沈黙はナマエによって破られる。
宗像は思わず肩越しに背後を振り返った。
ナマエは未だ宗像に背を向けたまま、タンマツを片付けている。

「室長が黙ってたら、分からないんです。貴方が王で私がただのクランズマンだから理解出来ないんじゃなくて、貴方が遠ざけるから理解できないんです」

非難とも異なる、何かを切実に訴えかけるような声音に息を呑む。
一呼吸分遅れて、ナマエは理解することを望んでいるのだと気付いた。

「……私、まだ何も聞いてません。捨てられた理由も、そもそもどういう理由で傍にいてくれたのかも」

殆ど囁くような声だったが、静まり返った空間では聞き逃すはずもない。
宗像は呼吸すら止めてナマエの言葉に耳を傾けた。
細かな破片を掻き集める手を止めたナマエが、ベッドに両手をつく。
宗像の視界で、その背は微かに震えていた。
あまりの息苦しさに、宗像は拳を握り締める。

こんなにも。
こんなにも、君は、私を。

見誤っていた。誤解していた。
まさかここまでつらい思いをさせるなんて、想定していなかった。
ぷつり、と掌の皮膚が切れる。
肉に食い込む爪の痛みで誤魔化さなければ、矢も盾もたまらず叫び出してしまいそうだった。

「要らなくなりましたか。飽きましたか。嫌いになりましたか。それとも、元からただの戯れですか。……ただ、弄びたかった、だけで、」

「ーー 違いますっ!」


そこが、限界だった。
引いたはずの一線を、自ら踏み越える。
宗像は大股三歩でナマエのすぐ後ろに迫り、形振り構わず背後からその身体を抱き竦めた。
回した両腕できつく拘束し、ナマエの頭に頬を押し付ける。
久しぶりに感じる温もりと匂いに眩暈がした。
二週間前よりも痩せた身体を折れてしまいそうなほど強く掻き抱き、縋り付く。
喘ぐような息が漏れた。

「愛しています……っ。君を、君のことだけを、愛しているんです……!」

初めてナマエに告げた言葉。
宗像の腕の中で硬直していた身体が、小さく震えた。

「君が必要です。飽きるなんてあり得ません。嫌いになれるはずもありません。戯れなどではない。弄ぶなんて、そんなことを出来るわけがない」

震えていたのは、宗像の方かもしれない。
溺れる者がそうするよう、宗像は必死でナマエに縋った。

「ずっと、君のことを愛しているんです。何よりも、誰よりも、君だけを」

戦慄く唇で紡いだ言葉を、ナマエの耳元に落としていく。
ずっと伝えられなかった愛慕を、この二週間で幾度も独り言ちた切情を、洪水のように溢れ返る想いと共に訴えかける。

「………だったら、どうして、」

ようやくナマエの口から零れたのは、至極当然の疑問だった。
宗像は、ナマエの微かに湿った髪に頬を埋めて目を伏せる。
ここまで来てしまえば後戻りなど出来ようはずもないのに、躊躇いは消えなかった。

巻き込んでしまう。
傍で、宗像の死を感じさせてしまう。
きっと今よりももっと、傷付けてしまう。

だが、先程のナマエの言葉を思い返せば、口を噤むという選択肢など残されていなかった。
黙っていたら、分からない。
宗像がいつの間にか失念していた、当たり前のことだ。

「………私はもう、そう長くはありません」

覚悟を決めて落とした呟きが、深夜の静寂に溶けた。

「青の王として、果たすべき責があります。その結果、私のダモクレスの剣は遠からず落ちるでしょう。私の命の期限は、もうすぐそばまで迫って来ているのです」

自らを慕ってくれる部下に、そして大切に想ってくれる女性に、それは何と残酷な宣告だろうか。
瞼を閉じたまま、宗像は奥歯を噛み締めた。
続く言葉は、宗像にとっても沈鬱なものでしかない。

「……だから、私はもう、君を傍には置いておけないのですよ」

微かに震える声で真相を告げ、しかしその内容とは裏腹に宗像は腕の中の痩躯をより一層強く抱き締めた。

離れたくない。離したくない。
ずっとこの腕に抱いて、最期の瞬間まで傍にいたい。
だがそれは、許されないのだ。
何よりも宗像自身が、それを許せないのだ。




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