名もなき特別
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「……なんか、れーしさんって、かわいい、ですね」

不用意かつ不適切かつ容認しかねる形容詞に、宗像は一度瞬きをしてから全身を硬直させた。
発した本人はその異常性を微塵も認識していないのか、オムライス美味しいですね、と所感を述べたような顔で宗像を見つめている。

「……恐らく、私が聞き間違えたのでしょう。ええ、そうでしょうね。すみませんナマエ、念の為確認しますが、今君は私に向かって可愛いと言いましたか?」

問いは期待も虚しく無残に肯定され、宗像の悪足掻きは徒労に終わった。

「待って下さい、ナマエ。可愛いというのは愛らしいものや微笑ましいものに対する形容であって、間違っても年齢二十三歳身長百八十五センチの男を相手に用いる単語ではありません」

例えばそれが宿敵、周防尊から投げ付けられた台詞であれば、宗像はそこに揶揄を通り越して侮蔑の意図を察知し、舌鋒鋭く屈辱を晴らしただろう。
しかしナマエが相手となると、そうするわけにはいかない事由がいくつか発生する。
その中の一つとして、宗像はナマエの言葉に悪意が欠片もないことを知ってしまっているからだった。

「愛らしい?……かどうかは、わかりません、けど。かわいい、ですよ」

不本意にもその単語を繰り返され、宗像は喉の奥で小さく唸る。
恋人ではないが、情愛を傾ける相手の女性に言われて嬉しい言葉でないことは、男ならば大抵が理解出来るだろう。

「……参考までに、いつ如何なる状況でそう感じたのか教えて頂けますか」

事と次第によっては自らの振舞いを改めねばならない、と密かに決意を固めながら、正直聞くのが恐ろしい詳細説明を促した。

「なんか、たまに、無防備?な感じで、目をきょとんってさせたり。表情、誤魔化したい時、ちょっと目を逸らして、眼鏡の位置、直したり。するじゃないです、か。そういうの、ちょっと、かわいい」

無意識だった。
全く意図せずもまさに指摘された通り指先を眼鏡のブリッジに押し当ててから、宗像は慌ててその手を下ろした。
しかし何をしようとしたかは充分にナマエへと伝わってしまったようで、僅かに喉を揺らされる。

「ーーー 困りましたね、これは」

宗像は小さく苦笑した。
挙げられた二つの挙動は身に覚えがある。
眼鏡の位置を必要の有無に関わらず直すのは、表情を隠したい時で、それは幼い頃からの癖だった。
ナマエの前では王の仮面など被らないので、呆気に取られ目を見開くこともある。
まさについ先程がそうだった。
四六時中とは言えなくなってしまったが、それでも毎日一緒にいるのだ。
宗像の癖の一つや二つ、そして無防備な姿だって知られていて何ら不思議はない。
しかしそれを面と向かって指摘されるのは些か気恥ずかしいし、剰え可愛いなどと評されては居た堪れなかった。
一般的に可愛いとは褒め言葉なのだろうが、宗像が言われて嬉しい言葉ではない。
だが、全力で強く否定するほど嫌でもないことがまた、厄介だった。

宗像が名を与えたナマエという子は、言葉を尽くして語るタイプではない。
決して頭が悪いわけではなく、職務となれば問題なく政府のお偉方相手に弁舌を振るうことも出来るし作成する書類だって文法ミスはない。
だがそこに感情を乗せ、定型文ではなく自らの言葉で語ろうとすると、ナマエはとても辿々しい喋り方になった。
自身が抱く感情を表現するということや相手のそれを慮って発言するということが、悉く不得手なのだ。
口調は訥々としたものになり、語句の数も少なくなる。
そのナマエが目にした何かを自分の言葉で形容するというのは、とても珍しいことだった。
だからたとえそれが可愛いなどという聞き捨てならない言葉であっても、宗像にとってナマエが感じた思いを口にしてくれたという事実は嬉しいものだ。
きれい、かわいい。
これまでに、ナマエが宗像に当てた形容詞である。

格好良い、とは言ってくれないんだな。

宗像は脳裏を過ぎった馬鹿馬鹿しい不満を飲み込み、手を伸ばしてナマエの頭を撫でた。

「可愛いのは君の方ですよ、ナマエ」

矛先を変えてしまおうと目論んだのは確かだが、口にした言葉に嘘はない。
誰が何と言おうとも、宗像にとってこの世で一番可愛らしいのはナマエだった。
きょとりと目を瞬かせても、拗ねても、怒っても、滅多に見せてくれないが笑っても。
どんな時でも、ナマエは文句無しに可愛い。
それはもう、四六時中腕の中に閉じ込めてどこにもやりたくないほどに。

「……れーしさんだって、かわいい、もん」
「まだ言いますか」

内容は頂けない。
だが、その口調が可愛くて堪らないことは間違いない。

「そんなことを言う唇は塞いでしまいますよ?」

悪戯心のままに冗談めいた口調で揶揄すれば、あろうことかナマエがん、と小さな唇を突き出してきた。
自分で仕掛けておいて、宗像は面食らう。
ナマエにとって唇を重ねるという行為に艶事めいた意味はなく、単なる触れ合いの一つなのだと知ってはいても、宗像にとっては理性を揺さぶる誘惑でしかなかった。
愛する女性が無防備に唇を差し出してきて、抗える男など果たして存在するのだろうか。
小悪魔か、と内心で呻きながら、宗像はナマエの唇に人差し指の腹を押し当てた。
控えめながらも柔らかな唇が、ふにゃりと形を変える。
ここまで隙だらけだと、鉄壁の防御よりもずっと厄介だった。
宗像に寄せられる、絶対的な信頼。
いつかそれを裏切って、この身体の奥深くを暴いてしまいそうで、宗像にはそれが恐ろしい。
自らの理性には自信があったが、ナマエ相手ではどこまで保つか分かったものではなかった。
ナマエを前にしたときの自分ほど、信じられないものはない。
ナマエに触れる度、自らが雄であることを強く実感させられた。

「男はね、ナマエ。可愛いよりも、格好良いと言われた方が嬉しいんですよ」

先程飲み込んだはずの子供染みた欲求を口にしてみる。
しかし宗像は、すぐさまそれを後悔する羽目に陥った。

「……れーしさんが、かっこいい、のは、当たり前です」

わざわざ言うまでもない、と言外に含まれていることを理解し、宗像は言葉を詰まらせる。
思わず眼鏡のブリッジを指で押し上げた。

なんだ、それは。反則だろう。

さも当然とばかりに言い放ったナマエは、口調と違わず平然とした顔をしている。
少し意地悪をするつもりが、振り回されているのは完全に宗像の方だった。
墓穴を掘ったことに気付いても手遅れである。

「れーしさんが、いちばん、かっこいい」

幼い声音で繰り返され、宗像はナマエの肩口に額を押し付けた。
多分、頬が若干赤らんでいる。
他者から賞賛されることの多い人生だが、こんな風に真正面から格好良いと言われたのは初めてだった。
しかもそれを、誰よりも愛する人から言われたのだ。
嬉しくないはずがなく、しかし同時に酷く照れ臭い。

「……君にそう言って貰えるのであれば、光栄ですね」

散り散りになりそうな理性を何とか掻き集めながら、宗像は小さく囁いた。
知っているのだ。
ナマエは、宗像が青の王だとか室長だとか、そんな肩書きを持っているからという理由で、格好良いと評したわけではない。
ただの宗像礼司という男を見て、格好良いと褒めてくれているのだ。

「私は、可愛い可愛い君に相応しい男でしょうか」

ゆっくりと顔を上げ、ナマエのチョーカーをなぞる。
ナマエが、訝しげに首を傾げた。

「……ふさわしい、って。礼司さんしかいないのに、相応しいとか、相応しくないとか、あるんですか?」

ぴたり、と指が止まる。
ナマエは一切の迷いもなく、澄み切った双眸で宗像を見ていた。

「……すみません、愚問でしたね。そんなものはありません」

唯一無二の存在に、査定など必要ない。
宗像は慈しむような手つきでナマエの頬を撫でる。
大切なことに気付かせてくれるのは、いつだってナマエだった。

「そういうとこ、も、たぶん、かわいい」
「……お願いしますちょっと黙って下さいナマエ」

くすり、と喉を鳴らされ、宗像は撃沈する。
きっとナマエは、宗像が可愛いと評される度に抱く複雑な感情を理解してしまったのだろう。
学習能力の高さと察しの良さを、今ばかりは恨めしく思う。
ぽん、とあやすように頭を撫でられ、宗像は思わず笑ってしまった。

男の卑小な矜持としては、受け入れ難い言葉だ。
だが、この世界で宗像のことを可愛いと評する人間が、果たして他に存在するだろうか。
二十年前なら未だしも、この先ではきっと出会わないだろう。
ナマエだけが唯一、宗像にそう言うのだ。
困ったことに、その特別は悪くなかった。





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