王冠と靴下
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青の王、宗像礼司は、部下から宇宙に喩えられるくらい常人離れしていた。
不羈の才を遺憾なく発揮し、世界を俯瞰し、微塵も隙を見せない完璧な男。
造り物かと紛うほど精緻な美貌に、髪の揺れ方から制服の裾のはためき方まで計算され尽くしたかのような立ち振舞い。
底意の読めない双眸は宝石よりも美しく、静謐な声音は弦楽器のように低く響き渡る。
世界で一番、などという本来であれば信憑性の欠片もない評価を誰もが本気で信じたくなるような、そんな存在だった。


今日も今日とて、宗像は完全無欠の王様である。

「皆さん、ご苦労様です」

硬質な眼鏡のレンズをキラリと光らせて悠然と微笑むその顔は、唇に描く弧の曲率まで完璧だった。
王は疲れない、という口癖を裏付けるかのように、宗像の様子は朝と夜とで全く差異がない。
夜勤当直の隊員を労った後に情報処理室から颯爽と出て行く姿は、ただ歩いているだけで衆目を集めた。
性格が盛大に捻じ曲がっていようが、部下の困惑する顔を眺めて愉しむ悪癖があろうが、美人というのはそこにいるだけで美人なのである。
それも比類を見ないほどの秀麗さなのだから、誰しもが宗像礼司という男を己とは住む世界の異なる別の生き物だと信じて疑わないのだ。



「……例外が一人、ってね、」

ナマエは宗像の私室のドアを開けるなり、目の前に広がった相変わらずの光景に溜息を吐き出した。
何度注意しても暖簾に腕押し、糠に釘。
玄関で盛大に脱ぎ散らかされたブーツを拾った。
廊下にはあろうことかサーベルと剣帯、ベルトが通されたままの青い上着が落ちている。
ナマエはブーツを脱いで揃えてから、宗像の上着を手に取った。
内側に仕舞われていたらしいタンマツが滑り落ちるのを、辛うじてキャッチする。

「サーベルとタンマツだけはちゃんとしろって言ってるのに……」

馬の耳に念仏である。
ついでにその先に落ちていた裏表反対の靴下も拾い上げたが、なぜか片方しかない。
もう片方はどこで脱いだのか。
ナマエは苛々と首を振り、リビングルームへと続くドアを開けた。
探し物は、そこにあった。
ソファに突っ伏した宗像の爪先に、脱げかけの靴下が引っ掛かっている。
ナマエはもう一度溜息を吐き出し、靴下を毟り取った。

「……ああ、おかえりなさい、ナマエ」

ソファの座面に上半身を預け、腰から下ははみ出させた体勢の宗像が、つい数分前に情報室で聞いた声とは程遠い唸るような声を出す。

「お腹が空きました」

尻を突き出した体勢で、言うに事欠いて空腹の訴えである。
ナマエは思わず、スラックスに包まれた無駄に形の良い尻をサーベルの鞘で小突いた。
もちろん、力は殆ど込めていない。

「今夜はシーフードヌードルがいいです」

クッションに顔を埋めた宗像のリクエストに、ナマエは「はいはい」と了承を示した。
日頃、政府のお偉方と高級懐石料理やら三つ星レストランのフレンチフルコースやらを食し、ファストフードとは何ですか、と真顔で訊ねてきそうな宗像が部屋ではカップラーメンを所望するなど、一体誰が想像出来るだろうか。

「まだですか、ナマエ。私はお腹が空きました」

タンマツをテーブルに置き、サーベルを所定の位置に掛け、上着をクローゼットに仕舞おうとしたところで催促され、まだ自分の上着さえ脱げていないナマエは三度目の溜息を吐き出した。

「まだです」
「私に空腹のままでいろと言うのですか」

だったらカップラーメンくらい自分で作れと苦言を呈したいのだが、生憎この男はお湯の沸かし方すら知らない。
ナマエはキッチンに向かうと戸棚からスルメイカの細裂が入ったパッケージを取り出し、一本引き抜いた。

「礼司さん、あーん」

ワイシャツとベストにスラックス、という格好の宗像がごろりとソファの上で仰向けになる。
といっても元々腰から下は座面からはみ出ていたので、宗像はラグに座り込んでソファを背凭れに身体を撓らせた。
無防備に開かれた口に、ナマエはスルメイカを突っ込む。
座面に頭を預けてもごもごと口を蠢かせ、宗像が一先ず満足げに目を細めた。
クッションに顔を眺めていたせいか、眼鏡の位置が盛大にずれている。
ベルトのバックルを外しただらしない格好で唇からスルメイカをはみ出させた姿に、淡島が見たら泣くだろうな、とどうでもいいことを考えた。

宗像が最近はまっているメーカーのカップラーメンを戸棚から取り出し、沸騰したお湯を注ぐ。

「ナマエ、たまごもいれてくらはい」

明らかにスルメイカを咀嚼している最中と分かる発声に、ナマエは苦笑した。
要望通り、卵を一つ容器の中に落とす。
ちなみに、この食べ方を教えたのはナマエだった。
宗像はどうやらカップラーメンと卵の組み合わせをお気に召したらしく、最近では卵が合うのはどの味付けなのか熱心に研究している。
といっても、調理とも呼べない調理をするのは毎度毎度ナマエの担当だった。

「礼司さん、出来ましたからこっち来て下さい」

ダイニングテーブルに出来上がったカップラーメンと箸を置けば、宗像が不満げに唇を尖らせる。

「そんな顔しても駄目です。食事はこっち」

その後数秒の沈黙を経て、宗像は渋々といった様子を隠しもせずに、それまでずっとへばりついていたソファから身体を離した。
億劫そうに立ち上がり、長身をのっそりと丸めて熊のように歩いて来る。
素足をずるずると引き摺りながらテーブルに近付く姿に、本棟の廊下で見る洗練された美しさなど皆無だった。
椅子に腰掛け、すぐさま行儀悪く座面の上で胡座を掻いた宗像が、目の前で湯気を立てるカップラーメンに気を良くしたのか嬉々として箸に手を伸ばす。
麺を掴み取って持ち上げ、ふう、と息を吹きかけてから、ずずずずず、と手本のような音を立てて啜り始めた。
いつだったか、部下の前でざる蕎麦を無音のまま上品に食していた面影などどこにもない。
眼鏡のレンズを真っ白に曇らせて麺を啜る宗像を眺め、ナマエは思わず苦笑した。
途中で半熟卵の黄身を潰し掻き混ぜる様子は、さながら幼い子どものようである。

「昨日の煮物も出しますから、そっちも食べて下さいね」

カップラーメン一つでは、単純な量としても栄養としても、成人男性の一食分には相当しない。
素直に頷いた宗像を見届けてから、ナマエはキッチンに戻って鍋で温め直した筑前煮を器に入れた。
ついでに生野菜を千切ってドレッシングを掛け、即席のサラダにする。
それらをテーブルに乗せてから、ナマエはようやく上着を脱いだ。


並んだ皿を全て空にした宗像は、再びソファに寝転がって煙草を吹かす。
いつの間にかベストを脱いだらしく、シャツの裾がスラックスから飛び出していた。
肌蹴た胸元もちらりと覗く脇腹も、肌が白く艶めかしいことに違いはないのだが、ぐでんと伸びた体勢のせいで今一色気に欠ける。
これで宗像が恐ろしく整った外見の持ち主でなければ、娘に疎まれるだらしない父親みたいなものだったろう。
美形とは何をしても許されるものだ、とナマエはいつも感心する。

「礼司さん、お風呂」
「嫌です、面倒臭い」
「駄目です、入りますよ」
「風呂に入らなくても死にません」

いつも通りの無駄な押し問答の末、ナマエは宗像を強引に引っ立ててバスルームへと突っ込んだ。
どうせ頭の天辺から足の爪先までナマエが甲斐甲斐しく洗うのだから、面倒も何もないと思う。
眼鏡を外すことで幼く見える宗像はナマエにされるがまま、無防備にバスチェアーの上で寛いでいた。
幸い、昨夜さんざん致したおかげで性欲は満たされているらしく、セックスをしましょうとは言い出さなかった。
別に宗像との行為が嫌いなわけではないが、馬鹿みたいにねちっこいので毎日は遠慮したいというのがナマエの偽らざる本音である。


風呂の後、宗像の髪を背後から丁寧に乾かし、ベッドに放り込む。
一応布団を上から掛けるが宗像の寝相は最悪のため、いつも気が付けば蹴り飛ばされているのが落ちだった。
部屋の照明を落とし、隣に潜り込む。
すかさず伸びてきた腕に腰を引き寄せられた。

「…………ねえ、ナマエ」
「なんです?」

何を言われるか、知っている。
部屋に戻ってから翌朝仕事に行くまで、一連の流れは大半が毎日同じことの繰り返しなのだ。
このやり取りも、昨夜と同様である。

「……いつも、すみません」
「いーえ」
「……ありがとう、ございます」
「はいはい」

布団から手を出し、宗像の髪をくしゃりと掻き混ぜた。
レンズを間に挟まない宗像の紫紺が、ほっと安堵したように細まる。
ふふ、と唇から零れる笑みに満足して、ナマエも笑った。


確かに、青の王は完璧だ。
秩序を重んじる、理知的で怜悧な王様。
だが、宗像礼司はそうではなかった。
王の仮面を外すことが出来る唯一の場所で、宗像はどこまでも怠惰で甘えん坊で身勝手だ。
誰も知らない宗像の姿を、ナマエだけが知っている。
盛大に面倒な時も、苛々する時も、蹴り飛ばしたくなる時もあるが、ナマエはそれでよかった。
宗像が自らの本能に忠実であれる場所が、王として押し殺す全ての感情を晒け出せる場所があるならば、それだけでよかった。

「おやすみなさい、礼司さん」
「はい、おやすみなさい、ナマエ」

幸せそうに笑ってから瞼を下ろす宗像を眺め、ナマエはその唇にそっと口付けた。

どうかいい夢を、と、そう願う。






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