限界の先に待っていたもの
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視界が酷く不明瞭だった。
眼鏡のレンズにひびが入っているせいだろう。
聴覚がかなり低下していた。
銃声や爆発音を至近距離で聞き続けたせいだろう。
ふと己の身体を見下ろしてみれば、青い制服が鬱屈した赤に染まっていた。
五感が鈍くなっているのは、血を流しすぎたからなのかもしれない。
痛覚は最早機能せず、ただ酷く寒かった。


「……らしくないことをするものではありませんね」

喉に血が溜まっているらしく、何とも不鮮明な音が出た。
目の前で、鬼が静かに佇んでいる。
そっと、物言わず、しかし確かな存在感でそこにいる。
三年前に下した自らの判断が正しかったことを知った。

視界が大きく揺れる。
貧血など経験したことがなかったが、きっとこれがそうなのだろう。
正確には、その程度が最悪の状態というのが、今なのだろう。
途中で剣の限界を悟った。
だが、まだ立ち止まるわけにはいかなかった。
ゆえに力を温存するため、シールドを展開せずに駆け抜けた。
持ち前の身体能力だけで弾雨の間を走った。
これでも最小限の被害に留めたつもりだが、全て終わってみれば満身創痍である。
もう数分と保つ気がしなかった。
本当に、≪青の王≫らしくない。

「……待機命令を出していたのでは?」

不意に、善条がそう言って視線を流す。
つられて顔を向ければ、霞む視界に複数の青が見えてきた。
誰何を考えるまでもなく、己のクランズマンたちだと理解した。

「……そのはず、だったのですが。まったく、仕方がないですね、」

血塗れの唇を歪めて苦笑する。
ある者は泣きそうになりながら、ある者は怒った様子で、何にせよ全員が必死の形相で駆けて来た。
なかなかに見られない画である。
皆、口々に何かを叫んでいた。
視覚より聴覚の方がダメージが深刻なのか、その音を捉えることが出来ない。
それを少し残念に思った。

為すべきことは、全て終わっている。
この先もし生きていればやれることもあるだろうが、しかし天命は全うした。
何の憂慮もなく、後は彼らに任せて逝ける。
ただ、もしかしたら泣かせてしまうのかと思うと、少し申し訳なかった。
青の王を誕生の瞬間から見守り続けてくれた右腕。
不遜な態度で愉しませてくれた懐刀。
何があっても付き従ってくれた精鋭。
全て、自ら選んだ我が子同然の部下達だ。
年末、最後にもう一度隠し芸大会を開催しなかったことを少しだけ後悔した。

「……さて、それでは、」

今更説得も何もないが、力尽くで掛かってこられては少々厄介である。
だから今のうちに、と善条を促そうとしたところで、不意に弱った聴覚が音を拾った。

「ーー 宗像さんっ!!」

虚を衝かれた。
一瞬、誰に呼ばれたのか分からなかった。
聞き慣れた声が、聞き慣れない呼称を叫んだ。

「宗像さんっっ!」

どうやら幻聴ではないらしい。
全力で掛けてくる部下達が口々に、宗像礼司という個人の名を呼んでいた。
室長、という官職名を外して呼ばれたのは初めてだった。
凍えていた身体の芯が、じわりと暖まる。
言葉もなく立ち尽くしていると、唐突に善条が呟いた。

「貴方の玩具箱は、いつの間にか宝箱になりましたね」

まさにその通りだと思った。
カード、駒、手足、ピース。
様々な呼び方をしてきたが、それらはいつの間にか掛け替えのない宝物になっていた。

「……まったく……、敵いませんね、彼らには」

そのまま突っ込んでくるのかと身構えだが、それは杞憂に終わった。
十メートル程度の距離を置いて、隊員たちが足を止める。

「総員、宗像室長に儀礼抜刀……っ!」

そう合図した淡島の声は、震えていた。
痛ましく感じ、目を伏せかける。
だが、続いて聞こえてきたのは、震えながらも力強い意思の篭った声音だった。

「秋山、抜刀!」

すらり、と刀身が光を帯びる。
次々と声が重なり、サーベルが並んだ。
一糸乱れぬ、秩序の名に相応しい動作だった。
最後に淡島が抜刀し、十本のサーベルが掲げられる。
青く光り輝くそれらを、誇らしく思った。

「……後は、任せましたよ」

届いたか否か、分からない。
もう声帯は殆ど震えなかった。
だが、隊員たちが顎を引いて応えてくれたように見えた。

頭上を振り仰ぐ。
歴戦の剣が、小さな破片を零しながら最後の時を待っていた。
視線を正面に戻し、善条がサーベルを抜く様子に眺め入る。
隻腕の鬼は、何の躊躇もなくサーベルを構えた。
一つ頷きかける、それだけでいい。
一年前を思い出し、ゆっくりと両手を広げた。
寒空の下、あの男と同じように目を伏せれば、自然と笑みが零れる。

らしくないが、悪くはなかったよ。周防。

小さく顎を引いた。
距離が縮まるのは、一瞬だった。
骨の合間を縫って心臓を一突き、流石ですね、と場違いな賞賛を送りたくなる。
隊員たちの息を飲む音が、聞こえたような気がした。


今際に何を感じるのか、想像したことはなかった。
これまでの経験が走馬灯のように浮かんでは消えゆく、という話は有名だが、実際は違った。



らしくねえなァ、宗像。


あの時、振り返っても見つけられなかった姿が、目の前にある。
思わず瞠目したことを見抜かれ、赤い髪を揺らした男が小さく嗤った。

「……す、おう……?」

声を出して初めて、喉の奥の閊えが綺麗さっぱり失くなっていることに気付く。
その瞬間、己の死を実感した。

陰険な面はあっちに置いてきたってか?
悪くねえぜ、今のてめえの面はよ。

「……お前は相変わらずだな、周防」

そうかよ、と周防尊は唇を歪めた。
そして徐に、明後日の方向を見遣る。
周防の視線を辿れば、白い霧の向こうに震えながらも立ち続ける隊員たちの姿があった。
目頭が若干の熱を持つ。
それは二十年近く忘れていた感覚で、驚き戸惑った。

……まあ、なんだ。
こういう時はお疲れ、とでも言やぁいいのか?

それは、周防が赤の王だったからなのだろうか。
冷え切った身体を溶かすように、とろりと優しい温もりが周囲に満ちる。

「お前にそんなことを言われるとは心外だな」

素直じゃねえな、と鼻を鳴らされる。
知ったことではなかった。

先程まで穴だらけだった身体は、いつの間にか軽やかになっていた。
足を前に出せば、歩いている感覚もないままに身体が前へと進んでいく。
死後の世界というのは当然未知の領域だった。

こちらで、のんびりと待っていますよ。

互いに支え合って、それでも捧げたサーベルを下ろそうとしない部下達を振り返り、そっと呟く。
待つのは得意だから、出来うる限り遅く会いに来てくれればいいと願った。

「……この世界には、お前しかいないのか?」

白いシャツに包まれた背に問えば、まさか、と返される。
てめえを待ってる物好きがいるぜ、と揶揄され、思わず唇を緩めた。


君はずっと、ここにいたんですね。
ずっと私を、待っていてくれたんですね。


気持ちが急けば、前へと進む力も大きくなった。
やがて、白に包まれた世界の中から、唐突に一つの人影が姿を現す。
見紛うはずのないシルエットに、心が満たされた。

「………お待たせ、しました」

別に待ってないです、と。
可愛い唇が、可愛くない言葉を紡ぐ。
それが堪らなく嬉しくて、幸せで、どうしようもなかった。






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