宝物は王冠ではなく
bookmark


※ K RETURN OF KINGS #8「kaput」ネタバレ注意
#8オンエア直後の執筆のため、今後公式との矛盾が生じる場合がございます











執務机に広げられた、闇に溶け込むような濃紺の布。
その上に、真っ二つに折れたサーベルがある。
部下がご丁寧にも細かく散った破片まで拾い集めてくれたので、パズルのように組み合わせれば恐らくは一本のサーベルが完成するはずだった。
だがこれは、ジグソーパズルではない。
一度折れた剣は元に戻らず、そして毀れた破片は二度と碧落へは帰らない。

天狼、シリウス、青星。

それが、宗像の剣だった。
王となった三年前から、常に傍らにあった剣。
それを、たった一人の男に折られたのだ。
鳳聖悟。
資料でしか名を見たことのなかった王の存命と敵対は、三王同盟の計画を狂わせた。
気付かなかった。
全く感知していなかった。
二ヶ月も石盤の間に入り浸っていたにも関わらず、灰色の王の力の片鱗さえ見えていなかった。
剰え、それが緑の王と共謀しているなど、予想だにしなかった展開だ。

もちろん、すでに手は打ってある。
伊佐那社の思惑通りに事が進めばいいと願う一方で、その迎撃案を信用していなかったのは事実だ。
だからこそ宗像は、青のクラン内、正確には己の懐刀である伏見との間にだけで第二案を用意していた。
何事にも保険は必要だ。
次善の策は滞りなく進められている。

しかし、それはあくまでも最後の手段だった。
本来であれば宗像が石盤の間で比水を討ち取り、事を収めるはずだったのだ。
宗像の思惑は、突如として現れた第六の王によって根本から覆された。
確かに、違和感はあったのだ。
果たして、長い間地面の奥深くに根を張って時宜を窺っていた男が、黄金の王が薨逝したという理由だけで無鉄砲に行動を起こすだろうか。
そんな、我慢の出来ない幼子のように事を構えるだろうか。
宗像の疑心は、見事的中した。
しかし隠されていた黒幕の正体は、宗像が危惧した以上に厄介な存在だった。

惨敗の二文字が、サーベルを折った。
手も足も出なかった。
文字通り煙に巻かれたような、弄ばれたような、そんな戦闘。
不明瞭な視界の中、まともに攻撃をすることさえ儘ならず、ほぼ防戦一方だったと言っても過言ではないだろう。
相手は本領を発揮するどころか、ちゃんばらごっこを演じただけだった。
赤子の手を捻るように宗像を翻弄し、鳩尾にグリップエンドを叩きつけ、一撃で天狼の刃を折った。
頭上で軋んだ大剣がかつてないほどの損傷を受けたことは、宗像自身が一番良く分かっている。

「……ざまあみろ、」

宗像は、喉の奥で低く嗤った。
これが人生で初めての敗北だ。
そもそも宗像は、他人と勝敗を競ったり優劣を比べることが殆どなかった。
宗像の方が、その他大勢よりもずっと高みにいたのだ。
これは慢心ではなく自負である。
宗像礼司は常に人よりも優秀だった。
唯一対等な立場にあった周防にも、負けを喫したことはなかった。
その宗像が、伏見の言葉を借りるならばこてんぱんに負けたのだ。
折られたのは、サーベルだけではない。
理想、大義、矜持、そして自尊心。
宙から毀れ落ちた破片は、雪のように青く舞った。
まるで、一年前のあの日のように。

宗像は想像する。
あの不遜で尊大で粗野な男が今の己を見れば、果たして何と言うのだろうか。

らしくねえなァ、宗像。

考えるまでもなく、耳元で低音が聞こえる気がした。
緩慢な、力を引き摺るような喋り方だ。

「……お前に言われるまでもない」

認めるのは癪だが、余裕がなかった。
黄金の王が姿を消してから二ヶ月、司法、行政、この国の中枢を裏から支えてきた。
それと並行して、石盤の力を制御し続けてきた。
あの石盤は、ひとたび解放すればその力を国全体、否、世界にまで拡散してしまう。
半世紀に渡って國常路大覚がそうしてきたように、宗像もまた石盤の力を抑え込もうと心血を注いだ。
ここ数年、それこそ宗像が王となった頃から、ストレインの発生数は毎年増加傾向にある。
それは、國常路の死期が近づいていたからだった。
ドレスデン石盤は、並大抵の力で制御出来るものではない。
宗像もまた、石盤を抑え込むことに難渋した。
日に日に消耗していく身体。
それを嘲笑うかのように湧き出るストレイン、多発するjungleによる犯罪。
しかし、どこかの王のように途中で投げ出すわけにはいかなかった。
石盤を解放すれば、つまり比水や鳳の目指す世界になれば、混沌は免れないだろう。
世界中の人間に弾丸の入った銃を持たせるようなものだ。
力と力が無秩序にぶつかり、数多の人間が死ぬ。
秩序の王たる宗像が、それを許すわけにはいかなかった。
鳳の語った理想の世界は、詭弁でしかない。
過ぎた自由と過ぎた力は争いを生むだけだ。
社会とは、それを正しく管理して秩序を維持してこそ、初めて形を成す。
それが宗像の理想だ。

理想を高く持つと、その分挫折も大きくなる。

あれは、鳳が遠い過去に置いてきた己に対して告げたかった言葉なのだろうか。
挫折を知らないから、理想を語ることが出来る。
その指摘に自らの人生を振り返れば、確かに挫折とは無縁の日々だった。
一つだけ、儘ならなかったものを挙げるとするならば、それは友人の最期だろう。
だがあの時、宗像の剣は天命を選び取った。
その大義は曇ることなく、理想は折れなかった。
鳳を落ちぶれさせた、迦具都事件。
クランズマンの全滅と、七十万人の死者。
二度と同じ光景を見ないために、あの男は動いている。

ならば、己は。

宗像はデスクに肘をつき、組んだ手の上に顎を乗せて瞼を下ろした。
ひびの入った肋骨が微かな悲鳴を上げる。
惨めなものだ、と宗像は自嘲した。
石盤の間に宗像の無事を確認しに来た部下は、宗像を見て呆然と立ち尽くしていた。
己の戴く王が敗れる姿など、想像したこともなかったのだろう。
救護班の治療を受けたのは二度目だが、今回もまた処置に当たった隊員の手は微かに震えていた。
誰も、宗像が負けを喫することなど、人間と同じように怪我を負うことなど、想像出来ないのだ。
だが実際はどうだ。
青二才と評され、たった一人の男に弄ばれた。
その剣先は疎か、論説すら愚昧だと揶揄されて届くことはなかった。
足下にさえ遠く及ばないのだと思い知らされた。

「……らしくない、ですか」

ならば、どうあればいい。
どうすれば、宗像礼司になるというのだ。
惨めな敗北も部下の前での失態も、全て予定調和だったとばかりに笑みを浮かべて見せればいいのか。

宗像がその答えを得る前に、執務室の扉がノックされた。
宗像の返答を待たず、扉は開かれる。
隙間から身体を滑り込ませたのは、もちろん部下の一人だった。

「………しばらくここには立ち入らないように、と通達を出したはずですが?」

冷然とした声が、唇から落ちる。
後ろ手に扉を閉めたナマエはそれを気にした様子もなく、平然とデスクに近付いて来た。

「安静にするか、問題がないなら仕事するかのどっちかにしてくれませんかね。こっちは仕事が回らなくて困ってるんですよ」

セプター4の誰もが、淡島でさえ進言出来なかったことを当然のように口にしたナマエが、手にした書類の束を振って見せる。
宗像は目を細め、月明かりに照らされる部下を眺めた。
今宵は満月だ。
照明の落とされた室内で、窓から入り込んでくる月明かりが唯一の光源だった。

「その度胸は買いますよ、ミョウジ君」
「そんなものは買ってくれなくていいんで、判子貰えませんか」

このセプター4で、宗像にこんな口の利き方が出来るのは二人だけだ。
ナマエの口調は、今この場にはいないもう一人の部下を彷彿とさせる。
宗像の嘆息に、ナマエが片眉を吊り上げた。

「それとも、部下が死に物狂いで働いていることなんて関係ないほど王様ってのは偉いんですよっていうアピールですか?」
「口を慎みなさい」

普段ならば面白いと感じるであろう不遜な態度が、宗像のささくれた神経を刺激する。

「だったら、敬意を払いたくなる上官であったらどうです?」
「私にその価値はない、と?」
「自覚があるようで何よりです」

鋭利な視線が交差した。
黙したまま睨み合えば、やがてナマエが唇を歪める。

「……白銀の王の指示に従え?ふざけたこと言うのも大概にして下さい」

数時間前に自らが口にした台詞を持ち出され、宗像は僅かに目を見開いた。

「生憎私の王は、私たちの王は宗像礼司ただ一人なんですよ。貴方はお忘れかもしれませんけどね」

そう言って、ナマエは持っていた書類をデスクに叩き付ける。
釣られるように視線を落とした先、書面には鳳聖悟に関するデータが並んでいた。

「私は降りませんよ。副長も、特務も、たぶん伏見さんも、誰も降りてません。それなのに、貴方が真っ先に大義を曲げるつもりですか」

書類の上に乗せた手をそのままに、ナマエが身を乗り出す。
至近距離で見下ろされ、宗像はその双眸を眺め入った。

「そんな王に仕えたつもりはありません。貴方の理想を実現させるために、クランズマンがいるんです。貴方はそれを信用せずに一人で勝手に自己完結させるつもりですか。大した独裁者ですね」

向けられているのは、瞋恚だった。
吐き捨てるような口調には、憤りが滲んでいた。

「我らが大義に曇りなし。あれは嘘ですか」

だがそこには、何よりも明確な宗像への忠義があった。

「貴方の掲げる大義がここにあるのに、それを否定するんですか」

書類から手を離したナマエが、制服の胸元を掴む。
その瞬間、不意にナマエは泣き出しそうな表情を浮かべた。

「もう少し、寄り掛かって下さいよ……、礼司さん……っ」

虚を突かれ、宗像は息を呑む。
視線の先、瞳がじわりと濡れた。

「疲れたなら、きちんと休んで下さい。痛いなら痛いと、つらいならつらいと、そう言って下さい。分からないなら分からないと、言って下さい。黙って一人で抱え込まれたら、こっちは何も出来ないんですよ」

そこに、先程までの宗像を批難するような音はない。
恐らくそれは、懇願だった。

「王の威厳だの何だの気にしてるなら、生憎そんなの今更手遅れですから。鼻眼鏡やらイソギンチャクの着ぐるみやらを身につけて、訳の分からない音痴な合いの手を入れてみたり、自撮り写真のジグソーパズルやってる時点で、威厳も何もあったもんじゃないんですよ」

数え上げられていく己の行動に、宗像は目を瞬かせる。
やがて、口元が勝手に緩んだ。
今夜初めて、腹の底から笑いが込み上げる。
くすりと喉を鳴らせば、それを聞き届けたナマエが眦を下げた。

「馬鹿にされて笑うとか、どういう思考回路ですか、ほんと」
「ふふっ、そうですね。……なぜか、様々なことが馬鹿らしくなってきてしまって」
「そりゃそうでしょうよ。貴方のやること為すこと大抵馬鹿ばっかりですから」
「手厳しいですね、君は」

苦笑したナマエが、若干前のめりになっていた姿勢を正そうと上体を引く。
宗像は咄嗟に手を伸ばし、離れていく手首を掴んだ。

「……一つ、我儘を聞いてもらえませんか」
「何なりと」

抵抗なく宗像の力に従って顔を寄せたナマエが、間髪入れずに即答する。
宗像はゆっくりと目を細めた。

「疲れました」
「はい」
「少し眠りたいです」
「はい」
「抱き枕になって下さい、ナマエ」
「仕方ないですね、礼司さん」

背凭れから身体を離し、宗像は弧を描く小さな唇に口付ける。
今日初めて、あたたかいと思った。

「……寝る前に、抱いてもいいですか?」
「怪我人が馬鹿言わないで下さい」
「おや。君が動いてくれれば何の問題もありませんよ」
「あんまり調子に乗ってると肋骨折りますよ」

くすくすと笑いながら、宗像は椅子から立ち上がる。
見下ろした刃が、月明かりを浴びて鈍く輝いていた。
折れた刀身をひと撫でする。
今度は素直に、純然たる寂寥感を抱いた。

「人肌恋しいのですよ、分かって下さい」
「だから添い寝はしますって」
「それでは足りません。我儘を、聞いて下さるのでしょう?」
「………肋骨、本当に折れても知りませんからね」

渋々といった体で頷くナマエに、宗像は笑みを深める。
だが、次に訪れた衝撃は予想外だった。
デスクを回り込んだナマエが、体当たりに近い勢いで宗像に抱き着く。
当然、肋骨の痛みは相当だった。

「痛いですか?」

低く呻いた宗像の胸元で、ナマエが楽しげに喉を鳴らす。
批難を織り交ぜて肯定すれば、胸に額を押し付けられた。

「痛いんですよ、こっちも。みんな、同じだけ痛いんです。だから、憶えておいて下さい」

その意味を、違うことなく受け止める。
途端に、痛みが愛おしくなった。

「……君は、優しいですね」
「貴方に言われたくありませんけど」

感じたことをそのまま零せば、予想外の切り返し。
優しい、ですか。
違和感でしかない評価を聞き返すと、ナマエの笑う気配がした。

「これ以上誰も傷付けないために、こんなところで閉じこもってた貴方は、馬鹿みたいに優しくて馬鹿みたいですよ」
「………同じこと、二回言いましたよ?」
「煩いです」

茶化そうと思った。
揶揄おうと思った。
だが実際に喉の奥から漏れたのは笑い声ではなく、短い嗚咽だった。

「お疲れ様でした、礼司さん。今夜はもういい。もういいんです。明日から、またみんなで一緒に考えましょう」

とん、とん、とまるで幼子にするように、背中を優しく叩かれる。
宗像はゆっくりと腕を持ち上げ、ナマエを抱き締めた。

「………はい、」

まだ、終わっていない。
目に見えるものが折れても、掲げる大義は曇らない。
それは、揺らぐことのない支えがあるからだ。

剣をもって剣を制す。我らが大義に曇りなし。

そうだ。
我が大義、ではない。
我らが大義、なのだ。


「選択肢は三つです。執務机の上か、茶室か、それとも私の寝室か。君の希望を聞きましょう」

呼吸を整え、喉の奥を濡らし、ようやく取り戻したいつも通りの声音で問えば、即座に頭突きが返ってきた。
その痛みを、忘れないようにしようと思った。







宝物は王冠ではなく
- 胸の前に掲げられる、幾本ものサーベルだった -







prev|next

[Back]
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -