アメジストに誓う永遠[5]
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翌朝、目を覚まして無意識のうちに瞼を持ち上げ、世界がいつものような布団の中の暗闇ではなく灰色一色であることに戸惑った。
咄嗟に手を伸ばし、触れた何かにしがみつく。
その感触はいつもと変わらぬ、宗像の浴衣の端だった。
顎を持ち上げて、鼻先を押し付ける。
嗅ぎ慣れた匂いにほっと息を吐き出し、ようやく、異能によって視力が失われていることを思い出した。
もぞもぞと布団から顔を出してみても、常のような眩しさを感じない。
そこにあるはずの笑顔も見えない。

「おはようございます、ナマエ」

でも、蕩けるようなその声は、いつもと変わらなかった。
きっと、ナマエからは見えないと知っていても、柔らかく笑んでくれているのだろう。

「………おはよ、ございます、」

目を閉じて、宗像の胸元と思われる場所に頬をすり寄せた。
いつものように、宗像の手がナマエの頭を撫でてくれる。
その感触を受け止めながら、ナマエはゆっくりと息を吐き出した。
残念ながら、寝て起きたら治っていました、なんて都合の良い展開にはならなかったようだ。
宗像もそれを悟ったのか、何も言わずにゆっくりと髪を梳いている。
不意に、昨日この場所で交わした言葉を思い出した。
ナマエが宗像のことを綺麗だと言えば、そんな評価は聞き慣れているだろうに、宗像は嬉しそうに笑ってくれたのだ。
ナマエの好きな紫紺の瞳を、柔らかな笑みを、見られないことが残念だった。


一人でも出来る身支度を終始宗像に手伝われ、昨夜と同様に手を引かれてナマエは出勤した。
その際、宗像の「私は王なのですから君をお姫様抱っこするのは当然のことです」という意味の分からない主張は無視した。
出勤といっても、目の見えないナマエに出来ることは何もない。
ナマエは宗像に連れられ、室長執務室に辿り着いた。
宗像はナマエに、何もしなくていいから一日中この茶室にいろと言うのだ。
部下としてそれもどうかと思ったが、逆らったところで他にすることがあるわけではないので、ナマエは宗像の言い付け通り畳の上で大人しくしていることにした。
朝から、挨拶に訪ねて来る淡島、報告に来る秋山、宗像に呼び出された伏見、誰一人としてナマエが宗像の執務室でぼんやりとしていることに言及しない。
まるでそれが当然のことであるかのように受け止められ、ナマエは少し呆れた。
宗像にとってナマエが特別な存在であるということを、隊員たちは誰も疑っていないらしい。
飼い猫のようだ、と喩えられたことを思い出した。

部下の目がない時、宗像は殆ど仕事をしなかった。
茶室の端に腰掛け、ナマエを相手に仕事とは全く関係のない話ばかりを繰り広げる。
ナマエが何度か執務を促してみても、それらは見事に躱されて全く意味を成さなかった。
宗像は普段、確かにパズルばかりして遊んでいるように見えがちだが、室長業務が決して閑暇なものではないことをナマエは知っている。
いつ治るとも、治るかどうかも分からない視覚異常に付き合って仕事を溜めるつもりかと、ナマエは小さく嘆息した。

昼は、宗像がわざわざ食堂から二人分の食事を運ばせ、茶室での昼食となった。
もちろん、宗像の「あーん」がセットである。
部下に見られたらどうするつもりだ、と一度はナマエも拒否したのだが、返って来たのは見せ付けてしまいましょう、というどうしようもない提案で、ナマエは諦めの境地に達した。

食後、しばらく休憩です、と朝から休憩ばかりの宗像に背後から抱き締められる。
胡座を掻いた宗像の脚を椅子に、ナマエは胸板に凭れ掛かって力を抜いた。

「……治る方法、分からない、ですね」

ストレインの少女は、未だセプター4で保護している。
淡島が様々な検査と聴取を繰り返しているが、解除の方法は一向に見つからないとのことだった。
昼食の前に、ナマエも宗像に連れられて少女と対面したが、同じ空間にいても視力に変化は皆無だった。
手掛かり一つ掴めず、膠着状態だ。

「そうですね。非時院への調査要請が必要かもしれません」

背後から返された言葉に、ナマエは細く息を吐き出した。
黄金のクランに借りを作ってしまうことは、出来れば避けたい事態であるが、そうも言っていられないのだろう。

「………治らなかったら、退職、ですよね」

だが、そこまでしても解除方法が判明するかどうかは分からない。
異能の効果が持続する条件は様々で、最悪、能力者が死ぬまで続くというケースも考えられる。
そうなると、ナマエにこのままセプター4の隊員を務める資格はなかった。

「何を言い出すのですか。君が辞めたら私も室長を辞めますよ」
「…………は?」

あっけらかんと放たれた言葉に、ナマエは思わず首を捻って背後を振り返る。
もちろん何も見えないが、宗像が真面目くさった顔付きをしていることは何となく察した。

「いや、駄目ですよ、それ」

宗像は青の王なのだ。
クランズマンである一隊員のように、はい辞めますと言って辞められるような立場ではない。

「なら、私が辞めなくて済むように君も辞めないで下さいね」
「………でも、これじゃ、出来ることない、ですし、」

ナマエとて、退職したいわけではなかった。
しかし現実的に考えると、目が見えない状態ではナマエに出来ることなど何もないのだ。

「そんなことはありません。君が傍にいてくれるだけで、私の仕事が捗ります」
「……朝から、殆ど何も、してないですよね」
「おや、ばれましたか」

くすり、と喉を鳴らして宗像が笑った。

「冗談はさておき。ナマエ、たとえその視力が戻らなかったとしても、私は君に辞めてもらっては困るのですよ」

腹の前で組まれていた宗像の手が解かれ、そっとナマエの首元に触れる。
チョーカー越しに、宗像の指先を感じた。

「君は私のものですから。まさか今更逃げられるなんて思っていませんよね?」
「別に、逃げるなんて、言ってないです」
「………え?」
「………はい?」

噛み合わない。
ナマエは思わず首を傾げた。

「え、だって君、辞めるって言いませんでした?」
「セプター4は辞めた方が、いいかもって、言いましたけど。礼司さんの傍には、ずっといます、よ?」

隊員という肩書きは必要ない。
一度クランズマンとなった以上、授かった青の力は消えない。
たとえこの制服を着ていなくとも、ナマエは宗像のものだ。
青の王のものでも、セプター4の室長のものでもなく、宗像礼司のものだ。
ナマエがそう付け足すと、宗像が長い溜息を吐いた。

「……驚かせないで下さい、ナマエ」
「なんで、そこで驚くん、ですか」
「あんなにあっさりと退職の話などされては驚きますよ」
「……礼司さんの傍から、離れるなんて、そんな選択肢が、あると思ってるんですか」

心外だと唇を尖らせれば、宗像の指にその唇をなぞられる。

「すみません。私も少し焦っていたようです」
「……焦る、ですか?」
「ええ。……君の視力に関係なく、私は君を愛しています。ただ、二度と君の目に私を映してもらえなかったら、それは、とても悲しいので、」

蟀谷に、宗像の唇が触れた。
唇をつけたまま、宗像が言葉を続ける。

「すみません。本当につらいのは君なのに、私の方が弱音を吐いてしまいましたね」

少し掠れた声だった。
唐突に、三年前、失った視力が回復した時、よかったと涙声で自分のことのように喜んでくれた宗像を思い出した。

「大丈夫です。必ず、元に戻す方法を見つけてみせま、」
「礼司さん」

あの夜、宗像に何をされたのか。
ナマエは、鮮明に記憶している。

「……どうしました?」

言葉を遮って名を呼んだきり黙り込んだナマエを訝しんだのか、宗像に続きを促された。
ナマエは一度宗像の上から降り、今度は向かい合う形で宗像の太腿を跨ぐ。

「……瞼の上、触って下さい」
「はい……?瞼の上を、触ればいいんですか?」

困惑したような声に、首肯を返した。
あの時、あの瞬間と、同じ行為を宗像に求める。

「分かりました」

目を閉じたナマエの瞼に、宗像の指先が触れた。
左、右、と順になぞっていく。
眼球に、ほんの僅かな圧が掛かった。

根拠はない。
確証もない。
でも、唐突に閃いたのだ。
そして、確信した。

離れていった指先を追うように、ゆっくりと瞼を持ち上げる。
最初に映ったのは、あの日と同じ、綺麗な紫紺だった。

「……ナマエ………?」

期待と不安を織り交ぜて揺れる、紫水晶。
珍しく少し垂れた眉尻と、薄く開いた唇。

「……やっぱり、きれい……」

いつだって、最初に見るのはこの顔だった。
くしゃり、と宗像の表情が歪む。
レンズの奥で、瞳が潤む。

「よか、った……、よかった、ナマエ……っ!」

途端に力強く掻き抱かれ、耳元に落とされた言葉は三年前と同じだった。
何も、変わっていなかった。
きっとこの先、たとえ何を奪われたとしても、ナマエが宗像を失うことはないのだろう。

ーーー この人だけは、絶対に。

ナマエは小さく笑い、震える宗像の背に手を添えた。






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