アメジストに誓う永遠[4]
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「君の判断は的確でした。流石ですね、ナマエ」
「………それより、この体勢まずく、ないですか」
「先程の少女は、蓋然性偏差の測定結果、コモンクラスのストレインであると判明しました」
「………だから、この体勢、まずいですって」
「恐らく今君の身に起きている視覚障害は、あの少女の異能が原因とみて間違いないでしょう」
「………室長、」
「礼司ですよ、ナマエ」

散々人の話をスルーしておいてちゃっかりと呼び方だけは訂正する宗像に、ナマエは諦念を込めて溜息を吐き出した。
分かっている。
そもそもの原因を作ったのはナマエであるし、実際現場で宗像の名を呼びその胸に縋ったのもナマエだ。
しかし、流石に就業中の執務室で宗像が部下を膝の上に乗せ抱き締めているという構図は色々と問題がある。
いつ誰が入って来るとも分からないのに。


身体を暖めた後、新しい制服に着替えたナマエを、宗像はまず医者に診せた。
宗像が懇意にしている、かつてナマエも世話になった医者である。
診断の結果、やはりナマエの目に異常は見つからなかった。
考えられる可能性としては心因性の視覚障害か、もしくはストレインの影響である。
今回の場合、可能性が高いのは後者だろうと考えられた。

宗像は淡島に連絡を取り、救出された少女の検査及び、保護者を交えての事情聴取を指示した。
つい先程宗像のタンマツに入った連絡が、その検査結果というわけである。

「母親は少女の異能を察知していなかったそうです。本人にも自覚はなしとのことで、どうやら事件に巻き込まれ、ストレインと長時間接触したことにより異能が目覚めたのでしょう」

ナマエの苦言を無視した宗像は、そう説明しながらナマエの髪を梳いた。
いつも通りの泰然とした表情なのか、それとも少し苦笑しているのか。
ナマエは抵抗を諦め、宗像の肩口に額を押し付けた。

「ただ、どうなっても構わないからと言って母親が少女の目を見たそうですが、視力に変化はないとのことです。異能の発現条件は、どうやら別にあるようですね」

そうだろう、とナマエは思う。
あの時はとにかく目を見てはいけない、と指示したが、後になって考えればそれは違った。
救出の際に秋山もあの少女の目を見ていただろうし、ナマエも目が合ってすぐに視力を失ったわけではない。

「………感情が、高ぶった時か。または、涙、かも」
「涙、ですか?」
「……あの子が泣きそうになって、困ったなって思った次の瞬間に、見えなくなったんです」
「なるほど。それは未検証ですね」

ふむ、と宗像が唸った。
ナマエもそれ以上は何も言えずに押し黙る。
未検証のその可能性を、検証するわけにはいかないことを互いに理解していた。
少女自身が無自覚のうちに異能を発現させたということは即ち、その解除方法も把握していない。
どうすれば治るのか分からない視覚異常を、他の人間で実験するわけにはいかなかった。

「この手の、相手の五感や記憶に影響を及ぼすような異能は、大抵が自然治癒です。過去の例を参照すれば、恐らくは一日から一週間程度で元に戻ることが多いですが、」

途切れた言葉の続きを正確に理解し、ナマエは小さく頷く。
ですが、確証はありません。
その通りだった。
自然と元に戻るかもしれないし、戻らないかもしれない。
戻るとしても、いつ戻るかは分からない。
もしかしたら何か切っ掛けが必要なのかもしれないが、それが何であるかは想像もつかない。
未熟なストレインの異能など、そういうものだ。

「……すみません、」
「……なに、が、ですか?」

ぽつり、と耳元で囁かれた謝罪に、ナマエは首を傾げた。
宗像の、ナマエを抱き締める力が強くなる。

「王、などと名乗っておいて。君を治してあげることも出来ないなんて」
「……それは、別に、」
「無力なものですね」

室長のせいじゃないです、という台詞を遮った自嘲に、ナマエは眉を顰めた。
宗像がナマエの辿々しい言葉を遮るのは、余裕のない証拠だ。

「……別に、慣れてますし、いいです」

それは、必要のない責まで負おうとする宗像を気遣ったというよりも、ナマエの本心だった。
一度経験したことにより、ナマエは視覚に頼らない生活の仕方をある程度身に付けている。
屯所の内部は完璧に記憶しているので、恐らくここから自室まで、目が見えずとも辿り着けるだろう。

「……ただ、これじゃ仕事にならない、ですね。すみません」

生活は、出来る。
だが、仕事はそうもいかなかった。
情報室のテーブルの位置を把握していたとしても、書類やモニターの文字は読めないし、ましてや現場に立つことも叶わない。

「とりあえず、有休扱いで、」
「ナマエ」

いいですか、と訊ねるはずだった言葉に被さった、宗像の声。
少し怒っているように聞こえて、ナマエは見えないと分かっていても瞼を上げた。

「私は、仕事のために君の目を治したいと言っているのではありませんよ」

どこか苛烈さを滲ませた口調に、首を傾げる。

「……怖いのでしょう?」
「………は?」

次いで落とされた曖昧な問いに、一層理解が及ばず聞き返せば、手の甲に宗像の指先が触れた。

「君、ずっと掴んでますよ」

意識を引くように、指をなぞられる。
ナマエはその時初めて、自身の指が宗像の制服を掴んでいることに気付いた。
あ、と唇から意味を成さない音が漏れる。
咄嗟に離そうとした手を、宗像が押し留めるように握り締めた。

「恥ずべきことでも可笑しなことでもありません。目が見えなくなって恐怖するのは当たり前のことです」

冷えた指先を暖めるように、宗像の掌に包み込まれる。
その温度差で、余計に自らの手が冷たいことを実感した。

「……ちがい、ます」

ふるり、と首を振る。
そのまま、もう一度宗像の首筋に顔を埋めた。
毛先が額や頬に当たる。

「……見えないのが、怖いんじゃ、なくて。……礼司さんが、いなくなっちゃう、のが、こわい」

指先に力を込めて、宗像の手を握り返した。
三年前も、そして今も、視覚が奪われること自体に対する恐怖心はない。
その分は研ぎ澄まされた聴覚と嗅覚で補えるし、特に今は記憶に刻み付けられた場所にいるのだから、脳内に展開する立体地図で居場所も把握出来る。
他人の表情や視線など、元々気にならない。
ただ、宗像の存在を確かめる術を一つ失ったことだけが、恐ろしかった。

「………君という子はまったく……」

驚いていたのか、それとも呆れていたのか。
しばらく沈黙した宗像が、やがて独り言のように呟いた。

「私に、君を置いてどこに行けと言うのですか?」

ナマエの手を握り締める方とは反対の手が、背中を抱き締めてくれる。
肩甲骨の辺りを、とん、とあやすように撫でられた。

「君の居場所がこの腕の中であるように、私の居場所もまた君の傍にしかないのですよ」

知っているでしょう、と耳元で囁く声。
落とし込むような、言い聞かせるような、それでいて懇願するような響きに、ナマエは鼻先を宗像の髪の中に押し込んだ。
目一杯に、宗像の匂いで鼻腔を満たす。

「君の視力に関係なく、私は君とずっと一緒ですよ。そうでしょう、ナマエ?」

それは質問ではなく、確認だった。
前回、視力を失くした時のことを思い出す。
あの時も宗像は今と同じことを言って、家をバリアフリーにする算段まで立ててくれたのだ。
喉の奥でうん、と答えれば、宗像がゆっくりと息を吐き出す音が聞こえた。


終業後、ナマエは宗像に手を引かれて宗像の部屋に帰った。
ちなみにそれは、宗像がまたもやナマエを横抱きにしようとするのを阻止した結果だ。
夕食は宗像が手ずから「あーん」という愉しげな声を添えて食べさせてくれた。
もちろんナマエの希望ではない。
ナマエの想像が正しければ、宗像は満面の笑みでスプーンを構えていたのだろう。
夜は当然のごとく、宗像に抱えられてベッドに収まった。
実は少しだけ、眠ることが怖かった。
昼間にフラッシュバックした過去の記憶が、夢に出てくるのではないかと思ったのだ。
きっと宗像は、ナマエのそんな危惧を見抜いていたのだろう。
まるで子守唄のように、二人で暮らしていた頃の思い出話をしてくれた。
今ではすっかり当たり前となった、宗像がナマエの髪を切るという行為が、最初は少しぎこちなかったこと。
ナマエの誕生日を二人で決めたこと。
初めて水族館に行った日のこと。
優しい思い出をたどっていく宗像の柔らかな声音に、ナマエはいつの間にか眠っていた。

悪夢を見ることは、なかった。




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