アメジストに誓う永遠[3]
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不意に、身体を叩く雨粒が途切れる。
それと同時に、馴染んだ匂いと静謐な気配が身体を満たした。

頭の上に、何かが掛けられる。
その正体を理解する前に、背後から腹部に回された何かによって引っ張られた。
だが、何も怖くなかった。
不安も恐怖も、感じなかった。
それは、ナマエが呼び続けていた人の気配だった。

「すみません、遅くなりました」

背後から、弦をそっと弾いたような低音が鼓膜を揺らす。
ナマエの右手に、ひと回りもふた回りも大きな手が添えられ、サーベルを鞘に収めるよう誘導された。

「迎えに来ましたよ、ナマエ」

いつかの雨の日と、同じように。
宗像の声が、優しくナマエを包み込む。
くるりと身体を反転させられ、そのまま抱き締められる感触に、ナマエは全身から力を抜いた。
宗像は難なくナマエの身体を抱きとめてくれる。
その時ナマエはようやく、宗像が上着を羽織っていないことに気付いた。
つまり、今ナマエの頭から掛けられているのは、宗像の制服なのだろう。
ナマエは宗像の胸元に顔を押し付けた。

「れーし、さ……っ、れぇし、さん……!」

くぐもった声で名を呼ぶ度、宗像の手がナマエの背を撫でる。

「大丈夫ですよ、ナマエ。私がいます。君を抱き締めているのは私です。何も怖いことなんてありません。だから大丈夫ですからね」

一切揺らぐことのない、静かで、だが力強い、最も聞き慣れた声。
全ての不安を拭い去り、一から十まで全て信じさせてくれるその声が、ナマエは好きだ。
ベストに顔を埋めたまま小さく頷けば、頭上で小さな笑みの零れ落ちる音がした。
見上げても見えないが、きっと微笑んでいるのだろう。
ぎゅっと腰に抱きつけば、同じようにきつく抱き締め返してくれる腕に安堵した。

「さて、風邪を引く前に帰りましょう」

唐突な浮遊感。
宗像に抱き上げられたのだと気付くまで、一拍の時間を要した。
ナマエを横抱きにした宗像が、当然のように歩き出す。

「ちょ、礼司さ、歩けます」

ただ目が見えないだけで、怪我をしたわけでも体調が悪いわけでもないのだ。
フラッシュバックした記憶など、宗像が来てくれた瞬間に消え失せた。

「ふふ、たまにはいいじゃありませんか。こうやって見せ付ける機会もあまりないのですから」

しかし宗像には、端からナマエの意見を取り入れる気などないらしい。

「………誰に、何をですか……」
「もちろん、皆さんに私と君との仲をですよ」

げんなりとした口調で問えば正反対の爽やかさで返され、ナマエはこれ以上無駄なことを言うのはやめようと口を閉ざした。
何を言っても数倍、数十倍の威力で返されるなんて、分が悪すぎる。

「このまま屯所まで帰りましょうね」
「……このまま?……歩いて?」
「私の力を使えばすぐですよ。もちろん絶対に落としませんが、一応掴まっていて下さいね。その方がシチュエーションとして男心を擽りますから」

もう本当に何も言うまい。
ナマエは無言のまま手を伸ばし、探り探り宗像の首に腕を回した。
宗像の笑う気配がする。
きっと、眦を下げて嬉しそうな顔をしているのだろうと思った。

「では、」

それを合図に、ふわり、と身体が浮き上がる感覚。
宗像は青の力で宙に足場を作り、その上を難なく走っているのだろう。
ナマエは宗像の首に掴まりながら、ふわふわとした揺れに身体を任せた。

本当は、分かっている。
敢えて指揮情報車に乗せなかったのも、らしくない軽薄な台詞を口にしたのも、全てナマエのためだ。
凍り付いた胸臆を溶かそうと、安心させようと、笑わせようと、ナマエの心情を斟酌して心を砕いてくれた。

いつもそうだ。
ナマエを拾ってから、三年と半年。
宗像はいつだって、ナマエを思い遣ってくれる。
大切にしてくれる。
柔らかく包み込んで、暖めてくれる。

「……れーし、さん……」

首を捻り、宗像のスカーフに顔を埋めて、ナマエは小さく呟いた。


宗像の宣言通り、ナマエはそのまま屯所まで連れ帰られた。
執務室に行くのかと思いきや、「着きましたよ」と降ろされたのはソファの上だったので驚いた。
その感触から、ナマエ自身の部屋ではなく宗像の私室であることが分かる。
しかも、宗像は仕事に戻る気配を見せず、ナマエの濡れた制服を脱がせ始めた。

「ちょ、礼司さん、仕事、」
「そんなものは後回しです」

上着、スラックス、ワイシャツ、下着。
あっという間に裸にされ、気が付けばいつの間にか同じように制服を脱いだ宗像に再び抱えられていた。

「……怖いですか?」

連れて行かれたのがバスルームであることを、パネルドアの開く音で理解する。
シャワーを出す前に問われ、ナマエは首を横に振った。
宗像の纏う空気が和らぐ。
シャワーでバスチェアーを温めてから、宗像がナマエをその上に誘導してくれた。
頭の天辺から爪先まで丁寧に洗われ、終われば今度はその間に溜めておいたバスタブに入れられる。
背後からしっかりと宗像に抱え込まれた体勢で、ナマエは温かいお湯に浸かった。
冷えていた身体の芯が、じわじわと温まっていく。
絶対に離さないとばかりに背後から抱き締めてくる腕にそっと手を添え、ナマエは宗像の胸板に背中を預けた。
お湯とはまた異なる温もりにほっと息を吐き出せば、耳元で宗像が小さく笑う。

「こうして一緒にお風呂に入るのは少し久しぶりですね」
「……そう、ですね」
「君と一緒だと暖かいですね、ナマエ」
「………うん、」

小さく顎を引けば、再び耳元で宗像が笑った。
抱き締める腕に力を込められ、でもその窮屈さが心地良い。
宗像の手に触れ、骨の形をゆっくりと辿った。

「………なんで、来てくれた、んですか?」

移動中からずっと気になっていた問いを零す。
先の事件、出動は第三種展開だった。
現場に着くなり事件は終結し、当然宗像には出動要請など送っていない。
なのになぜ、あの場に現れたのか。

「君に呼ばれたからですよ」
「………は?」
「君が、私の名を呼んでくれたからです」

確かに、呼んだ。
しかしそれは相手がすぐ側にいるということを前提とした呼び掛けでもなければ、インカムに向かって叫んだわけでもない。
そもそも官邸に出向いていた宗像はインカムを装備していない。
敢えて分類するならば、あれは単なる独り言だったのに。

「聞こえますよ。どこにいても、どれだけ離れていても、君の声は聞こえます」

ナマエの疑問を拾い上げ、宗像が何でもないことのように答えた。
だが、その答えにも疑問しか浮かばない。
これは、王様のチートスキルの一種だろうか。
固まっていると、宗像が背後からナマエの頬を撫でた。

「官邸を後にした時、君の声が聞こえたように思いました。屯所に連絡を取れば出動の最中だと言うので、場所を確認してすぐさま向かいました。それだけのことですよ」

まるで当然のことをしたとばかりに、宗像が説明する。
そうやって宗像は、何の衒いもなくナマエを闇の中から救い出してくれるのだ。

「ああ、でも、急いでいたのでケーキを買って来られませんでした。すみません」

至極真面目な声音で謝罪され、ナマエは思わず小さく笑った。






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