アメジストに誓う永遠[1]
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目を覚まして、最初に感じるのは光でも音でもなく、匂いだ。
どんな匂いかと聞かれた場合、説明するのは難しい。
一言で言ってしまうと、それは宗像の匂いだった。

ナマエは暗闇の中で嗅ぎ慣れた匂いに唇を緩め、頭の天辺から足の爪先までを覆っている掛け布団の中でもぞもぞと身体を動かした。
適当な位置を掴んで引っ張った布団の中から顔を出す。
一気に眩しくなる視界。
その中心に、蕩けるような笑みがあった。
細まる紫紺、艶やかな藍。
目を覚まして一番にこの笑みを見る朝を、もう何度迎えただろうか。
出会ってから、三年と半年。
宗像が王として覚醒するまでの一年は、視力が失われていた最初の一ヶ月を除けば毎日、ナマエの朝は宗像の笑みから始まった。
セプター4に所属してからも、流石に毎日ではなくなったが、わりと頻繁に同じ朝を迎えている。

「おはようございます、ナマエ」

聞き慣れた低音に、蜂蜜を垂らしたような甘い声。
肘をついた腕で頭を支えた宗像が、そう言ってナマエの髪を撫でるのはいつものことだった。

「…はよ、ございます……」

寝起きの掠れた声で挨拶を返せば、宗像の笑みが深まる。
レンズの奥で、紫紺が嬉しそうに輝いた。
それは、ナマエが四番という生き物からナマエという名の人間へと変わって、まず初めに見たものだ。
きれい、と思わず呟いたことを今でも憶えている。
あの夜、宗像はナマエを力一杯に抱き締めて「よかった」とナマエの視力が戻ったことを喜んでくれた。
懐かしい、とナマエは小さく笑う。

「いい夢でも見ましたか?」
「……ここに、来る前のことを、思い出してました」

問いに答えれば、宗像が僅かに眉を顰めた。
その理由が分かって、ナマエは急いで付け足す。

「礼司さんと、二人で、暮らしてた頃、」

施設で飼われていた頃のことではない、と説明すれば、宗像がほっとしたように微笑んだ。
もうナマエが当時を思い出して悪夢に魘されたり、精神を乱されることは皆無に等しいというのに、宗像は今でもそれを心配してくれている。
その優しさが、少し擽ったかった。

「……目が見えるように、なった時、礼司さん、すごく喜んでくれたなあって」
「当然じゃないですか。もちろん私は、君の視力が失われたままでも一生傍で生きていくと決めていましたが、やはり君と一緒にたくさんのものを共有出来た方が嬉しいですからね」

宗像の指先が、ナマエの目の下をそっとなぞる。
ナマエよりも少しだけ高い体温の感触が心地良かった。

「……私も、あの時、嬉しい気がしました」
「目が見えるようになって、嬉しかったのですか?」

宗像が、少し意外そうに問う。
きっと、失明していた頃のナマエが自身の目に対して何も感じていないことを察していたのだろう。
確かにナマエは当初、目が見えないことに拘泥してはいなかった。
こんな世界に見るべきものはないと、いっそ見えない方がましだと、そう思っていた。
だが、途中からは違ったのだ。
ナマエは、宗像礼司という人間に興味を持った。
どんな風貌なのか、どんな目をしているのか、どんな表情を浮かべるのか、自分の目で見られないことを残念に思った。
だから、目が見えたあの瞬間、宗像の顔を初めて見たあの瞬間、込み上げた感情はきっと嬉しさだったのだ。

「礼司さんの目、きれい、だから」
「ふふ、君はあの時もそう言ってくれましたね」

憶えている、と宗像が笑う。
あの日から、ナマエの世界には色がついた。

「その目も、髪も、礼司さんの青も、ぜんぶ。礼司さんは、ぜんぶ、きれい」
「こらこら、ナマエ。どうしたのですか?朝からそんなに熱烈な告白をされては、私も我慢出来なくなってしまいますよ?」

悪戯っぽい笑みを浮かべた宗像の足を布団の中で軽く蹴ると、その笑みが一層楽しげに緩む。
ナマエは何だか居た堪れなくなり、宗像の枕に顔を埋めた。
宗像がくすりと喉の奥で笑ってから、ナマエの頭を優しく撫でる。
髪の毛の流れに沿ってゆっくりと動く手が気持ち良くて、ナマエは吐息を枕に染み込ませた。



「今日、官邸でした、よね」

浴衣を制服に着替えながら、ナマエはインプットされた宗像のスケジュールを脳内に表示させる。
ブルーコード申請の件で首相と面会する、という話を聞いたのは数日前のことだった。

「ええ、十四時に淡島君と」

スラックスのベルトを留めながら、宗像が答える。

「君の好きなケーキ屋が途中にありますね。何か買って来ましょうか?」
「……副長に、怒られます、よ」

ベストに腕を通す宗像を見遣り、ナマエは半眼になった。

「ふふ、大丈夫ですよ。あの店には小倉のプリンがありますからね」
「……ああ、そっか、」

ばさりと上着を羽織った宗像が、ね、と首を傾げる。
その笑みは、決して押し付けがましいわけではないのになぜか逆らえない雰囲気があって、いつもナマエが折れてしまう。

「………じゃあ、ミルフィーユ……」

ナマエが欲しいものを口にすれば、宗像の笑みがさらに華やいだ。
ミルフィーユですね、と頷く宗像は心底嬉しそうで、結局はその表情を見たいがために宗像の提案を呑むのかもしれない。
宗像は、ナマエが何かを強請ると堪らなく嬉しそうに笑うのだ。
それが情報室で使用するモニターであっても、ココア一杯であっても、ナマエの口から"欲しい"という単語を引き出したがる。
それの何が嬉しいのかナマエには分からないが、宗像にとっては大切なことらしかった。

「出来るだけ早く帰りますから、いい子で待っていて下さいね」
「……仕事、してますよ」

まるで家の留守番を任せるような口調だが、生憎とナマエも出勤である。
新しく組んでいるプログラムの続きやデータの確認など、やらなければならないことは山とあった。

「帰って来たら一緒にお茶にしましょうね」

剣帯を腰に巻き終えて顔を上げた宗像が、約束ですよ、と念を押してくる。
ナマエはシーツの上から拾い上げたタンマツを懐に仕舞って、小さく頷いた。

「さて、ではそろそろ行きましょうか」

サーベルを腰に佩いて、宗像がナマエに歩み寄る。
右手がナマエの首元に伸ばされ、指先が青いチョーカーをなぞった。
これは、部屋を出る前やそれぞれが違う場所に赴く前に大抵行われる、宗像の癖だ。

「あまり無理をしないように」

そのまま首筋を伝い、やがて頬を撫でる宗像の手に、ナマエは目を細めた。
頷けば、よろしい、と笑みが返される。
すっと音もなく離れていく指先を目で追っていると、不意に奇妙な物足りなさを感じてナマエは宗像の制服に顔を埋めた。
少しだけ、驚いた気配。
だが宗像は如何を問うこともなく、当たり前のようにナマエの背を抱き締めてくれた。

「ふふ、今日は甘えたさんですね」
「………や?」
「まさか。とても嬉しいですよ。仕事になんて行きたくなくなってしまうくらいには」
「………それは、だめです」

総理大臣との面会をすっぽかすなんて、淡島の心労メーターが振り切れてしまう。
くすくすと笑う宗像の腕から抜け出して、ナマエも小さく苦笑した。






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