空回りして愛廻る[2]
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「申し訳ありませんでした」

一時間後、秋山はそう言って寮に戻って来たナマエを出迎えた。
部屋の前で頭を下げた秋山は、未だ制服のままだ。
まさかナマエに尻拭いをさせておいて、自分は私服に着替えおめおめと部屋で寛ぐことなど出来るはずもなかった。

「なに、ここで待ってたの?」

秋山が顔を上げれば、ナマエは小さく苦笑している。

「別にいいよ、あれくらい」

秋山が三時間かけた仕事を、ナマエは伏見の要求通り一時間で終わらせたのだろう。
あれくらい、という言葉はきっと秋山への気遣いなどではなく、本当にナマエにとっては大したことのない作業だったのだ。

「……すみません、」

秋山は、忸怩たる思いで拳を握り締めた。
そんな秋山を余所に、ナマエは鍵を回してドアを開ける。

「入る?一人で反省会したいならそれでもいいけど」

半身を捻って訊ねられ、秋山は言葉に詰まった。
恐らく、遠慮するべきなのだろう。
文字通り、今夜は一人で反省するべきだ。
ナマエだって、尻拭いをさせられた同僚の顔など見たくないかもしれない。

「……お邪魔しても、構いませんか」

だが、どうしてもすぐに解決しておきたい問題がある以上、秋山はたとえ図々しくともナマエに向き合わねばならなかった。
ん、と頷いたナマエがそのまま玄関に入って行く。
秋山は一瞬躊躇ってからその後に続いた。

常ならば秋山がコーヒーを淹れるのだが、いかんせん思考が上手く働かない。
せめてもの詫びにとコーヒーを用意するべきなのか、それとも勝手に動かない方がいいのか。
判断がつかないうちに、ナマエがさっさとキッチンに入って二人分のコーヒーを淹れてしまった。

「……何してんの?座ったら?」

ワイシャツにスラックスという姿でマグカップを二つ持ったナマエが、部屋の隅に立ったままの秋山を見て首を傾げる。
秋山はおずおずとテーブルの側に正座した。

「秋山ぁ、別に気にしなくていいから。らしくないミスに関してはまあ自分で勝手に反省してくれればいいけど、それを私が片付けたのは伏見さんの指示であって君に関係ないでしょうが」
「……いえ、でもその原因は俺ですし、」
「だから、私がそれを気にしないんだからいいんだって」
「……はい、」

もちろん、その言葉を真に受けるつもりはない。
だが、これ以上食い下がれば逆にナマエを不快にさせるのだと悟り、秋山は口を噤んだ。

しばらく、互いに黙ったままコーヒーを飲む。
ナマエはベッドを背凭れにタンマツを弄っており、秋山はテーブルを挟んだその向かいで俯いていた。
ナマエの中で話は全て終わったのだろうが、秋山にとってはそうではない。
もう一つ、話さねばならないことがあった。
しかし、昼間の一件をどう切り出して良いのか皆目見当もつかない。
伏見に上の空だと指摘された午後の勤務中、秋山は必死で弁明の方法を考えていた。
しかし、結局名案など浮かばず、これに関する思考はハツカネズミのままである。

どうすればいい。
直球勝負でいくべきか、それとも慎重に少しずつ攻略していくべきか。
不意に頭の中を日高の声が過った。

ボス戦攻略で大事なのは装備っすよ、装備。
で、ちゃんと直前で全回復してから挑むんす。
あとは、最初に相手の守備を下げると結構こっちからの攻撃が効くんすよね。

ちなみにこれは、今日の昼、遅れて食堂に現れた日高が加茂相手に振るった熱弁である。
秋山はそれを聞くともなしに聞いていたわけだが、今この瞬間、まさにボス戦に挑もうとしている秋山にとっては貴重なアドバイスかもしれない。
藁にも縋る思いとはこのことだ。
秋山は意を決して顔を上げた。

「ナマエさん、夕食、俺が作ってもいいですか?」
「は?……ああ、うん、いいけど」

このまま黙っていれば、コーヒー飲み終わったら帰っていいよ、なんてことを言われかねない。
ボスのいる部屋の手前で落とし穴に落ちました、なんて間抜けにも程があるだろう。
装備は、制服、つまり正装。問題ない。
ヒットポイントはどう頑張っても回復の仕様がないので潔く諦めよう。
ならば次は、相手の防御力を下げる。
つまり、ナマエのガードを緩くするのだ。
それにはオムライスしかないだろう。
秋山はマグカップを置いて腰を上げ、上着だけ脱いでキッチンに立った。


デミグラスソースのオムライスは、ナマエに好評だった。
秋山は、ナマエの味の感想が正直であることを知っている。
ナマエは美味しくなければ美味しくないと遠慮なく答える人なので、美味しいと言った場合は本当にそう思ってくれているのだ。
つまり秋山は、まあまあだとか普通だとか塩辛いだとか不味いだとか、そういう感想を頂戴したこともある。
盛大に、地の底までめり込むほどへこむ。
だがその分、美味しいと言って貰えた時の喜びは格別だった。

これで、言い方は悪いが多少のご機嫌取りは出来たはずである。
食後、今度は秋山が丁寧にコーヒーも淹れ直した。
といってもインスタントだが、ミルクの分量は完璧だった。
あとは、ひたすら必死で総攻撃するのみ。
日高のボス戦攻略法を頭の中で反芻しながら、秋山は覚悟を決めて火蓋を切った。

「あの、ナマエさん、」
「ん?」

マグカップに口をつけていたナマエが、視線を上げる。
秋山は居住まいを正すと、小さく咳払いをしてからその視線を真っ直ぐに見返した。

「……昼間の、ことなんですが、」
「昼間?」
「ナマエさんが法務局から戻られた時、階段ですれ違いましたよね」
「ああ、会ったね」

ここまで来たら、下手な小細工は余計だ。
真っ向から、全力で、直球勝負。
秋山は大きく息を吸い込むと、勢い良く頭を下げて、

がつんっ

と盛大な音と共に、額をローテーブルに直撃させた。

「〜〜〜〜〜っっ」
「………は?え、ちょ、大丈夫?」

声すら出せずに悶絶しかけた秋山の頭上から、呆気に取られたようなナマエの声。
秋山は額をテーブルにつけた状態でしばらく全身を震わせた後、なんとか頭を上げた。
視界が生理的な涙で滲んでいる。
額は間違いなく赤くなっているだろう。
前髪の下に手を差し込んで触ってみれば、案の定瘤になっていた。

「………えーーっと、……新手のギャグか何か?」
「………ちがいます……」
「だろうね」

秋山は熱を持ってじんじんと痛む額を押さえながら呻き、あまりの羞恥に耐え切れず顔を伏せる。
この狭い空間で距離感を見誤るなど、一体どれだけ余裕がないのだろうか。
しかし、何を理由にしても間抜けなことに変わりはないが、仕方のないことだった。
余裕など、微塵も残っているはずがない。
ナマエに捨てられるかもしれないという時に、平静でいられる方がどうかしているのだ。

「……俺が好きなのは、貴女です」
「また唐突な……、それで?」
「他の誰でもなくて、貴女なんです」
「うん知ってるよ。それで?」
「だから、…………え?」

捨てないで下さい、と続くはずだった言葉を切り、秋山は思わず顔を上げた。
額の痛みすらも忘れてナマエを見つめる。

「え、って言われても。秋山が私を好きなのは知ってるよ。今さら何?」
「………誤解、してない、んですか……?」
「何を?」
「昼間の、こと」

何の話、とナマエが首を傾げた。
本気で意味が分かっていない様子に、秋山は訥々と説明を付け加える。

「昼間、階段で……その、庶務課の女性と、一緒にいたじゃないですか」
「ああ、いたね」
「それで、俺……ちょっと、支えてた、じゃないですか」
「腰持ってたやつ?」

やはりそこはしっかり見ていたのか。
秋山は小さく頷いた。

「……それを、誤解されたかと、思ったんですけど……」
「誤解?……なに、もしかしてあれで私が浮気だ何だって怒ると思ったの?」
「いえ、怒ってもらえるとは思ってません。それより、捨てられるんじゃないかって、思ってたんです、けど……」

その途端、ナマエは盛大な溜息を吐き出した。

「……秋山ぁ……、君さぁ……」
「はっ、はい!」

地を這うような低音で呼ばれ、咄嗟に背筋を伸ばす。
テーブルに肘を乗せ、その手を額に当てたナマエがうんざりとした声音で続けた。

「君の中で私はどれだけ心が狭いの」
「………」
「どうせ、階段から落ちそうになってたとか、そういうことなんでしょ?」

ちらりと視線を向けられ、秋山は必死に頷く。

「別に、他の女の腰抱いたくらいで怒らないし捨てないから」

心底呆れ返った口調で告げられた言葉に、秋山は一気に脱力して正座を崩した。
安心した途端に額の痛みがぶり返したが、そんなことはどうでもいい。
へらりと笑みを浮かべた秋山を見て、ナマエが大袈裟に首を振った。

「なに、まさかそれでミスったの?」
「………はい、」
「馬鹿か」
「返す言葉もありません……」

まったく君は、とナマエが苦笑を零す。

「その、一人で勝手にマイナスな方向に想像した挙句暴走する癖、どうにかなんないかなあ」

結果としてナマエの指摘通りとなった展開に、秋山は小さくなって謝ることしか出来なかった。
だが、内心では安堵を噛み締める。
恐らく、その心境が表情にも出てしまったのだろう。

「謝るのか笑うのかどっちかにしなさいよ」

苦笑を滲ませた声に、秋山は思わず笑ってしまった。
それを見たナマエも、ふっと吹き出すように微笑む。
明日日高に昼食を奢ってやろうと、秋山は密かに決意した。





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