視線一つが強さに変わる[1]
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引き戸を開ける前から、威勢の良い掛け声が漏れ聞こえていた。
淡島の教育の賜物だろうかと、ナマエは薄く笑う。
戸を右に滑らせれば、視認出来そうなほどの熱気が顔を直撃した。

全隊員合同の、道場稽古。
道着を纏った百余名もの隊員たちが、それぞれ竹刀を手に動き回っている。
丁度乱闘稽古の最中らしく、道場は混沌としていた。
防具を一切身につけない、禁じ手も用いての乱闘。
獲物がサーベルではなく竹刀であるという違いさえ除けば、それはまさに現場の最前線と同じ状況を作り上げていた。
全隊員が縦横無尽に動き回るには少し手狭な道場だからこそ、限られた空間における集団戦闘に慣れることが出来る。
何から何まで本番を意識した稽古は、隊員たちに痣と経験を刻み付けていくものだった。

戸のすぐ側に立って檄を飛ばしていた淡島が、ナマエに気付いて振り返る。
制服姿のナマエを見て、何か急用だと思ったのだろう。

「どうした?」

険しい口調に、ナマエはへらりと笑って見せた。

「息抜きに立ち寄っただけなんで、気にしないで下さい」
「…随分と暇そうね」

気の抜けた返事に、淡島が苦笑する。
告げた言葉に嘘はなかった。
資料作成が終わり、次の仕事に取り掛かる前に少し休憩を挟もうと廊下を歩いていたところで、丁度稽古の時間だったことを思い出し、ふと覗いてみたくなっただけのことだった。
ナマエと伏見は、特務隊情報班という特殊な肩書きもあり、また宗像の思惑もあり、基本的に全員強制参加である稽古を免除されている。

「見学して行っても?」
「ええ。どうせなら、稽古をつけてあげてほしいところだけど」

淡島の要求に、ナマエは聞こえなかった振りをした。
ナマエが必ず稽古に参加するのは毎月第一土曜日の午後のみで、他は自由参加となっている。
もちろん参加しても良いが、必須ではない。
そして今日は、第二土曜日だった。
だからこそナマエは、道着に着替えることもせず制服のまま顔を出したのだ。

掛け声、呻き声、竹刀のぶつかり合う音、素足で床を踏み込む音。
この喧騒を一歩引いた外側から見るのが、ナマエは嫌いではなかった。
自由乱闘といっても、ある程度は法則がある。
基本的に二人一組で戦い、どちらかが相手から一本を取ればそれぞれまた次の相手を探し、対峙する。
その繰り返しだ。
次々と相手を変えることにより適応力が磨かれ、また一対一で戦いながらも周囲を気にする視野の広さが身につく。
打って、躱して、時に打撃を喰らい、痛みを感じる。
そうすることで技術を向上させ、戦うということに慣れていく。
敵に向かっていく強さと、引き際を見極める目を養っていく。
毎回怪我人を出すこの稽古こそが、セプター4の集団戦闘における優秀さを支えていた。

多くの隊員が一対一の攻防を繰り広げる中、例外が四つある。
元隊長格である秋山、弁財、加茂、道明寺だけは、他の隊員とは異なる戦い方をしていた。
それは、いつものことだ。
ナマエは、四人の中で最も近くにいる道明寺に視線を遣った。
道明寺を中心に、ぽっかりと空間が空いている。
小隊の中でもそこそこ腕のある隊員数名が少しの距離を取って円を描くように道明寺を取り囲み、油断なく竹刀を構えていた。

「二人同時、いいっすか!」
「二人でも三人でも四人でも、まとめてかかってきやがれ!」

その中の二人が、同時に床を蹴って道明寺に迫る。
道明寺は振り下ろされる二本の竹刀を難なく避け、立て続けに二人を竹刀と左脚で弾き飛ばした。
隊長格はそれぞれが、挑戦してくる隊員たちの相手をする、という形を取って戦っている。
敢えて格上の相手に、時として無謀にも挑んでいくことは、稽古時だからこそ出来る一つの重要な戦いだろう。
床に倒れた二人の隊員が自力で立ち上がる姿に、ナマエは目を細めた。

「大橋!足が止まっている!」
「瀬戸!もっと前に出ろ!」

道場の四方を歩きながら全体を見るのが、淡島の役目だ。
目に付いた隊員たちに、淡島から鋭い指示が飛んで行く。
その内の一人が淡島の方を振り向いたことで、自然と隣に立つナマエに気付いたらしい。
そこを起点とし、道場にざわめきが広がった。
攻防を繰り広げていた隊員たちが次々と手を止め、ナマエの方を振り向く。
竹刀を左手に持ち替えた隊員たちから不揃いに寄越される敬礼に、ナマエは苦笑した。
顔の前で小さく手を払い、その応えとする。
道場の隅で数名を同時に相手取っていた秋山が、隊員たちを制して立ち止まり、律儀にも小さく頭を下げた。
ナマエが軽く顎を引けば、秋山が僅かに微笑む。

「続けろ!」

ナマエの珍しい登場に騒ついていた場が淡島の号令によって引き締まり、再び乱闘が始まった。
ナマエはふと気の向くまま、秋山の姿が見やすい位置まで移動し、その剣戟を眺める。
相手は第一小隊の現隊長を含めて四人、いずれも秋山の元部下だった。
向かってくる一人目の竹刀を避け、足払いを掛けて床に倒す。
その次の相手に竹刀を振り抜き、三人目を蹴り飛ばして壁に叩きつけた。
最後の一人が、その巻き添えを食ってひっくり返る。
あっという間に四人を伸した秋山が、涼しい顔で「次!」と声を張った。
やはり別格の強さだと、ナマエは素直に感心する。
この場にいる多くの隊員が、秋山も含め、ナマエを強いと評価するが、ナマエは自分の力量をよく弁えていた。
ナマエは決して強くない。
ただ、避けて往なす術に長けているため、負けないだけだ。
秋山のように、凛然とした安定感のある戦い方が出来るわけではなかった。

次々と向かってくる相手を、秋山は難なく一撃で仕留めていく。
その横顔に常のような穏やかさはなく、怜悧な雰囲気に満ちていた。
秋山は普段、一見優男に見える。
温和で面倒見が良く、部下や同僚に慕われる、実際に優しい男だ。
しかし、他人に威圧感を与えない外見の身体がしっかりと過不足なく鍛えられていることを、さりげなく特務隊全員分のコーヒーを用意する手が硬い皮膚に覆われていることを、ナマエは知っている。
無駄のない、静かな、だが同時に力強い剣技。
戦うということにおける圧倒的な経験値と、冷静な判断力。
息一つ乱すことなく動くその姿は、やはり優秀な人材の揃った特務隊の中でも秀抜だった。

「隊長!お願いします!」

厳密に言うと秋山はもう第一小隊の隊長ではないのだが、ついそう呼んでしまう凄味が、今の秋山にはあるのだろう。
向かってくる男を竹刀で薙ぎ払った秋山は、鋭い視線で周囲を見渡した。
普段の柔和な物腰に騙されがちだが、秋山は然程目付きが良い方ではない。
そのため、稽古や現場でその目力が強くなると、秋山の纏う空気は一気に鋭利なものとなって周囲を威圧した。

「……また、一段と強くなりましたねえ」

ナマエの独り言に、道場を一周した淡島が反応する。
誰のことを評したのか、ナマエの視線を辿って理解したらしい淡島が、ええ、と頷いた。

「そろそろ負けそうですよ」
「何言ってるの。まだ負けてもらっては困るわよ」
「厳しいですねえ、副長」

果たしてどうだろうか、とナマエは秋山を眺め入る。
恐らくまだ、負けることはないだろう。
だが、勝てるか否かは際どいところだと感じてしまった。

「もう、小手先勝負が通用しそうにないんですよ」
「確かにそうね」

また一人、秋山の竹刀を脇腹に受けた隊員が蹲る。
もちろん加減はされているはずだが、それにしてもなかなか痛そうだった。

「………ははっ、……なんですかねえ、これ」
「何のこと?」

集中しろ、と隊員を叱咤した秋山が、僅かに腰を落として泰然と竹刀を構え直す。
その表情は、泣き顔など連想出来ないほどに凛としていた。
熱のこもった空間で、一人、圧倒的な清冽さを放っている。

「惚れ直すなあ、って話です」

冗談めいた言葉選びで秋山の成長を評価すれば、隣で淡島が目を剥いた。





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