聖夜の救済
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※ K RETURN OF KINGS #8「kaput」ネタバレ注意
#8オンエア直後の執筆のため、今後公式との矛盾が生じる場合がございます













「………幻滅、しましたか」

その問いに、ナマエは唇を噛んだ。
ドアを締め切った救護車両。
その治療台に腰を下ろした宗像の表情は、長い前髪に隠されて殆ど見えなかった。

折られた天狼。
乱された秩序。
突き付けられた敗北。

まもなく、日付が変わろうとしていた。

後部ドアを閉めたため、外の喧騒は聞こえて来ない。
車両は冷え切っていた。
それは、十二月という季節のせいなのか、それとも目の前に座る男のせいか。
消沈、屈辱、敗北、暗澹、憤慨、自棄。
どれも、この男には似合わなかった。
だが今、その全てが空間を満たしていた。

王冠を戴いて以降、常に宗像と共にあったサーベルは今、真っ二つに折れた状態で布に包まれている。
先程まで宙に吊り下げられていた大剣は、消える直前に見た限り、酷く脆弱した様相を呈していた。
毀れた破片がまるで雪のように舞っていた光景は、一年前の記憶を呼び起こした。

「……伏見君の言うことは正しい。灰色の王の存在を全く感知出来ず、また微塵も思い至らなかった非は私にあります」

現れた五本目の剣。
その持ち主は、まるで赤子の手を捻るように易々と宗像を退け、石盤を奪って去って行った。
ナマエに出来たこともまた、為す術なくそれを見送ることだけだった。

「青二才、ですか。返す言葉もありませんね」

宗像が、乾いた笑い声を上げる。
藍色の隙間から、歪んだ唇が覗いた。

セプター4にとって、宗像礼司は絶対的な存在だった。
頂点に立ち、世界を俯瞰し、ありとあらゆる物を手駒として扱い、ゲームメイクする。
曇りのない心で曇りのない大義を掲げる王を、その力を、誰一人として疑ったことなどなかった。
この王が敗けを喫する姿など、想像したこともなかったのだ。

「所詮私は敗者です。後のことは伊佐那社に任せるとしましょう。私は疲れました」

膝の間で血の気を失くすほど強く組まれた手が、ゆっくりと解かれる。
左手で眼鏡の位置を直し、宗像が顔を上げた。
その表情に、色はない。
ナマエが宗像の口から疲れたという単語を聞いたのは、今日が初めてだった。

「君も、下がって結構。惨敗を喫した惨めな王の命令になど従う必要はありませんよ」

冷然とした紫紺が、ナマエを捉える。
視線が交わったのは一瞬で、宗像はすぐさま目を逸らした。
レンズの奥の双眸が、ナマエの右腰を撫でる。

「ああ、そうですね。もう必要ないのであれば、それは置いて行っても構いませんよ」

高圧的で毒々しげな声音。
日頃の慇懃無礼を通り越し、間違いなく相手を挑発する口調だった。
やはり、この空間が凜然と冷え切っているのは、この男のせいなのだろう。
それは静謐ではなく、凄然だった。
右足の踵が、かつんと床を叩く。
宗像が自室以外の場所で足を組まずに座る姿を見るのは、とても珍しいことだった。

ナマエは黙したまま、右腰に手を伸ばす。
その指先で剣帯からサーベルを鞘ごと外し、壁に立ち掛けた。
次いで、青い上着を脱ぎ捨てる。
ワイシャツ一枚となった腕に、寒気が走った。
一連の動きを認めた宗像が、眼鏡のブリッジを押し上げてふっと笑う。
くつり、くつり、と不規則に喉が鳴った。

「いいでしょう。好きにしなさい」

これ以上ないほど低い声で吐き捨てた宗像が、治療台から立ち上がる。
静まり返った空間に、ブーツの音が響いた。
まるで、一歩歩くごとに亀裂が走るようだ。
宗像の矜持に、世界の秩序に、青い大剣に。
崩落は、もうすぐそばまで来ていた。

宗像が、ナマエには目もくれずに車両から降りようと擦れ違ったその瞬間、ナマエはその手首を掴んだ。
常のように腰を屈めることも顎を引くこともなく、宗像が視線だけでナマエを見下ろす。
ナマエは掴んだ手首をそのままに、空いたもう一方の手を宗像の鳩尾に叩き込んだ。
流石に想定外だったのか、それとも回避する気がなかったのか。
宗像が低く、短く呻いた。
まさに先程グリップエンドで殴られたというその箇所には、白い包帯が巻かれている。
ナマエは手首の代わりに宗像の肩に掛けられていた制服の袖を掴むと、微かによろめいた宗像に足払いをかけ、その身体を治療台の上に押し倒した。
背中を打ち付けた宗像が顔を顰める。
肋骨にひびが入っているのだから、当然の反応だろう。
ナマエは奪った宗像の上着を放り投げ、仰向けになった宗像の上に跨った。

「……退きなさい、ミョウジ君」

瞠目していた宗像が、やがて喫驚は薄れたのか凄味のある声でナマエに命じる。
ナマエはそれに逆らって宗像の腰の上に体重を預けた。

「好きにしていいとは言いましたが、謀叛を許すほど寛大ではありませんよ」

レンズの奥で、宗像が目を眇める。
下から睥睨され、ナマエはゆっくりと息を吸い込んだ。
最も端的に、最も重要なことを、今この瞬間。


「………生きてて、くれて、……ありがとう、ございます………れいし、さん」


ナマエの下で、宗像が息を呑んだ。
僅かに見開かれた瞳を見下ろして、ナマエは思い出す。
あの日、あの橋の向こうで、宗像に言った。

殺してなんて、あげません。

ナマエは確かに、そう答えたのだ。
紫紺が揺れる。
形の良い唇が薄く開き、しかし何も音を発することなく再び閉じられた。

「………勝手に、自己完結して……勝手に、手放さないで下さいって、……言いました」

視線は逸らさない。
逃げ道など与えない。

「今度、同じことをしたら、許さないとも、言いました」

投げ出されていた宗像の右手を取る。
その手を、ナマエは自らの首に押し当てた。
青いチョーカーの、すぐ上だ。

「選択肢は、二つです。……前言を撤回するか、それとも……今ここで私の首を圧し折るか」

ナマエは手に力を込めた。
宗像の掌がナマエの気道を圧迫する。

「……後者なら、最後に、名前で呼んで下さい、ね………礼司さん、」

必要なことは、全て言い終えた。
だから、唇を閉じた。
押し付けた右手をそのままに、ゆっくりと笑んで見せる。
瞼は下ろさなかった。
最期になるのならば、その瞬間まで見ておきたい。
ナマエがナマエになってから、初めて見たものを。
この世に綺麗なものがあることを初めて知った、あの瞬間に見た紫紺を。
宗像がいたからこそ取り戻すことの出来た視力で、最期まで焼き付けたい。

視界が動いたのは、その直後だった。

振り払われた左手。
頭の後ろから掛けられた力。
何かにぶつかる感触。

気が付けば、視界目一杯に白い包帯があった。
一拍遅れて、すぐそばで命を刻む鼓動を感じる。

「……ナマエ………っ」

頭上から聞こえた声に、最期を知った。
随分と掠れた声だったが、それは確かにナマエの好きな音だった。
顔が見られないのは残念だが、その代わりに低い体温を感じることが出来るのならば、それも悪くないかもしれない。
ナマエは薄っすらと笑い、宗像の胸元に顔を埋めたまま目を閉じた。

大丈夫。
この人は、きっと大丈夫。

淡島がいて、善条がいて、特務隊がいる。
伏見もきっと作戦通り、有力な情報を掴んで帰って来るだろう。

宗像礼司は死なない。
ナマエの唯一無二の存在は、決して折れない。
必ず立ち上がり、必ずいつもの笑みを浮かべて、必ず為すべきことを為し遂げるだろう。
だから何も、心配はいらない。

ナマエは静かに、その瞬間を待った。


「……そのような薄着では、風邪を引いてしまいますよ」

しかし、ナマエに齎されたのは指の感触でもなければ首元への圧迫感でもなく、微かに震えた声だった。
聞き憶えのある台詞に、ゆっくりと瞼を持ち上げる。
いつのことかなどわざわざ思い出すまでもなく、それは一年前に橋の向こうで聞いた言葉そのままだった。
当然、何と答えたか、ナマエは憶えている。

「……なら、礼司さんが温めて下さい」

一字一句同じ台詞を返した。
次に寄せられる言葉も、もちろん分かっている。

「仕方のない子ですね、君は」

言い終えるか否かで、宗像の両腕がナマエの背中に回った。
そのままきつく抱き締められ、ナマエはその感触に溺れる。
ナマエの頭上で宗像が、意味を成さない微かな声と吐息を同時に零した。
数秒か、それとも数分か。

「……本当に、仕方のない子ですね……」

沈黙の後に弱々しい声音で改めて強調され、ナマエは胸元に鼻先を擦り付けた。

「そりゃ、育てた礼司さんが、どうしようもない、んだから……そう、なりますよ」

知っている。
この人が、どうしようもないほど優しいことを。
この人が、どうしようもないほど自分に厳しいことを。
この人が、どうしようもないほど寂しいことを。
全て、知っているのだ。

「でも……そんな、どうしようもない礼司さんが、……この世界を敵に、回したとしても……いちばん、大切です」

だから、知っておいてほしい。
この人が、どうしようもないほど好きなことを。
この人が、どうしようもないほど必要なことを。
この人が、どうしようもないほど愛しいことを。
全て、知っておいてほしいのだ。

「……ナマエ………。君だけは俺に、失望しないでくれ」

僅かに緩んだ腕。
顔を上げた先に、濡れた紫紺があった。
何を今更、とナマエは思う。

「礼司さんしか、いらない私に、何と比べて、何に失望しろって、言うんですか」

涙を逃すように目を瞬かせた宗像が、やがてその双眸をゆっくりと細めた。
宗像の指先が、ナマエのチョーカーをなぞる。

「……まだ、私について来てくれますか?」

それは、静謐な青の王の声音だった。
だからナマエは、紫紺を真っ直ぐに見据えた。

「貴方以外の誰にも、私は従いませんよ。室長」

その刻が訪れる、刹那まで。
唯一の忠誠が、この首から外れることはない。


いま、新しい一日が始まる。
麾下たちが、王の帰還を待っていた。





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