アイシテルの言葉[1]
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R-18












朝から、猛烈な視線を感じている。
それが誰からのものであるかなど今更言うまでもないだろうが、もちろん秋山である。

秋山からの視線を感じること自体は、全く珍しいことではない。
それどころか、この四年ですっかり馴染みのものとなっている。
今更取り立てて問題とするべきことではない。
ではなぜ今日に限って気になるのかと言うと、その視線が普段とは少し異なるように感じるからだった。

秋山から向けられる視線には、いくつかの種類がある。
最も多いのは、単なる観察だ。
観察というと響きが悪いかもしれないが、要は単純に、ただ視線で追ってナマエが何をしているのか、どんな様子であるかを把握するというものである。
次に多いのは、熱を帯びた視線だ。
たとえばナマエが先に退勤する時であったり、外出する時であったり、秋山の目の届く範囲から離れる際に向けられる。
乞うような、視線で引き止めようとするような、そんな温度を孕んでいる。
他には、ナマエが誰か他の隊員と長く話し込んでいる時に向けられる嫉妬を滲ませた視線であったり、しばらくプライベートで会えない日が続いた時の寂しそうな視線であったり、といった分類だ。

四六時中、とまでは言わないが、互いが目の届く範囲にいる場合、ナマエはかなり頻繁に秋山からの視線を感じている。
別に、それが煩わしいという話ではない。
たとえばそのせいで秋山の業務に支障が出るのであれば内密に注意するだろうが、そんなこともない。
そこが秋山の凄いところで、意識の一部分を常にナマエへと向けているくせに、その影響でミスを犯すことはまずないのだ。
伏見の機嫌を損ねることもない。
実害がない以上言うべきことは何もなく、ナマエはこれまでずっと秋山からの視線を然して気に留めずに受け入れてきた。
それに対して何らかのアクションを起こしたことはないし、職務上必要な場合を除いてはアイコンタクトを取ったこともない。
職場ではそれでいいと思っていた。

しかし、今朝から向けられる視線は常にも増して明瞭だった。
恐らく、鈍感な日高でさえ気付いているのではないかと思うほど、執拗に目で追ってくる。
最初は、帰国してからまだ四日と日が浅いので、見失うことが不安で追い掛けているのかと思った。
しかし、すぐにそうではないと判断する。
昨日一昨日も同じ部屋で仕事をしたが、ここまであからさまではなかった。
この視線は、間違いなく今朝からだ。
さらに言うならば、そこに違和感があった。
どうも、単に追い掛けているだけではないらしい。
ナマエの感覚が正しければ、何かを訴えかけるような視線だった。
これに近しいものとして一つ思い当たるのは、喧嘩をしている最中だ。
言いたいことがある、という点では似ている気がする。
しかし、今朝からの視線に喧嘩の際特有の気まずそうな揺らぎはない。
そもそも昨夜は退勤後の時間を共に過ごしていないのだから、喧嘩の仕様がなかった。
謝罪だとか、弁解だとか、そういう類ではない。
しかし、何かを伝えたがっている。
そんな風に感じられた。

放置しておいて良かったのかもしれない。
いつものように気に留めず、いつか秋山が口を開く時を待っていても何ら問題はなかっただろう。
だが、偶然にも昼過ぎに休憩室で二人きりという状況が生まれたので、ナマエは珍しくも自発的に問うてみることにした。

「秋山、何かあった?」

お疲れ様です、お疲れ、という決まり切った挨拶の後、ナマエは購入した缶コーヒーのプルタブに指先を引っ掛けながら、先に休憩室でコーヒーを飲んでいた秋山に訊ねた。
え、と秋山が唇を薄く開けて固まる。

「朝から何かもの言いたげだから。別に何でもないならそれでいいけど」

缶の縁に口を付け、中身を僅かに傾けた。
二口ほど飲んでから視線を秋山に戻せば、参ったとばかりに苦笑している。
もし気付かれていないと思っていたのであれば、認識が甘すぎて笑い話にもならないだろう。

「すみません。見過ぎでしたよね」
「まあ、それなりに」

少なくとも自覚はあるらしい。
で、とナマエが首を傾げれば、秋山が言い淀むように視線を彷徨わせた。
あれだけ見ておいて、逆に問われたら逃げ腰になるところが不可解だ。

「別に、言いたくないなら言わなくても、」
「ミョウジさん」
「……なに」

言葉を途中で遮った秋山の声はどこか決意に満ちていて、ナマエは僅かに身構える。
突飛な言動を警戒したくなるのは、秋山に前例がありすぎるほどあるからだった。

「今夜、空いてますか?」
「……は?」

突飛といえば、突飛である。
台詞が普通すぎておかしいのだ。
互いの勤務シフトは把握している。
ナマエも秋山も、今日は早番だ。
半年以上前の話ならともかく、ここ最近では互いが早番の日に退勤後の時間を共に過ごすのは最早暗黙の了解であり、わざわざ予定を確かめるようなことはしていなかった。
それを今日に限って敢えて確認することに、一体どのような意図があるのだろうか。

「空いてる、けど?」

とりあえず素直に答えてみれば、秋山が安堵したように微笑んだ。
ますます意味が分からない。

「なら、仕事の後、部屋に行ってもいいですか?」
「……どうぞ?」

語尾が上がったのは、なぜいちいち許可を取るのか、と言外に聞きたかったからだ。
しかし秋山はナマエの疑問になど全く気付かない様子で一層表情を緩め、嬉しそうに笑う。
剰え「よかった」と零され、ナマエはいよいよその態度を訝しんだ。
断られる可能性を考えていたのだろうか。
今になって、なぜ。

「では、また夜に。話、聞いてくれてありがとうございます」

幸せそうに微笑んだまま、秋山は一礼して部屋を出て行った。
恐らく、休憩の一時間が終わったのだろう。
取り残されたナマエは、秋山の不可解な言動について思考を巡らせる。
しかし、考えたところで正解など見つけられなかった。

その後、情報処理室に戻ると、秋山の視線はいつも通りに戻っていた。
つまり、ただ追い掛けるだけで、何かを訴えかけるような雰囲気は消えていた。
どうやら、話とは本当に今夜の約束を取り付けることだったらしい。
その真意がさっぱり分からず、ナマエは首を捻りながらも仕事を再開した。


秋山氷杜という人間は、ナマエにとってよく分からない生き物だった。
基本的には感情が大洪水を引き起こしているので顔を見れば大半のことが理解出来るのだが、時折ナマエの想像を百八十度ひっくり返してさらに三倍くらいぶっ飛んだ行動を平気で取る。
そういった時、それなりに怜悧な思考能力を持ち合わせているつもりだと自負するナマエがその自信を失くすくらいに秋山の言動は予測不能だ。
今回もまた、何か勝手に誤解して一人大暴走を繰り広げているのだろうか。
秋山は冷静で思慮深く、客観的に物事を見る目を持っているくせに、そこにナマエが絡んだ途端突然視野の狭い直情的な思考回路に切り替わる。
その思考回路がまたネガティブで、奈落の底にさらに穴を掘って埋まるようなことをしてのけるのだ。
そうなると、いよいよ手に負えない。
全て吐き出させて誤解を一つひとつ解いて納得させない限り、世界中の不幸を一人で背負ったかのような顔をし続ける。
ついでに、ナマエがこれまでの人生で流した涙を全て掻き集めてもまだ足りないくらいの大泣きをかます。
人体の構造上それはあり得ないのだろうが、身体が干涸びるのではないかと些か心配になるくらいには号泣する。
おかげでナマエは、人を泣き止ませるスキルをいくつも修得しまった。
秋山の場合、それらを時と場合によって使い分ける必要があるのだ。
選択を誤ると、余計に泣かれる。
成功すると、一発で涙が止まり、代わりに顔を真っ赤にする。
つまるところ、不意を突いて驚かせ、さらに照れさせるのが一番効果的だった。

さて今夜は一体何が待っているのだろうか。
言葉を交わした時の雰囲気では、悲壮感や焦燥感を滲ませていなかったように思うが、こういう時の秋山は読みづらい。
今着用している制服は昨日クリーニングから戻ったばかりなので、話を聞く前に上着を脱ぐことを忘れないようにしよう、と思惟の片隅でメモに書き付けながら、ナマエはエンターキーを弾いた。




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