華奢な身体の小さな手[3]
bookmark


ナマエは三時間ほど眠った。
秋山は時折タオルを取り替えながら、ずっとベッドの側に座っていた。
目を覚ましたナマエが、眠る前よりは幾分か和らいだ表情を見せてくれたので、秋山は卵粥を作って食べさせた。
時間は掛かったものの完食してくれたナマエに薬を飲ませ、再びベッドに押し込む。
少し寝て楽になったのか、ナマエは眠る気配を見せずにぼんやりと天井を眺めていた。

秋山は食器の片付けと、ようやく着替えを済ませて再びベッドの脇に座り込む。
自分の夕食は、次にナマエが眠っている間に済ませようと思っていた。

「明日は非番でしたよね?」
「…ん、そう」
「よかった。明日一日あればきっと回復しますよ」
「うん」

普段よりもずっと頼りない声で、ナマエが微かに頷く。
そこに、日頃隊員たちを竹刀片手に翻弄する強さや、現場で作戦立案に辣腕を振るう面影はなかった。
一人の、男よりも余程か弱い女性がいる。
それは常にナマエを尊敬し、憧れ続けてきた秋山にとって不思議な感覚だった。
もちろんそれは決して、失望だとか幻滅だとか、そういう意味ではない。
刺激されているのは恐らく、男としての庇護欲なのだろう。
これまで守りたいなどと烏滸がましいことを思ったことはなかったが、初めてナマエを自分よりも華奢でか弱い女性なのだと認識した。

「人に移せば治るって本当ですかね」

もちろん、ナマエがそんなことを望まないのは知っている。
だが、苦しげな呼吸を繰り返すナマエを見ていると、その身体を苛むつらさの全てを代わりに引き受けたかった。

こんなに華奢で小柄な人が、強かに生きているのか。

何も言わずにただ苦笑したナマエを見つめ、秋山は妙な感慨に耽った。
身体を重ねるようになってから、衣服を纏わぬナマエを何度も抱き締めた。
秋山の膂力を以てすれば、ナマエを抱き上げることなど造作もないと知っている。
その腰を掴んで揺さぶることも、上に乗せることも、全く苦ではない。
その度に体格の違いをまざまざと見せ付けられていたはずなのに、秋山はナマエのか弱さを実感していなかった。
抱かれる時でさえナマエは秋山を翻弄し、そして強く受け止めていてくれたのだ。
こんなにも弱った姿を晒してくれるのは、正真正銘これが初めてだった。

「……あきやま?」

黙り込んだ秋山を訝しむように、ナマエが小首を傾げる。
視線を戻した秋山は、はっと息を呑んだ。
多分、夜の情事を思い浮かべたことがいけなかったのだろう。
熱に潤んだ瞳、上気した頬、気怠げな仕草。
先程までつらそうだと思い見ていた全てが一瞬で淫らな光景に差し代わり、秋山は慌てて顔を背けた。
心臓が大きく跳ね、腹の底でじわりと熱が広がる。
病人相手に何を考えているのかと、秋山は己の邪な思考を猛省した。
しかし、一度意識してしまうとそれを振り払うことは難しい。
視線を合わせずとも聴覚が勝手に拾う荒い息遣いが情事の最中を思わせ、秋山は物理的に耳を塞ぎたくなった。
人間、駄目だと思えば思うほどに惹かれてしまう生き物なのか。
それとも単に秋山の理性の問題か。
秋山は自分で自分の首を絞めると分かっていて、しかし誘惑に負け視線をナマエに戻した。

「なに、どうかした……?」

蕩けた双眸。
熱のせいで赤く染まった眦と頬。
汗で張り付いた髪。
薄く開いたままの唇。
僅かに掠れた声。
状況が状況でなければ、間違いなく誘われていると思っただろう。

「い、え……、なんでも、」

まさか欲情しましたなんて白状出来るはずもない。
秋山は、己の情けなさに泣きたくなった。
看病をしていたら欲情したなんて、不誠実極まりない。
抱く欲望の醜さに吐き気すら覚え、秋山は俯いた。
ナマエが苦しんでいる時に、弱った姿を見せてくれたことに喜びを感じ、挙げ句の果てには欲情しただなんて。
あまりに不実で暴戻な己に、嫌悪感ばかりが募った。
それなのに、理性と感情すら置き去りにして、身体だけが反応していくのだから始末に負えない。
最早、生理現象だなんて言葉で片付けられる失態ではないだろう。
身体の奥に篭った潜熱に、秋山は細くゆっくりと息を吐き出した。

「薬飲んだし、あとは寝てれば治ると思うから、部屋戻っていいよ」
「え……?」

しばらく黙り込んでいたナマエに促され、秋山は顔を上げる。
そこには、苦笑を浮かべたナマエがいた。

「応えてあげたいんだけど、流石にきついし。かといって、隣で寝ていいよとか言っても、辛いだけでしょ?」

何を言われたのか理解するまで、数秒。
秋山は一気に込み上げた羞恥と申し訳なさとで、穴を掘って埋まりたい気分に陥った。

「……すみません……」

再び顔を伏せ、消え入りそうな声で謝罪する。
くすり、とナマエの喉が鳴った。
なぜ何もかもお見通しなのか、秋山には全く理解が及ばない。
これもまた、ナマエの慧眼が為せる業なのだろうか。

「別に謝ることないでしょ」
「……いえ、だって、この状況で、」
「どんな状況でも生きてればそれなりにお腹は空くし、したくなる時もあるでしょうが」

さも当然とばかりに、ナマエは食欲と性欲を同列に並べる。
感情と生理現象を切り離して捉えることが出来るナマエの思考は、やはり動物的だった。
はい、と大人しく頷いた秋山は、しかし罪悪感まで拭い去ることが出来ずに視線を泳がせる。
ナマエの言葉に甘えすぎてはいけないと思った。

「明日、早番?」

唐突に切り替わった話の内容を訝しみつつも、秋山は首肯する。
すると、ナマエが微かな笑みを浮かべた。

「じゃあ、明日の夕方までに、治すから」

意訳すればそれは即ち、明日の夜の誘いに他ならない。
ぽかりと口を開けた秋山は、やがて情けなく破顔した。

「……はい、」

ん、とナマエが満足げに口角を上げる。
秋山は、結局ナマエに甘えることとなった結果を申し訳なく思いつつも、先程までよりずっと穏やかな心持ちでそれを見つめた。

「ナマエさん。さっき、隣で寝てもいいって、」
「ん?ああ、構わないけど、辛くない?」

辛いか辛くないか、二択で問われれば間違いなく前者だ。
だが、それよりも。

「貴女の傍にいられないことの方が、ずっと辛いですから」

秋山が素直に心情を吐露すれば、ナマエはふっと小さく笑った。

「夕食とシャワーを済ませてから戻って来るので、先に寝ていて下さい」
「ん」

こくり、とナマエが小さく頷く。
秋山は立ち上がり、掛け布団を引き上げてナマエの肩までしっかり覆った。

「……ね、あきやま」
「はい」

目を閉じたナマエが、そのまま声だけで秋山を呼ぶ。
見えていないことを知っていても、秋山はしっかりとナマエの顔を見つめた。

「お腹、空いてる?」
「……は?……ええ、まあ、そこそこ」

時刻はすでに二十二時を回っている。
言葉の通り、それなりな空腹感を感じていた。
黙り込んだナマエに、秋山は首を傾げる。

「お腹、空いてるんですか?」

その意図が掴めず問い掛けると、やがてナマエが小さく呟いた。

「……寝るまで、いてほしい」

秋山は、ひょい、と身体の中に爆弾を投げ入れられたかのような感覚に硬直する。
それは鳩尾の辺りで爆発し、凄まじい爆風が秋山を襲った。
特に促されたわけでもないナマエが自主的に、秋山に対して何かをしてほしいと強請るなんて、これまでに一度でもそんなことがあっただろうか。

しかもこんな、甘えた声で。

驚愕と歓喜を伴って突如荒れ狂った激情が収まると、秋山の胸臆には堪らない愛おしさだけが残った。

「……もちろんです、ナマエさん」

そう答え、再びフローリングに腰を下ろす。
秋山の返答を聞いたナマエが、目を閉じたまま表情を緩めた。
秋山は布団の隙間から手を入れ、その中でナマエの手を探り当てる。
普段とは打って変わり熱い手を優しく握り締め、秋山は込み上げる沖融のままに微笑んだ。






華奢な身体の小さな手
- いつか、貴女を護れる男になりたい -




prev|next

[Back]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -