華奢な身体の小さな手[2]
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医務室の体温計で三十九度二分という数字を叩き出し、薬を受け取ったナマエを連れて部屋へと戻る。
背後で玄関のドアが閉まるなり、それまで平然と表情一つ変えずに歩いていたナマエが突然スイッチを切ったようにその場に崩れ落ちた。

「ナマエさんっ」

秋山は、膝がつく寸前で何とかその身体を抱き止める。
恐らく、高熱のせいで酷く気怠いのだろう。
ぐったりと弛緩した身体を背後から抱き締める形で膝に乗せ、秋山はナマエからブーツを脱がせた。
部屋にはナマエがよく寝間着にしているスウェットパンツとカットソーが散らばっており、今朝ナマエがどのような状態だったのかを如実に表している。
秋山はゆっくりとナマエをベッドに座らせた。

「何か食べられそうですか?」

フローリングに膝をついてナマエの顔を覗き込めば、緩慢な所作でその首が左右に振られる。
端から肯定は期待していなかった。
まずは一度眠りたいだろう。
秋山はナマエに着替えと水のペットボトルを手渡し、医務室から借り受けた冷却ジェル枕を薄いタオルで包み込んだ。

「寒くないですか?」

ベッドに潜り込んだナマエに声を掛ける。
恐らく朝の段階では顔色の悪さを誤魔化すための化粧だったはずだが、メイクオフシートで落としてみればナマエの頬はうっすらと上気していた。
熱が上がるところまで上がったのだろう。
あつい、とナマエが譫言のように呟いた。
こればかりはどうしてあげることも出来ない。
思い切り汗をかいて熱を放出させるしかないのだ。
秋山は手元に用意した氷水の中につけたタオルを絞り、ナマエの額に乗せた。
冷たさが気持ち良いのか、ナマエの表情が僅かに和らぐ。

「ここにいますから、寝てしまって大丈夫ですよ。起きたら少しごはんを食べて薬を飲んで、もう一度寝ましょう。きっとすぐに治りますよ」

単なる気休めでしかないのだが、秋山は穏やかな口調を意識してナマエにそう告げ、火照った頬を優しく撫でた。

「何か俺に出来ることはありますか?」

ナマエが熱に溶けた視線を秋山に向けたまま目を閉じないので、他に要望はないかと首を傾げる。

「……あきやま、」

熱に掠れた声が、囁くように秋山を呼んだ。
無理に声を出させないようにと、秋山は顔を近付ける。

「………じゃあ、子守唄」
「……へっ?!」

ぽつり、と零された単語に、秋山は素っ頓狂な声を上げて仰け反った。
聞き間違いかと思ったが、そうではないらしい。

「あのっ、ナマエさん、俺音痴なんで、それは多分酷いことになると思うんですけど……っ」

恥も外聞もなく白状した。
秋山とてナマエの願いならば何でも叶えたいが、こればかりは如何ともしがたい。
慌てふためく秋山を見上げ、ナマエが薄っすらと笑った。

「うん…冗談…」
「………ナマエさぁん……」

熱のせいで掠れているが、常ならばきっと愉しそうな音になったのだろう。
秋山は情けない声を上げて項垂れた。

「……でも、ちょっと本気」
「え……」
「歌わなくて、いいから。なんか、適当に、喋ってて」
「適当に、ですか?」

具体的に何を話せばいいのかと訊ねれば、何でもいいと返される。
つまり、寝物語ということだろう。
しかし生憎秋山は然程口が上手いわけではないので、突然一人語りをしろと言われても何を話せばいいのか皆目見当もつかない。

「……なんでも、いいから。面白かったこと、とか、特務の子の話とか、最近読んだ本とか、そういうので、いい」
「ええと……」

面白かったことと言われても、基本的に秋山の日常は仕事一色だ。
体調が優れないナマエを相手に仕事の話をするのは無粋だろう。
特務隊の隊員の話となるとつまりは他の男の話であって、秋山としてはあまり面白くない。
最近読んだ本、と言われ思い返してみても、最近は捜査資料くらいにか目にしていない。

「あきやまの声、落ち着くから」

しかし最後に告げられた言葉に、秋山は迷いを放り投げた。
ナマエがそう言ってくれるのなら、つまらないと思われようとも、何でもいいから何か話そう。
それきり瞼を伏せたナマエを見つめ、秋山はゆっくりと口を開いた。


恐らく、五分程度しどろもどろに語っただろう。
秋山は丁度きりが良くなったところで口を噤み、ナマエの様子を窺った。
いつもは殆ど無音に近い寝息が、今ばかりは荒く熱っぽく繰り返される。
そっと額のタオルを取り上げてみれば、すっかり温くなってしまっていた。
それを氷水で冷やしてから、再びナマエの額に乗せる。
僅かに顰められた眉がほっと緩んだ。

つらいだろうな、と思う。

秋山はこれまでに一度も、ナマエが体調を崩したところを見たことがなかった。
ナマエは例えば道明寺や日高のような常に元気いっぱいというタイプではないが、飄々として掴み所がなく、人に弱点や不調を晒す人ではない。
常にある一定のテンションを保ち、感情や体調の起伏を周囲に悟らせることはまずなかった。
しかしナマエも人間だ、当然風邪だって引く。
そんな当たり前のことを、秋山はずっと理解していなかったのかもしれない。
寝苦しそうに荒い呼吸を繰り返すナマエは、今日一日、どれほどの精神力を費やして平静を装っていたのだろうか。
秋山はナマエのミスを珍しいと感じたが、むしろあれだけで済んだことの方が異常だったのだ。
部屋に辿り着いた途端に崩れ落ちるほどの発熱を隠し通し、秋山以外の誰にも悟らせなかった。
その秋山も、必要以上に視線で追っていたから気付けただけであり、他の同僚たちと同様に何も意識していなければ絶対に分からなかっただろう。

支障を来すことが許せないほど、職務に忠実なのか。
それとも、人に弱った姿を晒すことを厭うのか。
秋山には判別出来なかった。
しかし少なくとも、ナマエは秋山の前で力を抜いてくれた。
それは限界を突破したからか、部屋に戻って気が緩んだからか、理由はその辺りだろうと思う。
それでも、秋山には弱った姿を見せてくれたのだ。
秋山の前で必死に取り繕おうとせず、されるがままに身を委ねてくれたことが、まるで信頼の証のようで。
不謹慎と承知の上だが、秋山はそれに醜い喜悦を覚えてしまった。



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