もしも貴女が遠い世界の人間ならば[3]
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『ポイントA。対象が移動します』

道明寺からの通信が入って事態が動き始めたのは、十九時十二分のことだった。
その後、道明寺からの連絡によると、塚原はスロット店から徒歩二分の距離にあるファミリーレストランで夕食をとり、十九時五十分に店を出た。
しかしその後、駅前の横断歩道辺りで対象を見失ったと連絡が入り、塚原が人混みに紛れて異能を発現させたのは間違いなかった。
職場からの帰り道に、わざわざ毎日身体を透過させるのは何のためなのか。
それは、本人に確かめてみなければ分からないことだった。

秋山とナマエはタンマツをポケットに忍ばせ、モニターを見据える。
塚原が帰って来て階段を上り始めれば、その音をマイクが拾う予定だった。


「っ、来ました」

二十時四十六分。
周波数解析ソフトのグラフが跳ねる。
秋山は素早く立ち上がった。

「ポイントB、階段を上る足音を補足」
『ポイントC、視認不可。対象で間違いない、追尾しろ』

ナマエと伏見の短いやり取りを背に、秋山は慎重にドアを開けた。
後ろからナマエが付いて来る。
外に出てみると、確かに階段を上る音が聞こえた。
秋山は素早く階段下に回り、ポケットからタンマツを取り出す。

「塚原遼太郎!」

誰もいないように見える空間に向かって声を張り上げた。

「セプター4だ。特異現象管理法特例二条に基づき、貴殿の身柄を拘束する」

タンマツから、セプター4のマークをホログラフで表示させる。
沈黙は一瞬だった。
慌ただしい足音が響き、それが塚原が逃げようとする音だと秋山に知らせる。
階段を下りる音ではなく、廊下を走る音だった。
秋山は塚原を追って階段を駆け上がる。
十四段を一段飛ばしで上り切った先、手前に二つのドアを挟んで相対したのはナマエだった。
秋山が塚原を引き付けている間に難なく柱をよじ登ったナマエが、廊下の向こうからゆっくりと歩いて来る。
秋山はナマエに倣って慎重に足を進めた。
身体を透過している相手を追うというのは不思議な感覚で、端から見れば秋山とナマエが互いに牽制し合っているようにしか見えないのだろう。
しかし、気配がある。
敏感なナマエだけでなく秋山にも伝わってくる、焦燥を滲ませた気配。
恐らく喧嘩や戦闘とは無縁の人種なのだろう。
がちゃがちゃと金属音が鳴った次の瞬間、ナマエの左足が塚原の家のドアを蹴り付けた。

「秋山!」

室内という逃げ場を塞いだナマエの声に、秋山の足が廊下を蹴る。
そのまま、見えない相手に向かって飛び掛った。
何も目視出来ないが、そこに確かな感触がある。
衣服を纏った、男性的な身体だった。
姿勢を低く保ち、タックルの要領で相手を押し倒す。

「はっ、放せよっ!」

身体の下から、男の声がした。
しかし肉体的な抵抗は殆どない。
恐怖に竦み上がっているのか、暴れられることを想定していた秋山にとっては拍子抜けの感があった。

「ポイントB、対象を確保」
『了解、すぐ行くからそのまま押さえてろ』

マンションの外廊下から一部始終を見ていたのだろう。
インカムから聞こえる伏見の声には一切の迷いもなかった。

「秋山、問題ない?」
「大丈夫です。腕の位置が分かったので、今両手首を拘束してます」

ん、とナマエが頷く。
伏見と弁財が駆け付けて来たのは、それから三十秒後のことだった。




「はあ?ストーカー?」

拘束後、異能を解けという脅しになかなか応じない塚原に伏見が切れかけたところで、不意に塚原の身体が肉眼で視認出来るようになったのだ。
一分程かけて通常の人間と同じ姿になった男は、写真で確認していた通りの塚原遼太郎だった。
改めて手錠で拘束し、屯所に連行。
取調べは秋山とナマエの二人で行われた。

「はい、ストーカーです」

ナマエは同じ単語を二度繰り返し、やんわりと苦笑した。

塚原の自供は、簡単に言うとそういうことだった。
一ヶ月程前に、自分に異能の力があることに気付いた。
最初は突然身体が透明になって驚いたが、しばらくすると自分の意図したタイミングでその異能を発現させることが出来るようになった。
そこで塚原は、毎晩仕事帰りにその能力を使い、好意を寄せている女性の家のベランダに忍び込んでカーテンの隙間から部屋を覗き込むようになったというのだ。

「チッ、くだらねえ……」

心底軽蔑しきった口調で、伏見が一刀両断する。
ナマエと秋山はチラリと顔を見合わせた。

「何で家に帰るまでずっと透明なままだったんだ?覗きが終わったらもういいんだろ?」

道明寺が椅子から身を乗り出す。
怪しまれないように、と偽装のつもりで打っていた台が大当たりしたらしく、大量の景品を持ち帰って先程伏見に怒鳴り散らされたばかりだった。

「アパートの周辺は住宅街だからな。駅前で消えるのはまだいいが、住宅街のど真ん中で突然現れて人に見られたら困ると思ったそうだ」
「へえ、それで家の中に入ってから元に戻るようにしてたのか」
「正確に言うと、ぴったり一時間で勝手に能力が切れるそうだ。だから、それまでに家に帰るようにしていた、ということだな」
「なるほどなあ。まあ、なんか随分杜撰で穴だらけだけど、一応筋は通るか」

秋山が詳細を説明すると、道明寺が納得したように景品のスナック菓子を頬張る。
再び伏見の舌打ちが漏れた。

「で?ストーカー被害に遭ってた方は?」
「塚原との接点はゼロ。ストーカー行為に気付いていたのかどうかは分かりませんが、本人が被害届を出していないので、こちらとしては手の出しようがありませんね」

塚原が言うには、ポストの郵便物で確認した名前しか知らない相手だそうで、話したこともないということだった。
数ヶ月前、その女性が玄関から出て来る姿を偶然見て、一目惚れしたのだという。

「で、透明人間になってストーカーか。ご苦労なことだなぁオイ」

馬鹿馬鹿しい、と吐き捨ててから、伏見はひらりと片手を振った。
分かったからもういい、の合図だ。
あとは書面に纏めれば、この件は終了である。
秋山とナマエとで報告書を作成し、事件は半日足らずで収束を迎えた。




「……なんか、分からないわけでもないんですよね」

二人揃って戻ったナマエの部屋、秋山はコーヒーを飲みながらぽそりと漏らした。

「塚原?」

目的語を的確に察したナマエが、マグカップから視線を上げる。
はい、と秋山は頷いた。

「勿論被害者の女性にとってはとんでもないことだと思いますし、法的にもアウトなんですが。……たとえばナマエさんが、迂闊に話しかけたら首が飛ぶような相手だったら、俺もそういうことをしたのかな、と」

秋山の突飛な例え話に、ナマエが苦笑する。

「このご時世にそんな人間はいないんだけどね」
「ええ、良かったです。おかげで犯罪者にならずに済みましたから」

例え話だ。
しかし秋山は、強ち大袈裟でもないと感じていた。
例えばナマエが秋山の想いに応えてくれていなかったら、今頃ナマエとどのような関係を築いていたのだろうか。
表面上は単なる同僚だったかもしれないが、もしかしたらストーカー紛いな行動に出ていたのかもしれない。

「まあ、私相手にストーカー行為が成り立つかどうかは甚だ疑問だね」
「ははっ、そうですね」

確かにその通りだ。
ナマエがどうぞご自由にと諸手を挙げない限り、ストーカーなんて出来ないだろう。

「変な男にストーカーなんてさせないで下さいよ?」
「青服の女相手にストーカーする物好きは早々いないと思うけど」

屯所のセキュリティもザルではない、とナマエが笑う。
その言葉に、秋山は半ば冗談だった忠告を本気に変えた。

「何を言ってるんですか。隊員の大半は男なんですよ」
「……秩序を守るセプター4の隊員がストーカー行為?笑えないスキャンダルだなあ」

ナマエが真剣に取り合ってくれないのは、仕方のないことだろう。
ナマエは自分の力量を正確に把握しているし、何よりも己に無頓着だ。
だからこそ秋山は気が気でないのだということを、きっとナマエは知らない。

「俺以外の誰にも、気を許さないで下さいね」

秋山がそう懇願してようやく、ナマエは柔らかく苦笑した。

「分かってるよ、秋山」

言質を取ったことに、秋山は安堵し少し満足する。
ナマエが発言に責任を持つ人であることは知っていた。
だからこそ、ナマエの言葉は重い。

「心配性だねえ、君は。……おいで、氷杜」

マグカップをテーブルに置いて両手を広げたナマエの胸に、秋山は情けなく苦笑した顔を埋めた。







もしも貴女が
遠い世界の人間ならば

- 僕は海と空を越えて会いに行くのだろう -




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