口付けに祈りを込めて[4]
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「……どういう、意味、ですか」

常よりも僅かばかり低い声で問われ、宗像はそっと眼鏡を押し上げた。
掌に隠した口角を、ゆっくりと笑みの形に吊り上げる。

「そのままの意味ですよ、ナマエ。立派に成長しましたね」

言葉を慎重に選び、声に乗せた。
それが少しばかり震えそうになり、宗像は胸中で呻吟する。
不意に、まだ王になる以前の日々を懐かしく思った。
ナマエと二人、何でもない日々を、何よりも大切にしていた。
朝起きて、隣には必ずナマエがいて、何に急かされることもなく微睡み、二人だけで生きていた。
ナマエのことだけを考え、慈しみ、愛した。
他には何もなかったが、それだけはあった。
それだけでよかった。
王という立場は、宗像からナマエさえも奪っていくのか。
得たものは確かに、世界で七つしかない力の一つだったかもしれない。
その代わりに宗像は、唯一を失うのだ。

「……何を、言ってるん、ですか」

ナマエが、言葉を変えてしかし同じ問いを繰り返す。
珍しいことだった。

「ふふ、ですから、そういうことですよ。君はもう、立派に世界のピースの一つです」

私の如何に関わらず、と。
宗像が最後まで言い切ることは出来なかった。

「ふ、ざけないで下さいっ!」

ナマエがソファの座面を蹴りつけ、宗像の太腿の上に乗り上げる。
そのまま胸倉を掴まれ、宗像の背はソファの背凭れに押し付けられた。
向き合う形で跨ったナマエに、見たこともないほど鋭い眼差しで睨めつけられ、宗像はぽかんとナマエを見つめる。
その双眸は、激しい憤懣を滲ませていた。

「礼司さんがっ、それを、望んだっ、のに、」

共衿を掴んだナマエの手が、その勢いのまま膂力を存分に揮って宗像の気道を圧迫する。
宗像はその手を退かすことが出来ず、それどころか指一本動かすことさえ出来なかった。

「礼司さんのためにっ、礼司さんがいるから、ここに、いるのにっ、なんで……っ、」

宗像を睨み付けるナマエの瞳に、じわりと惨憺な色が混じる。
ナマエの手から僅かに力が抜け、宗像は急に入り込んできた空気に咽せた。

「……なんで……っ、そんな、まるで関係ない、みたいな言い方……っ、」

眼睛が、不安定に揺れる。
宗像は、今度は外的要因もないまま、息を止めた。

「……なんで、もう、……いらない、みたいな言い方、……するんです、か」

そうではない。
そんな、そんな意味ではない。
丸ごと否定したいのに、声が出ない。

「もう、いらないって……世界がどうのじゃ、なくて、礼司さん個人にとって、必要ないって、言うなら……、」

宗像の無言を、消極的な肯定と見做したナマエが、声を震わせる。
ソファに投げ出されていた宗像の手を掴んで持ち上げたナマエは、そのままナマエ自身の首筋、青いチョーカーのすぐ上へと誘導した。

「……それなら、殺して下さい」

濡れた瞳がそれでも真っ直ぐに、宗像を射抜く。
掌を、重ねたナマエの手で細い首に押し付けられた。
皮膚の下に感じるナマエの脈拍。
宗像は、込み上げる激情に泣いてしまいたくなった。

「………ナマエ、」

ようやく、言葉が声に乗る。
その声は、今度こそ誤魔化しようもなく震えていた。

「ナマエ、……ナマエ、ナマエ……っ、」

掴まれた手とは反対の手で、ナマエの手を外させる。
そして、自由になった両手をナマエの背に回し、そのまま抱き寄せた。
宗像の腕の中で震える華奢な身体を強く掻き抱いて、その肩口に顔を埋める。
ナマエの背中とそこに流れる黒髪が、滲んでぼやけた。

「違います、そうじゃない……っ、そういうことではないんです……っ」

震える唇で、声を絞り出す。
まるで引きつけを起こしたかのように、身体中が自らの意思に反して小刻みに震えた。

「君がいらないなんて、そんなこと、あるはずがない。君は私の唯一です。君がいなければ、私は生きていられない。誰よりも何よりも、大切で愛おしいんです」

腕の中にすっぽり収まってしまう小さな身体を抱き締め、必死で訴える。
殺して下さい、なんて、絶対に言わせてはいけない言葉だったのに。

「……だったら、どうして……」

大人しく宗像の胸に顔を埋めたナマエに問われ、宗像の躊躇は一瞬だった。
ナマエを傷付けてまで守りたい矜持など、持ち合わせてはいないのだ。

「すみません。私の、……つまらない悋気です」
「………は?」

身動ぎしたナマエに合わせて腕の力を抜けば、顔を上げたナマエと視線が絡み合う。
情けない顔を晒していると自覚していたが、ナマエを抱き締めた腕を解いてまで隠そうとは思わなかった。

「……君がいつの間にか、特務隊の隊員と随分打ち解けた様子で。受け入れられ、君も彼らを受け入れ、馴染んでいました」

宗像は、今朝からの一連の流れを披瀝していく。
目にしたこと、そして感じたこと。
列挙していくうちに、ナマエがぽかんと口を開けた。

「嫉妬、したんですよ。君にココアを淹れるのも、君と食事をするのも、君の髪を撫でるのも、全て私だけの特権でした。君の笑顔は、私だけが見られる特別なものだった」

右手をナマエの頬に添え、白磁のような肌を優しくなぞる。
それを許されたのは、宗像だけのはずだった。

「……誤解しないで下さいね。仲良くするな、と言っているのではありません。セプター4が君にとって居心地の良い場所であるのならば、私にとってそれは喜ばしいことです」

でも、と宗像は目を伏せる。
なんて幼稚で、理に適わない言い分なのか。

「君の特別を、彼らに奪われたようで、それが悔しくて、寂しくて、嫌だったんです」

それが、嫉妬する、ということです。
宗像はそう言って、自嘲した。
間違っても年下の、恋人でもない女性を相手に説明することではないだろう。
言葉にしてみて、いよいよ居た堪れない感情に押し潰されそうだった。
それ以上何も言えず、宗像は口を噤んで顔を伏せる。
沈黙を破ったのは、ナマエの方だった。

「………ばか、なんですか、れーしさん」

言葉本来の意味だけを捉えれば、この状況で胸に突き刺さる痛い一撃だ。
しかしその声があまりにも穏やかで、宗像は思わず顔を上げた。
そこには柔らかく、珍しいほど幸せそうに笑っているナマエがいて、宗像は目を瞬かせる。

「ほんと、……ばか、」

繰り返されたのは悪態のはずで、しかし真逆の意味にしか聞こえないほど優しい声だった。








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