口付けに祈りを込めて[3]
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これはきっと、結末ではなく序章なのだ。

仕事を終えた宗像は、自室のソファに腰を下ろし、ぼんやりと紫煙を燻らせた。
思い返すのは今日一日で見た、ナマエと特務隊のメンバーの姿。
仲が良い、と評するに十分な関係性がそこかしこに見受けられた。
今はまだ、ナマエは受動的かもしれない。
与えられたから受け取る、誘われたから同行する、撫でられたから受け入れる。
しかしそれはいつか、能動的な行動に移り変わるだろう。
当初は宗像を受け入れるだけだったナマエが、自ら宗像を求めるようになったのと同じことだ。
ナマエから与え、誘い、触れるようになる日が、いずれ訪れる。
そうなった時、ナマエの中で宗像はどのような位置に据えられるのだろうか。
今はまだ恐らく、ナマエにとって宗像は特別だ。
しかしそれは、いつまで続くのだろう。
ナマエが他の隊員たちと自ら積極的に関わるようになってしまえば、宗像の今持つ特権は何一つ残らない。
ナマエと宗像との間に、明確な関係性は何もないのだ。


微かな音と共に、玄関のドアが外側から開かれた。
誰何を問うまでもなく、ナマエだ。

「お疲れ様です、ナマエ」

宗像は吸っていた煙草を灰皿に押し付け、まるでいつも通りの笑みと共にナマエを迎え入れた。
ぺたぺたと小さな足音と共に、ナマエが近付いてくる。
退勤後、一度自室に寄ってから宗像の部屋に帰って来たナマエは、その手に見慣れない本を一冊持っていた。

「新しい本ですか?珍しいですね」

元々ストレインであるナマエは、目にしたものを瞬時に記憶するという能力を持っているため、際限なく情報を取り込むことが出来る。
つまり読書が速読を通り越して一冊数分のスピードで済んでしまうため、紙媒体の書籍を買っていてはきりがないのだ。
電子書籍ばかり漁るナマエが本を買うとは珍しい、と宗像が訊ねれば、ソファに腰を下ろしたナマエが何気ない仕草で表紙を撫でた。

「……秋山さんに、貸してもらって、」

それは、軍事戦略関連と思われる、何の色気もない本ではあった。
だが、宗像のささくれ立った神経は容易に刺激された。
ぺらり、と頁を捲り始めたナマエは、もう宗像の方など見向きもせずに本の内容にのめり込んでいく。
まるで全ての頁を撮影するかのごとく、五秒に一頁のペースで紙の捲れる音だけが響いた。


たとえば恋人ならば、独占することが出来るのだろうか。
そう考えて、しかし答えは否だった。
仮にナマエが宗像の恋人であったとしても、ナマエは恋人に責められるような行動は取っていない。
職場の人間と共に食事をとったり、本の貸し借りをするなど、当たり前のことだ。
これを浮気と定義することは出来ないだろう。
恋人であったとしても指摘出来ないのに、何の関係もない宗像が口を出せるはずがない。
敢えて関係性に名前をつけるならば、宗像はナマエの上司であり、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
まさか、部下の健全な交友関係に口を挟むなど職権乱用にも程があるだろう。
宗像とナマエの関係は特殊でありながら、同時に、捲られていく頁のごとく薄っぺらいものでもあった。
家族でもない、恋人でもない、親友でもない。
宗像に、ナマエの行動に口出しする権利も義務も、何一つありはしなかった。


宗像は、隣で紙面に視線を落とすナマエをじっと見つめる。
読書はすでに残り三分の一程度まで進んでいた。
終わりは、もうすぐだ。
いつかナマエと宗像の特殊な関係も、まるで何事もなかったかのように終わるのだろうか。
ナマエが今宗像に求めているものを、やがて他の誰かに求める日が来るのだろうか。
宗像に求める一から十を、特務隊の面々に分散させて求め、そして与えられ、それに満足するのだろうか。
そうなった時、ナマエの中で宗像はそれ以外の他者と同列に並べられるのか、それともそのラインにすら並ばないのか。
宗像の胸裡に鬼胎が蠢いた。

ぱたり、と裏表紙が閉じられる。
それなりな頁数だった本は、あっという間にその役割を終えた。
しかしナマエの脳には、書かれていた一字一句が違うことなく記憶されているのだろう。
それがせめてもの救いだろうか、と宗像は目を伏せた。
たとえこの先どうなっても、ナマエにとって宗像が必要ない存在になったとしても、ナマエは宗像を覚えていてくれる。
触れた手を、かけた言葉を、一つも忘れることなく覚えていてくれる。
それは確かに悦びだった。
しかしそれで満足するかと問われれば、答えは否だ。
宗像は、自身がナマエの中で過去に成り下がることが恐ろしかった。
必要とされなくなることが怖かった。
誰かにナマエを奪われることが、耐え難かった。

「……れーしさん?」

いつも、いつまでも特別でありたい。
特別な、唯一でありたい。
他の誰にも渡せない、他の誰にも譲れない。

「……れーしさん、ってば、」
「っ、は、い……?」

呼びかけにはっと目を開けば、隣に座ったナマエが上体を屈め、覗き込むように宗像を見ていた。
その目が訝しげに細められる。

「どうかしました、か?」

宗像は意識してゆっくりと頬を緩め、その下に憂懼を押し隠して何でもない、と笑った。

「ただ、相変わらず感嘆に値する読書ペースだな、と思っていただけですよ」
「そうじゃなくて」

しかし、宗像の誤魔化しは言下に切り捨てられ、全く通用しなかった。

「……今朝から、なんか変、ですよ。……何かあった、んですか」

ほとんど断定の形で投げられた質疑に、宗像は一瞬動きを止め、そして苦笑を滲ませる。
本当に、いつもいつも敵わない、と思った。

「……そう、ですね。……君はいつの間にか、私がいなくても大丈夫になったのだな、と思いまして」

宗像がやんわりと微笑めば、ナマエが眉を顰める。
無言で続きを促され、宗像は自らへの皮肉を混ぜて吐き出した。

「なんだか、知らぬ間に成長してしまった子どもの親のような心境ですよ」

意味が分からないのだろう、訝しげに見つめてくるナマエの視線を受け止めながら、宗像は自嘲する。

「……いつか、君にとって私は必要な存在ではなくなってしまうのかもしれませんね」

ああ、言ってしまったな、と。
宗像は自らの、後先を考えず発言するという滅多にない状況を呆れ半分、戸惑い半分に噛み締める。
視線の先、ナマエが驚愕に目を見開くさまを、宗像はじっと見ていた。





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