初めて抱き締めた背中[3]
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気がつくと、ナマエはきちんと整えられたベッドに寝かされていた。
掛け布団の中、身に纏う感触は宗像の物と思われる大きな浴衣一枚。
意識を失っている間に風呂で洗い流してくれたのか、汗や蜜液の気配はなかった。
シーツも新しいものに取り替えたのだろう、心地良い肌触りに戻っている。
横になったまま薄暗い寝室に視線を走らせれば、ベッドの縁に腰掛けた宗像の背が見えた。
宗像も、新しい浴衣を羽織っている。
立ち昇る白い煙と独特の匂いに、煙草を吸っているのだと分かった。
それは、宗像の事後の癖だ。
宗像が喫煙者だと知ったのは、初めて抱かれた日のことだった。
曰く、普段は然程吸いたいと思わないが、酒を嗜む時や眠る前などに、時々吸いたくなるらしい。
情事の後も、そのタイミングに含まれるようだった。


「………しつちょう、」

宗像がベッドサイドの灰皿に短くなった煙草を押し付けたところで、ナマエは静かに声を掛けた。
喉が疲弊しているせいか、想定していたよりもずっと小さな音しか出なかったが、宗像はそれを聞き届けて振り向いた。

「気が付きましたか」

ゆるりと細められた紫紺に、先程までの強烈な輝きはない。
常の、静謐な色に戻っていた。

「すみません、声が枯れてしまいましたね」

いつもならばそう言って、しかし言葉の内容とは裏腹に愉しげな笑みを漏らす宗像が、今夜は本当に申し訳なさそうに眉尻を下げたので、ナマエは目を瞬かせる。
サイドテーブルから水の入ったコップを取り上げた宗像はそれを自らの口に含むと、上半身を捻ってナマエに顔を寄せた。
宗像の意図を理解したナマエは、その行為を意外に思いつつも素直に唇を差し出す。
触れ合った、先程までよりも低い温度と、流し込まれる水。
喉を滑り落ちた冷たさに、思わずほっと息を吐いた。
そのまま口移しを数度繰り返し、喉を潤す。
宗像は面倒臭がる素振りもなく、ナマエが満足するまで甲斐甲斐しく水を与えてくれた。

「もう、大丈夫です」

一度軽く咳をしてから声を出せば、今度は若干ましになった音が空気を揺らす。
宗像は小さく微笑み、グラスをテーブルに戻した。

「……どこか痛みますか?」
「……まあ、あちこち、」

見下ろしてくる宗像は本当にナマエの身を案じているようで、珍しい態度に些か気味が悪くなる。
嘘をつくことも出来たが、どうせ無駄だろうとナマエは正直に答えた。

「そうですか。申し訳ありません」

すると返されたのは直球すぎる謝罪で、ナマエはいよいよ疑心を強める。
宗像の笑顔と謝罪ほど、裏に潜む真意を恐ろしく思うものはないのだということは、セプター4の隊員ならば誰もが知る常識だった。

「……あの、どうかしましたか?」

ナマエに、宗像の本心を探るなんて高等技術はないため、こちらも直球で問うしかない。
そう思って投げた言葉に返ってきたのは、困ったような苦笑だった。

「いえ、何もありませんよ」

やんわりと笑んで引かれた線は、何だったのか。
ナマエはそれを見分ける術を持ち合わせていなかった。
奇妙な沈黙が落ちる。
何か話さなければいけないという訳では決してないが、ナマエはどうにも居心地が悪くなり、適当な話題を選んだ。

「あの、いま何時ですか?」
「日付が変わって零時二十五分です」

ベッドサイドの時計に視線を走らせた宗像が、律儀に答えをくれる。
伝えられた時刻を反芻したナマエは、緩慢な思考に灯った明かりに思わず「あ、」と声を漏らした。

「室長、お誕生日ですね。おめでとうございます」

上司の、しかも王様の誕生日を寝転んだままの体勢で祝うのもどうかと思ったが、こればかりは動けないのでやむを得ない。
薄い微笑を浮かべる宗像を見上げて言葉を並べると、宗像は虚を突かれたように目を瞠った。
誕生日を忘れていたのか、それともこのタイミングに祝いの言葉を掛けられるとは思っていなかったのか。
どちらにせよ、予想外の出来事だったらしい。
宗像が素で驚く姿という珍しいものを見たナマエは、思わず小さく笑ってしまった。

「二十五歳、でしたっけ。見えませんよね」

パーツで言えば、十分に相応なのだ。
肌の肌理、筋肉のつき方、髪の艶。
どこをとっても、若者と呼ぶに相応しいだろう。
だが、全てを集結させた途端、宗像は到底二十代半ばという年齢からはかけ離れた存在になってしまう。
落ち着き払った態度はもはや老獪と呼ぶに相応しく、二十代の青年が持ち合わせるべき気配ではない。
宗像礼司という王は、年齢などという世俗的な数字を超越した存在だった。

「でも、誕生日は誰にでも等しくありますからね。おめでとうございます。きっと副長が朝一で大量の餡子を持って来てくれると思いますよ」

それは、毎年の恒例行事だ。
朝の報告で淡島は宗像の執務室に、道明寺からエベレストと称される高さに積まれた餡子を祝いの品として持って行く。
宗像は毎年、その処理に辛苦を舐めるというわけだ。

「………室長?」

半ば呆然と、何も言わずに見つめてくる宗像を不審に思い、ナマエは枕の上で首を傾げた。
そんなに餡子が鬼門なのだとすれば、それは同情するしかない。

「……いえ、その。君から祝って頂けるとは、思ってもみなかったものですから」

珍しく言い淀んだ宗像が続けた言葉に、ナマエは目を瞬かせた。
確かに、宗像の誕生日に祝いの言葉をかけたのは今回が初めてだ。
だがそれは、去年までは宗像の誕生日に業務外の時間を共に過ごしたことがなかったからであり、決して意図的に祝福しなかったわけではない。
今回、偶然とは言えどもこの日を共に迎えたのだ。
祝いの言葉くらいかけるのが自然というものだろう。

「嬉しかったです、ありがとうございます」

それは、ふわり、と音がしそうな笑みだった。
常の昂然とした計算尽くの微笑ではなく、まるで胸臆から滲み出たような柔らかな笑顔を見せられ、ナマエは思わず言葉を失くす。
二の句の継げなくなったナマエの前で、宗像は浮かべた笑顔をそのままに首を傾げると、ナマエの唇に触れるだけの口付けを落とした。

「お礼、です」

悪戯っぽく、どこか照れ臭そうに。
まるで秘密を告白するかのように囁かれ、ナマエは奇妙な擽ったさを感じて掛け布団を口元まで引き上げた。
一体全体、今夜の宗像はどうしてしまったのか。
その態度はあまりに違和感に満ちていて、ナマエにとっては不審なことこの上ない。
だが、それを嫌ではないと思っている自分がいることもまた、確かだった。


「さて、そろそろ休みましょうか」

そう言った宗像が、ナマエの隣に身体を横たえる。
前回までは同じベッドで眠るといっても二人の間には一定の距離があったはずなのに、あまりにも自然な所作で宗像の胸元へと引き寄せられ、ナマエはいよいよ戸惑いを最大限に強くした。
しかし宗像はさも当然とばかりにナマエを抱き締め、そのまま花瞼を伏せてしまう。
これは、何を言っても無駄なのだろうと悟ったナマエは、諦めて宗像に倣い目を閉じた。


思いの外逞しい腕に包まれながら、ナマエはじっと宗像の鼓動に耳を傾ける。
戸惑いに揺れる思惟の中で唯一確かなことは、来年もこの人の誕生日を祝いたいという、ささやかで、しかし大切な想いだった。






初めて抱き締めた背中
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