ガトーショコラよりも甘く[2]
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それは恐らく、件の美青年が入店してから三十分ほど経った頃の出来事だ。

再びチャリン、とベルが鳴り、小柄な女性が姿を現した。
まだ未成年だろうか、女性というよりも少女といった雰囲気だ。
同じ女としては羨ましいほどに細い足を剥き出しにしたショートパンツ、上はグレーのパーカーという出で立ち。
その少女はぐるりと店内を見渡し、ある一点に視線を縫い止めた。

「いらっしゃいませ」

声を掛けると、少女は店の奥を指差した。
白くて、今にも折れてしまいそうなほど細い指だ。

「……連れ、です」

ぽそり、と呟くように落とされた言葉に思わず少女の指の先を辿れば、そこには椅子から立ち上がった例の美青年が、驚くほど柔らかい笑みを浮かべて待っていた。
先ほどまで読んでいた小難しそうな本をテーブルに置き、青年が近付いて来る。

「待っていましたよ、ナマエ」

少女に向けられた声は、先ほど注文をした時とは打って変わって蕩けそうなほど甘かった。
青年は少女の前で上体を屈め、私の存在などまるで気にも留めない様子で少女の頬を撫でる。
ふんわり、と音がつきそうな笑顔だ。
対する少女は少し困り顔だったが、その手を避けたり振り払ったりはしなかった。

「すみません、彼女は私の連れです。大丈夫でしょうか?」

やがて、思い出したかのように青年に訊ねられ、私は慌てて頷いた。
新しい水とおしぼりを用意し、青年の向かいに腰を下ろした少女の前に並べる。

「何か食べますか?」

青年が優しい口調で問いかけると、ナマエと呼ばれた少女はメニューを眺めて押し黙った。
その間、約三秒。

「すみません、決まり次第また声を掛けます」

青年にそう告げられ、その声は少女に向けられるものとは全く違う音で、私はいそいそとその場を離れるしかなかった。

「本日のケーキセットは抹茶のシフォンケーキでしたよ。美味しかったですが、君には少し苦いかもしれませんね。……これなんか、どうでしょう」

ふわふわに甘く柔らかい口調で、青年が少女にケーキを勧めている。
アメジストのように輝く怜悧な瞳は、いつの間にか蜂蜜を流し込んだみたいに溶けて滲んでいた。

「……じゃあ、これ……」

一言も喋らずに悩んでいた少女が、ようやく食べたいものを一つに絞ったらしい。
ボールペンを胸のポケットから引き抜きながら、秀美な所作で手を挙げた青年の方に歩み寄る。

「ガトーショコラとホットココアを一つずつお願いします。それと、コーヒーをもう一杯頂けますか」

後半はともかくとして、前半に関しては凄まじい糖度だ。
この少女は、とにかく甘いものが好きなのだろう。
それなのにこんなに細いのか、と妙な羨望を抱きつつ、かしこまりましたと一礼した。


「来てくれるとは思いませんでしたよ」
「……れーしさんが、来いって、言ったんですけど」
「ふふ、そうでしたね。ありがとうございます」
「仕事、残ってるのに……なんで突然、」
「まあそう言わないで下さい。君は少し働きすぎですよ」
「誰のせいで……」

お客様の会話を盗み聞くのはタブーだと分かっていても、ついつい耳を欹ててしまう。
どうやら男の名前は「れーし」というらしい。
れーし、れいし。
恐らく下の名前だろう、どのような字を書くのだろうか。
何にせよ、名は体を表すの言葉通り、青年の美しさに相応しい響きに思えた。
そしてこの会話から察するに、二人は職場の上司と部下、もしくは先輩後輩という関係のようだ。
まだ学生に見える少女が働いているというのは少し意外だった。
アルバイトか何かだろうか。

少女が少し不機嫌な口調で並べ立てる文句を、青年はひたすら苦笑しながら聞いている。
自分勝手だの、迷惑だの、面倒臭いだの、散々な言われようだが、青年は一切反論する気がないらしい。
明らかに年下に見える少女の小言を延々、それはもう優しい目をしたまま受け止めていた。

「……あの、お待たせしました」

声を掛けて良いものかと少し躊躇したが、飲み物が冷めてしまってはいけない。
やんわりと割り込めば少女は口を噤み、青年が苦笑したままテーブルの上にあったメニューを脇に寄せてくれた。
そのスペースにコーヒーとココア、ガトーショコラを置いていく。
ガトーショコラを目にした少女が一瞬、微かに口元を緩ませた。
ちらりと青年の方を見れば、少女の比ではないほど嬉しそうな顔をして、当然のようにケーキではなく少女の顔を見つめている。
たとえば美しさで言えば、一人でここに座っていた時に見せた笑みの方が非の打ち所なく完璧だった。
でも私は、今目の前にある綻んで締まりのない笑顔の方が素敵に思えた。

「ごゆっくりどうぞ」

少女はよほどケーキが食べたかったのか、お腹が空いていたのか。
早速フォークを突き刺して一口サイズに切り取り、勢い良く口に運んだ。
少女の目が、すっと細くなる。
青年はそれに満足したらしく、くすりと喉を鳴らしてからカップを手に取った。

何とも、不思議な組み合わせだ。
確かに少女は、世間一般で言えば可愛いに分類されるだろう。
不機嫌な表情ばかりだが笑えばとても可愛らしいだろうし、小柄ながらにスタイルも悪くない。
だがいかんせん、青年の方が人間離れした美しさなので、妙にアンバランスなのだ。
しかし恐らく青年は、自分の容姿などには全く興味がないのだろう。
少女が可愛くて仕方ないのだと、全身で主張しているようだった。
とても、ただの上司と部下には見えない。
少女の反応から推し量るとするならば、この青年の片想いなのだろうか。
こんな完璧すぎる人にこれだけアピールされて靡かないなんて、少女の男の好みはどうなっているのか。
それともこう見えて、この青年は職場ではとんでもない暴君だったりするのだろうか。
下世話なことをあれこれと想像しながら、私はテーブルを拭く作業に戻った。

「美味しいですか?」
「……ん、」
「それはよかった」

ガトーショコラにココアという、ダブルパンチのような組み合わせを、少女は涼しい顔で口に運んでいく。
そんな少女を見守る青年の瞳はこれまたとろとろに甘くて、最早トリプルパンチもいいところだ。
こんなに人を愛おしそうに見つめる瞳があるのだということを、私は初めて目の当たりにした。
やがて少女がガトーショコラを全て平らげると、青年が手を伸ばして少女の小さな唇を拭う。
私からは分からなかったが、恐らく唇にチョコレートが付いていたのだろう。
少女は何の驚きも抵抗も見せず、それを甘受していた。
これはもう、すでにそういう仲なのではないだろうか。
少女の方がツンツンして、デレが全く見えて来ないだけで、恐らく恋人だろう。
そうでなければこの挙動はあり得ない気がした。

やがて二人が席を立ち、青年の方が会計をする。

「ご馳走様でした、とても美味しかったです」

少女に向けるものとは違う、今ならば分かるが計算の上でわざと作られた微笑みを湛えた青年の言葉に、私はにっこりと笑った。
こちらは作り笑顔ではない、本物だ。

「またのお越しをお待ちしております」

青年がドアを開け、先に外に出る。
そのままドアを手で押さえ、少女の方を振り向いて柔らかく笑った。
少女は一歩ドアへと近付いてから、少し躊躇いがちに振り返る。
初めて私の方に顔を向けた少女は、視線を何度か泳がせてから、ほとんど独り言のように小さく呟いた。

「………ごちそ、さま、でした」

そう言って、唇の端をほんの少しだけ持ち上げる。
きっとそれは、精一杯の笑顔だったのだろう。
そのまま逃げるようにドアへと向かった少女の背に、思わず声を掛けた。

「あの!またっ、またお二人で来て下さいね!」

ちらりと、少女が肩越しに振り返る。
数拍の間をあけて、こくり、と僅かに頷いた少女は、今度こそ青年が支えるドアを抜けて店の外へと出て行った。
青年が思い切り目尻を垂れ下げ、少女の頭を優しく撫でる。
そっと静かに閉められたドアの向こう、硝子越しに去って行く二人の後ろ姿を眺めた。
少女がつんと青年のジャケットの裾を引っ張り、青年はそれに応えるように少女の手を包み込む。
あ、デレた、と思った。
後ろからでも、あの青年が今どんな顔をしているのか、容易く想像出来てしまう。
きっと、蕩けて崩れ切った、でも一番素敵な表情を少女に向けているのだろう。

仕事が終わったら彼氏に連絡をしてみようと思いながら、私は次にやって来たお客様を最高の笑顔で出迎えた。






ガトーショコラよりも甘く
- ココアよりも優しく、コーヒーよりも温かく -




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