朝露に溶ける夢
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宗像は普段、あまり夢を見ない。
正確に言うと、人間のメカニズムとしては見ているはずだが、目を覚ました時にほとんどの確率で覚えていない。
だから、見ていないと思うことが多い。

だがその夜は、夢を見ていた。

夢の中で宗像は、一匹の黒い仔猫を飼っていた。
野良ではなく飼っていると認識出来たのは、その仔猫の首に青い首輪が巻かれており、またその仔猫が宗像の太腿の上で丸くなっていたからだ。
正座をした男の太腿の上など柔らかくもないだろうに、宗像が耳の裏を擽るように撫でると仔猫は気持ち良さそうに喉を鳴らした。
時折尻尾を揺らしながら、起きているのか眠っているのかよく分からない状態の仔猫を、宗像は飽きることなく撫で続ける。
仔猫は満足そうな顔をしているように見えた。

しばらくすると、不意に仔猫が耳をピンと立て、前足を軸に起き上がった。
宗像は、背中を撫でていた手を浮かし、その様子を窺う。
仔猫はくあ、と一つ欠伸を零し、宗像の上から軽やかに降りた。
唐突に温もりと重みを失った太腿が、やけに寒く感じられる。
宗像は仔猫に手を伸ばしたが、仔猫は宗像の方など見向きもせずに歩き出した。
どこへ行こうとしているのか、しかしその足運びに迷いはない。
徐々に小さくなっていく後ろ姿に、宗像は途方もない喪失感を覚えた。
行かないでほしい、ここにいてほしい。
心臓を引き絞られるような心地で、宗像は遠ざかる姿を見つめた。
戻って来てほしいと希うのに、思いは伝わらない。
もう、会えないのではないか。
もう、触れることが出来ないのではないか。
そんな焦燥に駆られ、宗像は仔猫の名を叫んだ。


「  」



そこで、宗像は目を覚ました。

急激に眠りから引き戻された身体の奥で、心臓が激しく脈打っている。
宗像は見開いた目で天井を見つめ、夢を見ていたのだと自覚した。
その内容が、鮮明な映像となって脳裏を駆け巡る。
最後、小さくなる後ろ姿に向かって叫んだ自身の悲鳴染みた声が蘇り、宗像はハッと隣を見た。
そこに、寝入る前と同様に丸くなって眠る姿を探して。

しかし。

「…………ナマエ…………?」

いない。
ナマエがいない。
そのことに気付いた瞬間、宗像は身体の中に勢いよく冷気が滑り込んでくるのを感じ、飛び起きた。
掛け布団をベッドの脇に薙ぎ払う。
だが、どこにもナマエの姿はなかった。
反射的に窓の方を見るが、カーテンの隙間から光は漏れていない。
まだ起きるには早すぎる時間だということは明白だった。
まるで頭の中に心臓が移動したかのように、鼓動が煩い。
早鐘のように脈打つ心臓から送り出される血液が、凍えた水のように指先までを冷やした。

どうして、どこに。
宗像は、思うように動かない身体を強引に引きずってベッドを降りた。
初めてだった。
目が覚めて、一緒に寝たはずのナマエが隣にいないという経験は、今までに一度もなかった。
敵と相対する時も、御前との会談に赴く時も、どのような場合でも絶対に竦まない足が、不安と恐怖に震える。
宗像は浅い呼吸を何度も繰り返しながら、寝室を後にした。

先ほどまで見ていた夢の映像が、コマ送りになって蘇る。
宗像の膝から降り、何の躊躇いもなく去って行った。
振り返ることも、呼び声に反応することもなかった。
行かないでほしいと、宗像はそう願ったのに。

リビングのドアを開ける。
電気はついていなかった。
だが。

「あれ?礼司さん?」

キッチンの方から、慣れ親しんだ気配と聞きたかった声。
宗像は咄嗟に手を伸ばし、壁にはめ込まれた照明のスイッチに叩き付けた。
ぱっと明るくなった部屋の向こう、眩しそうに手を顔の前に翳したナマエがいる。
探し求めていた姿をようやく見つけ、宗像は掛ける言葉を思い付けないまま大股で距離を詰めるとその身体を抱きすくめた。

「わ、ちょっ、れーしさん?」

小さな身体に腕を回し、強く掻き抱く。
よく知る体温とよく知る匂いに、ようやく酸素が肺に到達した。
それでも震える身体は冷えたままで、温もりを求め縋り付く。

「……なに、か、あったんですか?」

胸元から苦しそうな、心配そうな声が聞こえたが、宗像に答える余裕はなかった。
黒髪に鼻先を埋め、何度も深く息を吸い込む。
ナマエの体温、ナマエの匂い、ナマエの生きている音。
唯一無二の情報を脳に認識させ、宗像はやっと強張っていた身体から力を抜いた。

「………驚かせてしまって、すみません」

腕の力を少しだけ緩め、それでも手放せずに抱き締めたまま、突然の強引な行動を謝る。
宗像の腕の中、ナマエが微かに首を振った。
顔を上げたナマエと、宗像の視線が交わる。
心配を映し込んだ瞳で見上げられ、宗像はぎこちなく頬を緩めた。

「……君が、いなかったので、」

目が覚めて、そこにナマエがいなかった。
穏やかな寝顔も、触れる温もりも、柔らかな呼吸の音もなかった。

「あ……、ごめん、なさい。もしかして、起こしました、か?……ちょっと、目が覚めて、喉、渇いたなって、」

水を飲みに行ったのだと説明され、宗像は苦笑する。
落ち着いて考えれば、選択肢など他にいくらでもあったのだ。
水を飲む、トイレに行く、汗をかいたから着替える。
夜中に目が覚めて取る行動など様々だ。

「……夢を、見たんです」

恐らく宗像も、ナマエがいないだけだったならば冷静に思考を巡らせることが出来ただろう。
多少は焦ったかもしれないが、ここまで取り乱すことはなかったはずだ。

「小さな仔猫が、私の傍からいなくなってしまう。そういう、夢でした」

だが、あの夢があった。
行かないでほしいと願ったのに、いなくなってしまった仔猫。
宗像は、あの仔猫にナマエの姿を重ねていた。
だから、名前を呼んだ。

「ナマエ……、」
「ん、……れーしさん」

夢の中では届かなかった声。
呼んでも振り向いてもらえなかった名前。
ようやく返事が返ってきて、宗像は微笑んだ。

君までいなくなってしまったのかと思いました。
そう言いかけたが、宗像は結局その言葉を口には出さなかった。
そんなわけないでしょう、という答えが返ってくると確信出来るほど、ナマエが温かかったから。
もう、憂慮は必要なかった。

もう一度、二人でベッドに潜り込む。
床に落とされた布団を見て、ナマエは少しだけ笑い、宗像は少し気恥ずかしくなった。
いつものように丸くなったナマエが、宗像の浴衣を握り締める。
宗像はその手に自身の手を重ね、優しく包み込んだ。
触れ合った肌から、温もりが沁み込む。
満たされる思いがして、宗像はほっと息を吐いた。

「あ、」

不意に、何かに気付いたかのようにナマエが顔を上げる。
その姿が夢の中の仔猫と重なり硬直した宗像に何を思ったのか、ナマエは小さく笑い、身体を擦り寄せたまま位置だけを少しずらして強張る宗像の頬に口付けた。

「ナマエ……?」

予想外の出来事に、宗像が目を瞬かせる。
ナマエは何事もなかったかのように再び丸くなってから、宗像の二の腕に頬をつけて小さく呟いた。

「……いい夢が、見られる、おまじない、です」

はっと、宗像が息を詰める。
それはまだ宗像がナマエと出会った頃、悪夢に魘されてばかりだったナマエのためにと教えたもので。
長い月日を経て返された口付けに、宗像は泣きたいような幸せな気持ちで目を細めた。

「ええ。そうでした。……ありがとうございます、ナマエ。きっと、幸せな夢を見られそうです」


宗像はナマエの手を握り締め、優しい微睡みに意識を溶かした。






朝露に溶ける夢
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